- 作者: 水野良樹
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/08/25
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
- 作者: 水野良樹
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2016/09/16
- メディア: Kindle版
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内容紹介
「いきものがかり」の「いきものがたり」。
「ありがとう」「風が吹いている」誰もが口ずさめる名曲ばかり。
国民的グループ「いきものがかり」の有名曲の多くを作詞作曲している水野良樹氏が、
自分たちの出会い、グループの結成、路上ライブ、メジャーデビュー、多数のミュージシャンとの出会い、
そしてその後の大成功までのプロセスを、自ら甘酸っぱく書き下ろしました。
青春成長物語と呼ぶべき自伝的ノンフィクションです。
デビュー前の初公開秘蔵写真も多数収録。
現在は「放牧(活動休止・充電)中」の『いきものがかり』の水野良樹さんが2015年にTwitterで連載していた『いきものがかり』の歴史を書籍化したものです。
すべての始まりは27年前。
神奈川県海老名市・小学校1年生のときのことだ。
山下穂尊と、出会う。
「ほたか」という名前が「ほたる」と聞こえて、変わった名前だなと思ったことだけが唯一残っている初対面の記憶だ。クラスメートではあったけれど、幼なじみと呼べるほどに仲が良かったわけではない。
1年1組だった。大きなマンションが近所に出来て、夏休みが明けるのを機に100人ほどの転入生が入ってくることになり、あまりの転入生の多さに入学早々だったにもかかわらずクラス替えをすることになった。そのため山下とクラスメートだったのは一学期のあいだだけ。わずか数ヶ月のあいだの、短い仲だった。
そのわずかな期間に、二人でクラスのある係りを任されることになる。二人とも同級生たちとのじゃんけんに負けてしまった。黒板係りにも、保健係りにもなれず、さして仲も良くなかった二人が残ってしまい、余ったら彼らにあてがわれたのがクラスメートたちには不人気の“いきものがかり”だった。まあさかそれが人生を変えるじゃんけんであったとはもちろん両人ともに、まだ気づいていない。
この本の特徴は、徹底して、水野良樹さんの視点で描かれていることなんですよね。
こういう「ミュージシャンの自伝」みたいな本って、聞き手としてライターが入って、それぞれの人の話をまとめて、「三人称」で書かれることも多いのですが、これはあくまでも「水野良樹にとっての『いきものがかり史』」なのです。
吉岡さんや山下さんに関する話はそんなに多くはないですし、彼らの「内心」に踏み込む場面は、ほとんどありません。もちろん、水野さんは意図的に「わからないことを想像で決めつけて書かないようにしている」のだと思います。
読む側としては、「他のメンバーはどうだったのだろう?」って、気にはなるところはあるのですけど。
ここには、無名の学生ミュージシャンが「成功の階段」を登っていく姿が誠実に描かれているのです。
『いきものがかり』はインディーズバンド時代に、こんな工夫をしていたそうです。
そういったなかで、ふと思い立ち、3人がせっせとつくりはじめたものがある。
パンフレットだ。言うまでもないが、もちろん手作り。このパンフレット、パンフレットという名前はついているけれど、その実は全曲の歌詞カードだった。パンフレットと呼んだこの紙冊子になんと全ての楽曲の歌詞を、その日演奏する曲順通りに、きれいに並べてまるごと載せてしまった。つまりセットリストの完全公開。それを入場時、お客さんたち全員に配る。当然ながら無料。ひとたびそのパンフレットを開いてしまえば今日これから行われるライブの曲目がすべてわかってしまうので、ライブ慣れしている人々からは「先に内容がわかってしまったらつまらない」などと当然のように言われてしまいそうなことだが(実際、ドヤ顔で言われたが)、結果から言えば、これが大いにウケた。
そもそも無名のインディーズバンドの曲など、ほとんどのひとは知らないのだ。ライブ中に「あ、この曲いいな」と運良く思ってもらえたとしても、狭い空間で大音量の音が鳴り響くライブハウスの環境では歌詞の言葉はおろかタイトルさえ伝わらずにライブが終わってしまう事が多い。ましてやいきものがかりのライブに来るひとなどは、そのほとんどが路上ライブでついたお客さんでライブハウスという空間そのものに馴染みがない。
「ライブハウスってなんであんなに大音量なの? 歌がなんにも聴こえないじゃん」
水野さんは『いきものがかり』をどうアピールしていくかについて、マーケティングのセンスを発揮してきたのです。
多くのミュージシャン志望者が「プロのミュージシャン視点」で、「ライブのネタバレなんてしたら、面白くないだろ」と思い込んでしまっているところを、自分たちの現状を踏まえて、「興味を持続してもらえるように」工夫したのです。
楽曲がすぐれていたのはもちろんなのですが、『いきものがかり』の成功には「自己プロデュース力」が大きかったように思われます。
『いきものがかり』って、あんまり苦労していなさそうなイメージがあったのですが、これを読むと、周囲が求める音楽と本人たちにとっての「良い曲」が、必ずしも一致していなかったり、修業期間には、かなり厳しく理不尽な扱いを受けたようです。
みんなそんな感じ、なのかもしれないけれど、「デビューする」だけじゃなくて、「売れて、ミュージシャンとして食べていく」というもは、とてつもなく大変なことなのです。
そして、「ちょっと売れた」くらいでは、地方公演にはお客さんは入ってくれないし、すぐに忘れられてしまう。
僕らがメジャーデビューを果たした2006年当時、J-POPという言葉をこんなにも肯定的にはっきりと打ち出して自分たちのことを語るグループは他にいなかったかもしれない。J-POPという言葉が背負わされてきたイメージは、1980年代にその言葉が某在京ラジオ局のもとで生まれて以来、時代ごとに様々な変遷があるが、その頃はまだ、ダサいもの、ありきたりなもの、先進的ではないもの、などといった否定的な意味合いのほうが強かったように思う。
そんななかで僕らは、自分たちのことを自分たち自身で指差して「僕らはJ-POPだ」と明確に宣言していた。そんなグループが「桜」という使い古された、しかしJ-POPにとっては最大のモチーフであるものから、デビュー曲で逃げずに戦ったことは、10年経った今思い返せば、結果として正しい選択だったと思う。
『ヒットの崩壊』という新書で、水野さんの「自分たちが生き残る道を探した時に『真ん中が空いているな』と思ったんです」という言葉が紹介されています。
多くのミュージシャンが「個性的なもの」「他とは違ったもの」を求めて、どんどんマイナーなところ、辺縁に散らばってしまったなかで、水野さんは、「ど真ん中」が空白になっていることに気づいたのです。
『いきものがかり』の音楽は、「ど真ん中のストレート」なのだけれど、真ん中に思い切って投げられるピッチャーは、他にはいなかった。
そこは、「結局のところ、いちばん多くの人が好むゾーン」であるにもかかわらず。
ツアーの合間にひさしぶりに都内に戻ってきたある日、間に合わせで夕飯を済ませようと近所のチェーン店の弁当屋でひとり、総菜を選んでいた。すると自分のとなりに同世代だろうか、若夫婦のふたりが同じようにおかずを選んでいる。
不意に「ありがとう」が店内の有線から流れた。
「あ、これ、ゲゲゲの曲だ。私、この曲好き」
奥さんがそう言うと、それに旦那さんが応える。
「あぁ、いい曲だよね。ありがとうって伝えたくて〜」
旦那さんが、鼻歌を歌う。奥さんが、笑う。
もちろん隣で総菜を選ぶ浪人生のような風体の男がその歌の作曲者だとはふたりとも気づいていない。日常の何気ない夫婦の会話が、ただ、そこにあるだけだ。
それが、やけに嬉しかった。
『いきものがかり』には、「優等生」的なイメージがあるんですよね。
それは、彼等自身にも呪縛になっているのではなかろうか。
それでも、『いきものがかり』は、そんなに音楽マニアではない「優等生」が、ふと口ずさめる歌を、作り続けている。
正直、もっとぶっちゃけてくれたほうが面白そうだけど、とも思うのですが、本当に「誠実な自分語り」だと思います。
「普通の若者が、プロの人気ミュージシャンになっていく」って、こんな感じなんだな、ということを追体験できる、けっこう貴重な本です。