- 作者: 菅野俊輔
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2017/03/02
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 菅野俊輔
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2017/09/01
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内容紹介
江戸幕府の八代“暴れん坊"将軍の年収は、なんと1294億円!
その将軍に勝るとも劣らない1000億円超の年収を稼いでいた人物とは?
江戸きっての大豪商である三井越後屋・三井八郎右衛門の驚愕の収入は?
いっぽうで、“宵越しの金を持たない"庶民や、内職が欠かせない下級武士の稼ぎは……
驚くべき年収ランキングから、江戸のリアルな生活事情が見えてくる、興味津々の一冊!
時代劇などで、「江戸時代の庶民の生活」をみていると、みんな生活は苦しそうにみえます。
「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」なんて言うけれど、実際はどんな暮らしをしていたのか。
大名にもお金を貸していたという豪商たちは、どのくらい稼いでいたのか?
この新書、当時の江戸で暮らしていた、さまざまな人々の「収入」について、文献などをもとに算定し、まとめたものです。
江戸に「四文屋」という居酒屋がありました。すべての一品を銭四文で売っていたためで、いまの100円ショップと同じと考えてよいでしょう。そこで、銭四文=100円、つまり銭一文=25円とします。19世紀の幕府の公定価格は、金一両=銀六十匁(もんめ)=銭六千五百文ですから、金一両=約16万2000円、銀一匁=約2700円と算出しました。本書は、この算出によっていまのお金に換算しています。
とりあえず、一文=25円、一両=16万円、と覚えておくと、わかりやすいのではないかと思います。
千両箱って、今のお金でいうと、1億6000万円、ということになるんですね。そりゃ大金だ。
それでは、八代将軍吉宗の収入を探ることにしましょう。幸いなことに、吉宗(在位29年)の時代、享保十五年(1730)の収支データがあります。年収の総額は、金貨に換算して79万8800両です。領地からの年貢が64%で、長崎貿易の運上金や御用金などが残りを占めています。いまのお金にすると、1294億円になります。
ちなみに、「加賀百万石」の前田家は、名目上の石高が102万5000石で、明治初年の実収は135万石あったそうです。年貢以外の収入もあわせると、約1135億円。幕府とそんなに違わないくらいの収入があったようです。
ただ、大きな組織となると、収入は多くても、家来の俸禄などの経費もかなりかかるので、そんなに経営がラクではなかった、ということも紹介されています。
幕府に仕えている人たちも、町奉行のような大役をつとめているとかなりの高収入だったようですが(北町奉行・大岡忠相の年収は約2億2000万円)、奉行所に勤める与力は1134万円、同心は228万円です。
いまの日本の給与制度に比べて、かなりの「格差」があったのです。
もっとも、偉くなると、出費も多かったようなので、そんなに生活はラクではなかったみたいですけど。
職人の給料にふれましょう。19世紀(江戸後期)の『柳庵雑筆』に日雇いの大工の例が載っています。職人の給料は銀貨建てでした。それゆえに、給料の単位は銀の「匁」と「分(ふん)」が用いられています。一匁は10分です。でも、支給は銭貨でした。生活用品の売買は銭なので、職人は銭のほうがありがたかったのです。
事例は、夫婦と子ども一人の三人暮らしで、借家に住んでいます。日給は、銀四匁二分と手当の飯米料が銀一匁二分で、合計銀五匁四分となります。一年間355日(旧暦)のうち、正月と節句、そして悪天候の日が休みとなるため、実働は294日で、年収は銀1587匁6分となり、いまのお金で428万6520円です。
そんな農民の平均的な年収はいくらだったでしょうか? 武蔵豊島郡徳丸村(東京都板橋区)の事例が『柳庵雑筆』に見えるので紹介しましょう。
夫婦二人暮らしのため、繁忙期には日雇い一人を雇うといいます。田んぼ一町からの米の収穫は20石、三斗五俵入りの米俵にすると57俵余となります。畑五反では、大根を生産しています。2万5000本とれるので銭13万5000文になります。畑五反のうち、三反は二毛作で麦六石五斗の収穫がありますが、これはすべて自家消費用とのことです。
いまのお金にすると、米20石は324万円で、大根を売った代銭13万5000文は337万5000円(大根1本は135円)です。米と大根代を合わせた661万5000円が年収となります。なお、税金の年貢は米五石(14俵余)と畑作分銭3000文なので88万5000円です。いまの平均的な農家よりゆとりがあるでしょうか? 手取りは573万円。でも、すべて手作業ですから重労働であり、休みが少ないといえるかもしれません。
江戸(あるいはその近郊)の職人や農民たちは、仕事のキツさはさておき、それなりの収入があったみたいです。
年貢も、時代劇で重税に苦しむ百姓たちのイメージからすると、それほど重くもないのだな、と。
これは、地域差がかなりあるのでしょうけど。
この本を読んでいると、江戸は「高いものはものすごく高く、人々が日常生活で必要としているものは、けっこう安い」という町だったみたいです。
ある意味、現代の日本に近いのかもしれません。
読むと、江戸でいちばんお金に苦労しているのは、経費のわりには収入が少ない、下級武士だった、ということもわかります。
こういう知識を持っていると、歴史の本や時代劇の見方が少し変わってくるのではないかと思います。
結局のところ、酷く描かれているものほど悪くもなく、「江戸時代は良かった」と言いきれるほどラクでもなく、というのが実状だったのでしょうね。