Kindle版もあります。
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内容紹介
「お金儲けは悪いことですか?」
2006年6月、ニッポン放送株をめぐるインサイダー取引を行った容疑で逮捕され、のちに執行猶予つき有罪判決を受けた村上ファンドの村上世彰氏。逮捕間際に言ったその言葉が注目された。以後、表舞台から姿を消したが近年株式取引の世界に復帰。その動向が注目されている。
本書は、その村上氏の最初にして最後の著書であり、半生記であり、投資理念の解説書でもある。灘高―東大法―通産省を歩んだエリートがなぜ投資の世界に飛び込み、いったい何を試みたのか。ニッポン放送、阪神鉄道、東京スタイルなどへの投資において、いったい何があったのか。その投資哲学、日本企業、日本の経営者たちへの見方はどうなのか。そして今後何をしようとしているのか。
村上ファンドを率いて日本に旋風を巻き起こした著者が、その実像と思いを自ら書き上げた話題作。
僕は村上世彰さんのことを「金儲けのことしか考えていない『銭ゲバ』」というイメージでみていたのです。
この人は、自分が儲かりさえすれば、自分が株を買った会社やその社員がどうなっても良いと思っているんだろうな、汗水垂らして働くわけでもなく、ほんと、投資家っていうのは感じ悪いよな、元官僚で、しゃべり方も相手をバカにしているみたいに感じるし、って。
村上世彰という人のナマの声をきいてみて、そういう僕の思い込みが、恥ずかしく思えてきました。
この本、絶妙なタイミングで、出版されたんですよね。
東芝やタカタという大きな会社が、経営陣の自分たちの保身ばかり考えていた酷いふるまいで、存続の危機に陥っています。
『課長・島耕作』とかをみると、「善良な会社側」対「銭ゲバ投資家」みたいな構図を思い浮かべてしまうのですが、そういう「会社のことは内部の人間にしかわからない」というような閉鎖性が、東芝やタカタのような放漫経営を生んでしまった。外部からきちんとチェックされることもなく。
村上さんは、けっして「自分自身の金儲け」のことだけを考えているわけではなく「物言う株主」として、企業、とくに日本企業の「コーポレート・ガバナンス」向上を提唱しつづけてきたのです。
アメリカでは90年代に入ると、株主が経営者を監視する仕組みとして、コーポレート・ガバナンスという言葉が当たり前のように使われていた。しかしその当時の日本では、金融機関に勤める人でも上場企業の経営者でも、まだ知らない人がほとんどだった。
コーポレート・ガバナンスとは、投資先の企業で健全な経営が行われているか、企業価値を上げる=株主価値の最大化を目指す経営がなされているか、株主が企業を監視・監督するための精度だ。根底には、会社の重要な意思決定は株主総会を通じて株主が行ない、株主から委託を受けた経営者が株主の利益を最大化するために経営をする、という考え方がある。経営者と株主の緊張関係があってこそ、健全な投資や企業の成長が担保できるし、株主がリターンを得て社会に再投資することで、経済が循環していくメリットがある。日本でもコーポレート・ガバナンスの意識を高めることが、日本経済全体の健全な発展のために必要だと、その当時から私は強く信じていた。
こうした新年の下、1996年から通産省を辞めるまでの三年間、私はコーポレート・ガバナンスの研究に時間を割いた。対象は必然的に、コーポレート・ガバナンスの先進国アメリカになっていた。アメリカではこの頃すでに株主の権利が確立され、株主が「もの言う」ことは当然だとみられていた。
村上さんは、この本のなかで、自らの「投資術」の基本的なところを紹介されています。
私の投資スタイルは、割安に評価されていて、リスク度合いに比して高い利益が見込めるもの、すなわち投資の「期待値」が高いものに投資をすることだ。投資判断の基本はすべて「期待値」にある。いろいろな投資案件において、きわめて冷静に分析や研究をして、自分独自の「期待値」を割り出している。たとえば、百円を投資する場合の「期待値」の計算方法は、次のようになる。
・0円になる可能性が20%、200円になる可能性が80%であれば、期待値は1.6(0×20%+2×80%=1.6)
・0円になる可能性が50%、200円になる可能性が50%であれば、期待値は1.0。
・0円になる可能性が80%、200円になる可能性が20%であれば、期待値は0.4。
期待値1.0を超えないと、金銭的には投資する意味がない。この「期待値」を的確に判断できることが、投資家に重要な資質だと私は考えている。ちなみに多くの投資家は、0円になる可能性がある程度(20%以上)ある場合は、投資をしない。また、負ける確率が5割以上と考えた場合も投資しない(たとえば、5回投資して2勝3敗以下と予想される場合)。このように、リスクが高い場合や勝率が低い場合には投資を避けるのが普通だが、「期待値」と勝率は別の概念だ。勝率が低いと言われる場合でも、自分なりの戦略を組み立てることで、勝率は変わらなくても、期待値を上げることはできる。
私の場合はすべてが「期待値」による判断なので、0円になる確率が5割を超えていても、勝率が1勝4敗でも、トータルリターンが1.0を大きく超えるかどうかで判断する。
これを読むと、別に特別なことをやっているわけではないみたいです。
「期待値」をどうやって算出するのか、というのが要点だとは思うのですけど、それは企業秘密というか、そんなに簡単に書けるようなものではないのでしょうね。
ちなみに、村上さんは、「失敗することは多々あり、失敗しない投資など投資とは言えない、と私は思っている」そうです。
そして、投資家として大事なことは「失敗したと気が付いた時いかに素早く思い切った損切りができるか。下がり始めたら売る決断をいかに速やかにできるか」だと仰っています。
村上さんほどの投資家でも、百戦百勝、というわけにはいかない。
だからこそ「いかに負けるか、負けたときにどう行動するか」を重視しているのです。
こういう心構えは、投資家以外の人にも、参考になるはずです。
村上さんは、ニッポン放送とフジテレビをめぐる攻防についても、ひとつの章を割いて語っておられます。
堀江貴文さんと村上世彰さんという「銭ゲバコンビ」が、テレビ局乗っ取りをたくらみ、報道の自由をないがしろにしようとした、と当時の僕は考えていたのですが、村上さん側からみると、「ニッポン放送やフジテレビは、内向きでコーポレート・ガバナンスに欠ける、おかしな会社だった」のです。
2001年当時のフジサンケイグループは、ラジオ局のニッポン放送が、グループ内で圧倒的な存在感を放つフジテレビの親会社であり、筆頭株主として三割を超える株式を保有していた。規模の小さな親会社の時価総額が保有資産を常に下回る、いびつな状況だった。簡単に言ってしまうと、現金1万円の入ったお財布を、7000円の値段で売っているようなものだ。
上場企業が複数存在したフジサンケイグループの「おかしさ」は、子会社であるフジテレビの株式を公開するに際し、「親会社が上場していなくてはならない」という条件を満たすために、親会社のニッポン放送が自ら上場した時点で始まっていた。
次の図は、2003年にM&Aコンサルティングで作成した資料の一部だ。公開企業と非公開企業が入り交じる、複雑な資本構成がおわかりいただけるだろう。複雑さだけでなく、ニッポン放送の下にフジテレビ、フジテレビの下に産経新聞社がぶら下がるという、メディアとしての独立性が危ぶまれる関係でもある。ニッポン放送の飛び切り割安な株式を取得すれば、フジテレビと産経新聞まで手に入る。特定の意図をもった人物が買収に乗り出せば、ラジオ、テレビ、新聞の三つの大メディアが簡単に乗っ取られてしまうリスクが明らかだ。
それなのに、おかしいと思わない、もしくは危機感を覚えない経営陣も、このいびつな状況に対して具体的なアクションを起こさない市場も、私には理解できなかった。グループの親会社であるニッポン放送に対する「コーポレート・ガバナンス」の不在は、驚くべきものだった。
「当事者」が語る、当時の攻防をみると、メディアという権力を握っているニッポン放送側が、さまざまな手練手管を用いて、経営者たちの既得権益を守ったようにも感じます。
ニッポン放送に踏み込んだ、堀江貴文さんと村上さんの「その後」をみると、ニッポン放送は「禁断の果実」だったのかな、と。
村上さんは、この本で何度も書いておられるんですよ。
「市場で自由に買われたら困るのなら、上場しない、あるいは、上場をやめるという選択肢もある。そして、そういう選択をしてうまくいった企業は少なくない」と。
村上さんは、アドバイザーとして、上場廃止や自社株買い取りを勧めることもあるそうです。
上場して、株式会社となっているのは、「自由に株を売り買いされること」と引き換えに、出資をしてもらっている会社なんですよね。
村上さんは「日本にはお金(貯蓄)があるのに、みんなが先行きに希望を持てずに、お金を循環させないのが問題なのだ」と繰り返し述べています。
それが、社会の閉塞につながっている、と。
お父さんも投資家で、お子さんたちも投資家という「投資家の血」の物語でもあり、「お金」をめぐる、信頼と裏切りのエピソードもたくさん紹介されています。
お世話になってきた人に、納得できない案件を「自分の顔に免じて、これでおさめてくれ」と言われたとき、人間として、投資家として、どうするべきなのか?
すごく面白い本ですし、読んでいると「投資」の世界に興味がわいてきます。
後半のデータがたくさん出てくるところで読むのに疲れてしまったので、やっぱり僕は投資家には向いていない、ということもわかったんですけどね。