- 作者: マックス・レオナルド,安達眞弓
- 出版社/メーカー: 辰巳出版
- 発売日: 2015/07/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: マックス・レオナルド
- 出版社/メーカー: 辰巳出版
- 発売日: 2016/03/11
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内容紹介
最下位で走りきった選手たちの「敗者の美学」ストーリー
世界最高峰のロードレース「ツール・ド・フランス」。毎年7月に行なわれ、23日間で3300km、高低差2000m以上のコースを走り、最終日までに2~3割の選手が脱落するという過酷なレースだ。
本誌は、その勝者ではなく、「ランタン・ルージュ」と呼ばれる最下位で完走した選手=敗者にスポットを当て、エピソードをまとめたスポーツ・ノンフィクション。
それが「競技」であるかぎり、勝者と敗者がいるわけです。
僕は子どもの頃から、活躍しているプロスポーツ選手や、メダルを獲ったオリンピック出場選手が、自分のやっている競技をみんなに「おすすめ」しているのが嫌いでした。
「だって、あなたはそれが得意で、その競技のおかげでそんなにちやほやされているんでしょ? その競技が好きなのは当たり前じゃないか」って。
いやまあ、それなりに生きてきて、金メダリストだって、死ぬかと思うようなトレーニングを長年続け、いろんなものを犠牲にして栄光をつかんできたわけで、それは称賛されるべきことだと納得するようにはなりましたが、それでも、「金メダルを取れるような実力があれば、努力するのもやぶさかではないけどさ……」みたいなことを、つい考えてしまうのです。
この本に興味を持ったのは、そういう「強者」「成功者」にではなく、「負けた人」それも、自転車競技のなかでももっとも有名な「ツール・ド・フランス」での「最下位完走者」にスポットをあてていたからでした。
ビリなのに、なぜ、こんな苛酷な競技に、身を投じるのか?
なぜ、最後まで、走ったのか?
毎年授与される賞にランタン・ルージュがある。総合成績最下位の選手が獲得する人気の賞だ。ロードレースの世界で最も不名誉な賞であるのに、多くのファンを惹き付けてやまない独特の魅力がある。才能に恵まれない選手に与えるブービー賞にすぎないと軽んじられる一方、あらゆる困難にも負けずに立派に戦い抜いた選手に与えられる名誉の証として認められてもいる。敗者の象徴でありつつ根強い人気のあるランタン・ルージュは、象徴として高い評価を得ても、獲得した個人は通常、いつのまにか忘れ去られてしまうというパラドックスもある。とはいえ、ランタン・ルージュという制度が良くも悪くも続いていることだけは間違いない。例年、最終日を目前に控え、パリのホテルで枕に頭を預ける頃、スタートラインに並んだ選手の、すでに20パーセントはおらず、ランタン・ルージュの栄誉に浴する選手がひとり決まる。彼のライバルにあたる大半の選手は、怪我か病気を理由にレースを去ってしまったからだ。
この本を読んでいると、「最下位になった理由も、その順位に対する感じ方も、人それぞれ」であることがわかります。
優勝することに比べたら、はるかに扱いは小さいものの、それなりに話題になる「ランタン・ルージュ」。
中途半端に負けるよりは、最下位になって賞金をもらったり、有名になったほうが「得」なのではないかと考えた選手たちが、露骨な「最下位争い」をして、主催者を怒らせた年もあったそうです。
みんなが全力で走るという前提があれば「最下位」には「よく最後までがんばった」という感慨もありますが、「目立つために遅く走る」というのは、さすがに褒められたものではありません。
しかし、それはそれで、プロとして、「勝てるに越したことはないが、次善の策として、まん中くらいより、最下位のほうがメリットが大きい」という判断だってありうるわけです。
近年は、以前ほど「ランタン・ルージュ」が大きく採りあげられることはないようなのですけど。
そもそも、『ツール・ド・フランス』にエントリーできること、そして、完走したことだけでも「偉業」ではあるわけです。
でも、そのエリート集団のなかでの「最下位」っていうのは、複雑な気分ではあるだろうな、と。
ランタン・ルージュが持つ集客力を評価するレース・ディレクターもいるが、たいていは敵視している。<フランセーズデジュー(現FDJ)のマルク・マディオ監督も、ランタン・ルージュを決して好意的に受け止めないひとりだ。2006~08年のランタン・ルージュ、ウィム・ファンセフェナントは、マディオ監督が総合成績で最下位になった選手を叱責したという噂を聞いたと僕に語り、グレアム・ファイフも、「ツール・ド・フランスで最下位だと? 恥を知れ。チームの面汚しだ。おれはランタン・ルージュが嫌いなんだよ」と、マディオ監督が選手をどやしつけたことを記事にしている。レース中にランタン・ルージュの座にある選手たちは当然ながら価値ある立派な賞としてとらえているが、心情的にはその話題に触れまいとしているようにも思える。スター選手にはなれなかったが、ツールでは中堅のステージレーサーとして活躍したジャンルカ・ボルトラーミは「ランタン・ルージュについてはとくに思うところはない。自分の後ろには、いつもたくさんの選手がいるからね」と語っている。
いやほんと、ファンからすれば、けっこう「ドラマチックな賞」なのですが、選手や運営側からすれば、かなり「複雑な心情」になるもののようです、ランタン・ルージュって。
「ずっと他の選手より速くゴールするために走っている」のだから、それはそうだろうな、と。
それでも、この賞がなくならないのは、ファンにとっては、重要な賞だから、でもあるのです。
それゆえに、「複雑な心境ながら、狙って獲得しに行く選手」も出てきます。
それに、ランタン・ルージュを獲った選手は、必ずしも「弱小」なわけではなくて、他のロードレースでの優勝歴がある選手が、ツール・ド・フランスでの役割としてチームのエースのサポートをして力尽きた、という場合もあるんですよね。
チームを勝たせるためには、アシストの力と献身が重要視されるのです。
メンバーの多くが勝つこと以外の目的でレースに出ているとわかると、今まで見えなかった世界が見えてくる。「勝ちたいけれども勝とうという意欲はない。『このレースに勝ってやる』と言いながらレースに出たことなど一度もない」と語るのは、ショーン・イェーツだ。「スプリンターを引く、クライマーをアシストする、ジャージを守る。やる気の原動力は、誰かのために走ることだ。どんな形であれ、誰かのために走ることで実力以上のパフォーマンスができる。それは、やる気のスイッチが入るからだ」イェーツはアシストの達人と呼ばれるイギリス人選手で、1980年代から90年代にかけてプロトンの実権を握っていた。また、イェーツのようなアシストが着実に仕事をこなした場合、サポートした選手の業績よりも低く評価する者は誰もいない。
「アシスト職人」もまた、自転車競技でのチームのエースの勝利には、必要不可欠な存在なのです。
こういう存在にも、ファンは称賛を惜しまない。
そして、どんな形であれ、「歴史に名を残したい」という欲求を持つ選手もいるのです。
「優勝」できればそれがベストなのだけれども、自分の実力とチーム内のポジションではそれが難しいことも理解している。
そこで、「ランタン・ルージュ」を選ぶ人がいるのも、わかる。
最下位走者になることで、人々の記憶に残るよう努めたのですか? 僕はファンセフェナントに訊いた。
「ランタン・ルージュは大きな目標だった。私の名前を聞けば、ああ、ツール・ド・フランスでランタン・ルージュを獲得した人だ、と言ってもらえるのだから。ランタン・ルージュは、私の競技人生のなかで一番の功績だと思う」
人は、生きてきた証を遺したい。
たとえそれが「最も遅い者への称号」だったとしても。
- 作者: 山口和幸
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