琥珀色の戯言

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【読書感想】子供の死を祈る親たち ☆☆☆☆

子供の死を祈る親たち (新潮文庫)

子供の死を祈る親たち (新潮文庫)

内容紹介
親子間の溝はますます深くなっている。自室に籠もり、やがて自殺すると脅し親を操るようになった息子。中学時代、母親の不用意な一言から人生を狂わせ、やがて覚醒剤から抜け出せなくなったホステス。刃物を振り回し、毎月30万も浪費するひきこもりを作ったのは、親の学歴信仰だった。数々の実例からどのような子育てが子供の心を潰すのか徹底的に探る。現代日本の抱える病巣を抉る一冊。


 著者は「精神障害者移送サービス」の会社を運営しており、その20年間の経験をもとに、この本を書いておられます。

 私は、家族からの依頼を受けて対象者を説得し、適切な医療や公的支援につなげた後にも、面会を通じて本人と人間関係を育み、退院後の就労支援など自立の手助けも行っています。


 「移送サービス」と言われると、対象者を連れ出して施設に運ぶだけなのか、と思ってしまうのですが、実際は、事前の調査から家族との相談、本人の説得、そして、退院後の支援など、かなり幅広く活動されているようです。
 民間企業でもあり、この本を読むと、それなりに費用がかかる、ということのようなので、ある程度経済的に余裕がないと利用が難しいのかもしれません。
 こういうことこそ、本来は公的なサービスがあってしかるべき、という気がするのですが、現実には「扱いにくい人や状況ほど敬遠されがちで、支援につながらない」ことも多いのです。
 「入院させる側」からすれば、マンパワーも限られているなかで、手がかかったり、他の患者さんとトラブルになるような人は、できれば避けたい、というのも事実でしょう。


 この本で紹介されている、「困った状態にある、家族もどうしていいのかわからない状態の人」の実態には僕も驚きました。
(実際のところは、こういう状況から救急車などで病院に搬送されてくることもあるので、「こういう背景だったのか……」と合点がいった、というのもあるのですが)

「実は、とても言いづらいことなのですが……」
 長い面談が終わる頃、母親がおずおずと切り出した。
「この半年くらい、桂一はトイレにも入れなくなってしまって」
「というと? 排尿や排便はどこでしているのですか」
「最初は……、自立して家を出ていった次男の部屋が空き部屋になっているので、そこに新聞紙を敷いて、その上で……。でもさすがにそれは困るので、今は、ペットシーツを買ってきて、そこでしてもらっています」
 さすがの私も絶句した。しかもその排泄物は、母親が片付けているという。本人がやろうとすると、あまりにも時間がかかってしまうからだ。実際のところ私は、この両親が事務所に入ってきたときから、普段とは異なる臭いに気づいていた。
 私への相談では、笹川家のように、子供が何年も入浴していないケースはよくあるし、自宅がゴミ屋敷化しているケースもある。とくに最近は、「子供がトイレを使えずに、部屋で排泄している」という相談は、私にとってもはや「普通」と言えるほど、ありふれている。彼らはトイレの代わりに、ペットボトル、スーパーのビニール袋、バケツなどに排尿をしているのだ。


 ここに至るには、精神疾患の要素も含まれているのですが、家庭内という密室であれば、外部からの介入は難しいのです。
 周囲もあえてそこに踏み込もうとは思わない。
 親も「本人の言いなりにしていれば、とりあえず暴力も振るわれないし、自傷行為も抑えられる」ということで、「その日をやりすごす」うちに、どんどん状況は悪くなっていくのです。


 ちなみに、専門病院に入院後、状態が改善した桂一さんと著者に、こんなやりとりがあったそうです。

「桂一が風呂に入らなかったり、『飛び降りる』って言ったりすることで、親がどれだけ困るか、分かっていてやったんだろう?」
 私がそう尋ねると、桂一は苦笑いを浮かべた。
 桂一が、強迫性障害という病気の苦しみを背負っていたことは確かだ。彼自身、ある時点で自分が強迫性障害という病気ではないかと認識し、本を読んだりネットで調べたりして、解決方法を探っていたという。それでも、専門的な治療を受けるなど前向きに取り組むのではなく、抱え込むことを選んだ。
 そこには、親に対する強烈なまでの不満があった。
「親に強迫性障害の説明をして、理解してほしいと訴えたこともあります。でもうちの親は『自分たちには、よく分からないから』と言うだけでした。『これ以上、どうしろって言うの!』と逆にキレられたこともあって……。だから、親から『病院に行け』と言われても、腹が立つだけでした。親の言う通りになんかするもんか、と思っていました」
 自らを痛めつけることで、両親に不自由な生活を送らせ、苦しめる。まるで命をかけた親との闘いだ。しかしそれは、いわゆる反抗期のような健全な闘いではない。
 成人した大人が、健全な生活を送るための能力や意欲を喪失した状態を指す、「セルフ・ネグレクト」という言葉がある。精神疾患の有無にかかわらず、必要な食事をとらない、医療を拒否する、不衛生な環境で生活するなどの状態が当てはまる。桂一もこの、セルフ・ネグレクトの状態にあったと言える。
 これは、桂一個人に由来するものではないと私は考えている。過去を紐解いてみれば、両親が感情で桂一を抑圧し、自立を困難にする子育てをしてきたからだ。桂一が強迫性障害を患い、健全な日常生活が送れなくなってからも、医療につなげるなどの現実対応をとらずにきた。これもある意味、ネグレクトの一種である。そして桂一もまた、病気を盾にして「死」をちらつかせ、両親をコントロールし、不自由かつ辛い日々を強いてきた。ネグレクト=虐待の輪が、家庭の中だけでループしているかのようだ。


 まさに「虐待の輪」ですよね。
 でも、戦争と同じで、一度こういう状況に陥ると、そのループから抜け出すのはすごく難しいのでしょう。
 この本のなかで、桂一さんの両親の子育てのさまざまな問題点が指摘されています。


 沙織さんという薬物依存になってしまった女性の話のなかで、著者はこう述べています。

 彼らの成育歴をたどっていくと、沙織と似通う点があることに気づく。彼等はその成育過程において、「成績優秀であれ」「清廉潔白であれ」「男性(女性)らしくあれ」などと、実に多くの要望を親から突きつけられている。言葉では言わずとも、家庭の中に「負」を許さない空気がある。常に「いい子」であることを、強迫的なまでに求められているのだ。
 親は、「子供の将来を思っての、しつけだ」と言うだろう。しかし子供たちは、それが親自身の価値観でしかないことに気づいている。「家族に恥をかかせるな」と、直接的に言われて育っている子供もいる。それでも親に嫌われたくないばかりに、親が喜ぶ振る舞いをせっせとする。沙織の「笑顔」もその一つだ。
 実は私の携わる女性たちは、そのような「いい子」の顔を持ちながら、水商売に従事している例がとても多い。おおよそ夜の世界に似つかわしくない女性が、安易に水商売に手を出し、男に笑顔を振りまくことを容易にやってのける。


 その指摘は妥当なものだと思うのだけれど、正直、このくらいの「子供への押しつけ」をやっている親は少なくないような気もするんですよね。
 もちろん、他所の家庭内のことは、わからないのだけれど。
 結局のところ、子育てに「大間違い」はあっても、「正解」はない。
 親は親なりに、自分のできることをやっていても、うまくいかないこともある。


毒親」という概念で、いろんなことが説明できるようになってきたけれど、それが、あまりにも便利に使われすぎているという懸念もあるようです。

 すべての本に書いてあることを鵜呑みにしたときには、世の中の大半の親が、毒親にあてはまってしまいます。子育てのさなかに、「毒親になりたくない」」と毒親本を読みあさった結果、どこまでが親のしつけや教育で、どこからが毒親の振る舞いになるのか、かえって混乱してしまった方もいるのではないでしょうか。
 毒親の悩みを抱える子供たちにも、一定の弊害が出ているのを感じます。自分にも非があることを棚に上げ、なんでも親のせいにする子供の出現です。「自分の人生がこうなったのは親のせい」という言葉を免罪符に、社会参加することを拒み、親を暴力など凶行で支配して、経済的に依存する子供が増えつづけています。


 「毒親」と呼ばれる行為が、すべてあてはまらない親って、存在するのだろうか?
 もちろん、程度の差はあるにせよ。
 完璧な親も完璧な子供もいないのは当たり前のことなのに、人それぞれ違うはずなのに、どうしても「足りないところ」ばかりを考えてしまう。
 これを読んで、「うちはこんなにひどくなくてよかった」と安心するか、「でも、うちにだって同じようなことが起こる可能性はある」と不安になるのか。
 僕は後者だったんですよね、取り越し苦労であってほしいけど。


「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)

「子供を殺してください」という親たち (新潮文庫)

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