- 作者: 沼田真佑
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/07/28
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- 作者: 沼田真佑
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/07/28
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内容紹介
第157回芥川賞受賞作。
大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。
北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、
ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。
ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。
いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に、
「あの日」以後、触れることになるのだが……。
樹々と川の彩りの中に、崩壊の予兆と人知れぬ思いを繊細に描き出す。
第157回芥川賞受賞作。
読みはじめて感心したのは、「渓流釣り」のシーンの描写の美しさでした。
川のゆるく蛇行して流れるのにつれて、土手全体が両岸の杉や檜の樹影に青く浸されるところに差しかかった。そこは終日日光の恩恵を受けない、ちょうど庭隅のようなスポットなのだ。草花や立ち木もこれまでとくらべひかえめで、より繊弱な造りのものが目立ってくる。葉の緑がほんのり透き通っており、どれもみな紫外線を遠ざけてきた積年の努力に対する見返りのように、あざやかな緑の色つやを全身に纏って自足している。めざす釣り場所にそそぐ川水の白い迸(ほとばし)りが、もうじき見えるんじゃないかとわたしが視線を向けたところに、あたかも行く手を遮るような倒木だった。
精緻な情景描写に、ヘミングウェイの『老人と海』を思い出したり、男ふたりで自然のなかで釣りをしている姿に『ブロークバック・マウンテン』や『リバー・ランズ・スルー・イット』の映像が浮かんできたり。
しかしながら、この作品って、文章や情景描写の素晴らしさの一方で、物足りない感じもあったのですよね。
『老人と海』のように、大自然とそこにいる人間の描写を徹底的にやる作品ならば、納得できるのですが、東日本大震災とかLGBTとかの要素が中途半端に含まれているので、何を言いたいのか、よくわからないというか、これは「奥が深い、何かを読み取るべき小説」なのか、「描写力+インパクトのある要素で、読者を煙にまいて『凄そうに見せているだけ』の小説」なのかと考え込んでしまうのです。
いろんな具を「全部入り」にしてしまったばかりに、味が濁ってしまっている、というか……
そんなに長くない(というか、「これで終わり?」という感じ)小説なのですが、最後のページを読み終えて、僕は「これで本当に終わりなの?」と、続きを探してしまいました。
『老人と海』みたいに、自然と人間の営みを書くのであれば、このくらいのあっさりしたストーリーで、描写で圧倒する、というのは「あり」だと思うんですよ。
でも、この作品の場合は、震災とかLGBTとか友人の「知らなかった一面」とか、さんざん物語に期待をさせておいて、それを投げっぱなしにして終わってしまう。
うーん、これでちゃんと一区切りついているのだ、と言われれば、そうなのかもしれないけどさ。
寸止めの美学なのか、「こけおどし」なのか……
中途半端に「テーマらしきもの」がほのめかされているために、かえって僕にはよくわからなくて、すごくモヤモヤしました。
読んでいると「上手いなあ」って思うんですよ。
けっこう難しい言い回しも多いのだけど、『abさんご』や『道化師の蝶』みたいな「取っつきにくさ」はありませんし。
現実とか、大きな災いと人間なんていうのは、簡単に「ひと区切りつく」ようなものではないのだ、ということなのかもしれないし、それは、「読み取り過ぎ」にも思えます。
芥川賞の選考基準って、よくわかりませんよね、本当に。
選考委員の中にも、この作品の描写力を評価する声と「何を伝えたいのかわからない」「単なる『ほのめかし小説』ではないのか」という意見があったようです。
選考委員が推す作品の傾向も回ごとに違っていて、今回は「純文学の回」だったのかもしれません。
- 作者: 今村 夏子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/06/07
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