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【読書感想】オムライスの秘密 メロンパンの謎: 人気メニュー誕生ものがたり ☆☆☆☆

オムライスの秘密 メロンパンの謎: 人気メニュー誕生ものがたり (新潮文庫)

オムライスの秘密 メロンパンの謎: 人気メニュー誕生ものがたり (新潮文庫)

内容紹介
食卓の定番、コロッケやナポリタ ンのルーツは、本当はどこの国? カレーはなぜ国民食になったのか。肉じゃがは海軍発祥というけれど。からあげは「唐揚げ」か「空揚げ」か。ハヤシライス誕生をめぐる尽きせぬ不思議……。あなたが大好きな料理は、いったいどうして定番になったのか。文献をひもとき真実に迫る、好奇心と食欲を刺激するおいしいコラム集。『ニッポン定番メニュー事始め』改題。


 いまの日本で食べられている、さまざまな「定番メニュー」のルーツを調べたコラムを集めたものです。
 けっこうありがちな内容だな、と思いながら読み始めたのですが、著者はこれを書くにあたって、あるルールを設定しています。

 このテーマを書く時に決めたことが一つある。それは、文献によってできるだけ事実を明らかにしようと務めたことだ。
 身近な食のルーツはすでにある程度、解明されている。メディアでもその種のネタはたびたび取り上げられ、ネットで検索すれば、かなり詳しい情報も手に入る。そこへ、私が今さら首を突っ込むにあたり、単にそれらの情報をなぞってもしかたがない。
 そこで、「元祖」とされる店から直接話は聞かない、という方針を立てた。なぜなら、直接証言を得たら、その話に引きずられ客観的な判断が下しづらいからだ。おまけに、そうした証言はとっくにメディアに掲載されており、取材から新たな情報が得られる可能性も少ない。ならば一般に出回っている説を、文献によってあらためて検証してみようと考えたのである。


 言われてみれば、こういう「ルーツ検証もの」って、そのメニューを生み出したとされる店に取材をして話を聞く、ということがほとんどですよね。
 それがいちばん正解に近いのだろう、と思いがちなのですが、著者が実際に調べてみると「元祖」とされている店がそのメニューを始める前に、文献(料理のレシピ本や新聞・雑誌の記事など)で、そのメニュー(あるいは、それに似たもの)が日本に存在していた、というものがけっこうあるのです。
 それが、ある店が「元祖」だというのが歴史的事実とされると、悪意はなくても、当事者も周囲も、それを信じて拡散してしまう。
 取材をしなくて良いのならラクで良いんじゃない?とか思いながら読み始めたのですが、このインターネット時代とはいえ、古い文献などはネットで検索できるものばかりではなく、著者の地道な調査には頭が下がります。
 そして、「当事者の証言」は、事実にいちばん近いようで、かえって遠ざかってしまうことがある、ということもわかるのです。


 1927年に横浜で開業した『ホテルニューグランド』で、太平洋戦争後に生まれたと言われている「スバゲティ・ナポリタン」について。

 四代目総料理長・高橋清一による『横浜流』には、「ナポリタン」の名前の湯大が記されている。

 中世の頃、イタリアのナポリでスパゲティは、トマトから作られたソースをパスタにかけ、路上の屋台で売られた貧しい人々の料理だった。当ホテルではそれをヒントに「スパゲッティナポリタン」と呼ぶことにしました。


 この誕生秘話を読んで、私はかすかな違和感を覚えた。なぜなら、フランスには昔から「スパゲッティ・ナポリテーヌ(Spaghetti Napolitaine)」という料理があるのを知っていたからだ。しかし、高橋は「ナポリタン」という名前をその場で思いついたと語っている。イタリアのナポリは、もともとパスタに使われる硬質小麦の産地だ。アメリカ大陸からもたらされたトマトをソースとして和えるパスタ料理は、この地で17〜18世紀頃には存在していた。それがフランスに伝わり、ナポリ風スパゲッティ、つまりスパゲッティ・ナポリテーヌと呼ばれるようになった。
 入江の師にあたるニューグランドの初代料理長サリー・ワイルはスイス人だが、日本に本格フレンチを伝えたフランス料理シェフである。ならば、入江がワイルからスパゲッティ・ナポリテーヌについてなにかしら教わっていたとしても不思議ではない。「ナポリテーヌ」は、日本人の耳には「ナポリテン」と聞こえ、それをさらに呼びやすく「ナポリタン」と変化させただけとは考えられないだろうか。


 著者は、その後の調査で、古川緑波の戦前の日記に「ナポリタン」と書かれていることをつきとめます。ただし、それが現在の「ナポリタン」と同じ料理かどうかはわからない、と保留しつつ、ですが。

 これはあくまでも私の推察だが、もともとはトマトソースを使った西洋料理全般にナポリタンという言葉が広く使われていたのではないだろうか。
 事実、1951(昭和26)年発行の『西洋料理の作り方三百種』には、「マカロニ・ナポリテン」という名前でトマトソースを使ったマカロニグラタンが紹介されている。いろいろあった「ナポリタン」のなかで、炒めた具材とトマトソースにロングパスタを和えるという、現在のナポリタンの原型を世に広く示したのが入江だった可能性が高い。
 ナポリタンの定着における入江の功労は、スパゲッティが日本人に受け容れられやすいよう、ひと手間を加えたことだ。「ニューグランド」のナポリタンは、7割方茹でたパスタを冷まし、5〜6時間置いてからさっと湯通しする。すると、麺はやわらかくなる。こうして、入江は、うどんに慣れ親しんだ日本人にとって、なじみある食感にわざわざ仕立てていたのだ。


 「ホテルニューグランド」の「ザ・カフェ」では、現在でも当時のままのナポリタンが食べられるそうです。


 発祥はこの店、と言われている「定番メニュー」も、実際に文献を詳しくあたって調べてみると「普及のキーポイントになった店」はわかっても、当時の料理本に同じようなメニューが載っていることも多く、本当の「発明者」は、はっきりしない、ということが少なくないようです。
 歴史って、こういうふうにつくられていくものなのだなあ。


 これを読んでいると、いま、日常的に食べているものが、イメージ以上に古くから存在していたり、逆に、新しいものだったりすることがわかります。
 自分の「食べ物についての忘れかけていた記憶」も呼び覚まされます。

 アイスが庶民の身近なおやつになるのは、戦後の混乱が収まってからだ。その口火を切ったのは、1952(昭和27)年に雪印乳業がソフトミックスを使ったバニラ味のスティック状アイスを発売したことだった。以降、各社がカップアイス、アイスモナカといったさまざまなタイプの商品をこぞって開発し、市販のアイスが大量に出回っていく。
 明治乳業がアメリカのボーデン社と提携して「レディーボーデン」を発売したのが1971(昭和46)年。これを機に、高級化と大衆化の二極化が進む。


 「レディボーデン」って、僕とほとんど同じ年齢なんですね。
 子供の頃は、あの大きなカップを丸ごと食べてみたい!と思っていたものです。
 昔に比べて、アイスクリームも気軽に食べられるようになりました。


 また、エビフライについてのこんなエピソードも紹介されています。

 その人気の高さゆえか、1970年代後半にはちょっとした騒動も起きている。消費者から「冷凍エビフライの衣が厚すぎる」との声があがり、衣の厚さをめぐってひと悶着があったのだ。
 たとえば1977(昭和52)年1月19日付の『朝日新聞』朝刊では、「冷凍エビフライころも替え論争」と題し、その騒動を詳しく報じている。記事によると、二年前の冷凍エビフライの生産高は1万8500トンで、コロッケ、シュウマイ、ギョーザ、ハンバーグと並び、冷凍食品のベスト5に入るほどの人気ぶりだったという。売れるハンバーグと並び、冷凍食品のベスト5に入るほどの人気ぶりだったという。売れるにつれて消費者の目が厳しくなり、諸費者から「衣が厚すぎる」とのクレームが目立つようになった。しかし、業界側は衣を薄くしたら、冷凍した時に衣がはがれてしまうと反論。間に立った農林省JAS日本農林規格)を定めようとするが、業界の足並みが揃わずに立ち往生している様子が伝えられている。
 この騒動が決着したのは結局、翌年のことだ.衣の重さをエビフライ全体の60%以下という、それまでの業界の自主規制から、50%以下にまで下げるというJAS規格が定められて落ち着いた。たかだか10%という気もしなくもないが、その10%にこだわるところこそが、エビフライに対する人々の期待値の高さを象徴している。


 「衣が厚すぎる!」って言いたくなることは確かにありますが、こんな社会問題になったこともあったとは……
 なんのかんの言っても、日本の食生活は豊かになったのだな、と思うところも多い本でした。

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