- 作者: 毎日新聞校閲グループ
- 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
- 発売日: 2017/09/01
- メディア: 単行本
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内容紹介
1カ所見逃しただけで0点! 校閲記者は、紙面を守る「ゴールキーパー」。
毎日新聞校閲グループが、日々の業務で見つけた間違い事例を 一挙紹介。 赤入れ(直し)のゲラ写真を示しながら、ミス発覚の状況や どう対処したのかなど、当時のエピソードにも言及する。 さらに、街で見かけた驚きの誤字事例も掲載。 言葉と格闘するプロならではの「ミスゼロ」のノウハウは もちろんのこと、言葉のセンスを磨くためのコツや 日本語表現の面白さや奥深さを余すところなく伝える。 新聞制作を支える「言葉の番人」ともいうべき 校閲記者の醍醐味が堪能できる一冊。
石原さとみさんが主演した『校閲ガール』というドラマの影響もあるのか、校閲という仕事が、あらためて注目されているように感じます。
基本的には「他の人が書いた文章に間違いがないかチェックをして、疑問が生じた場合には書いた人や資料にあたる」という、うまくいっているほど、目立たない存在なのですが、コンピュータが普及し、ネットでセルフチェックのみで発信される言葉を目にすることが多くなると、校正されているかどうかの違いはけっこう大きいな、と思い知らされるのです。
あるとき、毎日新聞校閲グループの一人が「なぜ校閲をやろうと思ったか」を部員に聞いて回りました。
すると、ほとんど例外なく「日本語そのものに興味がある」「新聞は正確であるべきだ」の2本の柱が根底にありました。この柱から、辞書を何冊も開いて比べたり、数字一つに疑問を抱いて調べぬいたりといった校閲記者ならではの姿勢、取り組みが生まれるのでしょう。ニュースを発掘して伝えることを重んじる「記者」や、その情報のまとめ方や見せ方に手腕を発揮する「編集者」とも、そこは違います。
(中略)
読者にとって、新聞が使っている字は正しいはずですし、内容に間違いがなくて当たり前のことと思います。校閲は、その当たり前のことを、ひたすら守る仕事です。
つまり、私たちは紙面を守る「ゴールキーパー」とも言えます。誤りを見逃す=失点しても、自ら点を取りに行って挽回するようなことはできません。けれど、0点に抑えることはできる。負けない試合をすることはできるのです。これこそ校閲の存在意義です。日々さまざまなシュートが飛んできますし、阻止する方法も毎回違います。本書は、その実例をまとめたものです。
この本の最初のほうに、アメリカ大統領選挙で、トランプ大統領の誕生が確実になった際の紙面の校閲が例として示されているのですが、けっこう「ことば」に自信を持っていた僕も、半分くらいしか、その間違っているところを指摘できませんでした。
書いている記者や編集者が間違ってしまう、見落としてしまうところは、「多くの人が同じ間違いをしやすい、あるいは、間違いに気づきにくいところ」なんですよね。
答えを知ってみると「なぜ、こんな簡単なところに目が留まらなかったんだ?」って思うのだけれど。
クイズだったら、「絶対に間違いはある」「間違いの数は何個」という条件があらかじめ提示されているのですが、実際の校閲の仕事は、間違いがあるのかどうかもわからない状態でやるわけです。そんな中で、集中力を持続させていくのは大変ですよね。出版物には締切があって、新聞ともなれば、さらに時間に追われるはず。
誤字脱字はなくても、事実と異なる記述についても、校閲記者は目を光らせているのです。
次は、1945年の「東京大空襲」を題材にしたコラム記事の一節です。どこかおかしいところがあるでしょうか。
その「最適地区」には当夜、入手した食料で7日遅れのひなまつりをし、疎開先から帰った子どもと久々のだんらんを楽しむいつもの人々の日常があった。そんなおびただしい数の人の暮らしを、1600トン以上の焼夷弾によって焼き払った東京大空襲である。
注:「最適地区」は、米軍が事前に砂漠に作った日本の住宅地の模型で燃焼実験をし、東京の下町を焼夷弾攻撃に「最も適した地区」と判定していた――という説を紹介した上での記述。
ヒント:数字に注意とは第3章でも述べた通りです。
(中略)
桃の節句については1945年も3月3日で間違いありません。
そして肝心の東京大空襲の日は1945年3月10日です。「東京大空襲」は日本史辞典などはもちろん、中型なら国語辞典にも載っていますし、過去記事にも度々取り上げられているので確認手段は多岐にわたります。焼夷弾が何トン落とされたかといった数字の確認もできるでしょう。空襲の被害を補償する法律の制定を求める団体のサイトには「1665トン」と書かれていました。研究者や調査元などによって異なる場合もありますが、「根拠」のある数字であることが大切です。
もちろん、こういう数字については、記者は確認していたそうです。
これ、いったいどこが間違っているんだろう?
僕もけっこう考えてみたのですが、結局、わかりませんでした。
さて、この記事を校閲した記者は当初、このようにきちんと確認したつもりでいながら一つの誤りを見逃してしまいました。早版はこの文のまま載り、最終版の前に気がついて筆者と連絡を取った上で直したのです。
数字は大切ですから、3月3日のひなまつりは大空襲の7日前と計算し、「7日遅れ」を確認したつもりになっていました。
正解:その「最適地区」には当夜、入手した食料で6日遅れのひなまつりをし……(以下略)
東京大空襲は夜間ですが、3月10日の未明、午前0時すぎからだったといわれます。ということは、10日の日が暮れてからの「夜」、だんらんを楽しむような日常はありえたでしょうか。あったはずの日常の夜は、9日の夜の日付が変わる前まででしょう。「当夜」はひと続きの夜ですから、9日の日没から10日の未明にかけてを指すとしても、「ひなまつり」ができた日付は9日の側、つまり、「6日遅れ」でないと計算が合わないのです。
「知識」として東京大空襲が未明であったことは頭にあったのに、見逃してしまったのです。ただ、見逃してから何時間もたって改めて読んだときには「別の日」になることができたのでしょう。最終版だけでも直せてほっとしました。
第二次世界大戦の終結から70年以上たち、当時を肌身で知る方が鬼籍に入っていきます。それでも「忘れてはならない」ことを伝え続けるのが新聞の一つの使命です。何年、何十年たとうとも、そこに誤りがあってはいけません。
その「一日の違い」に、そこまで注意をしているのか……
校閲記者たちは、「戦争」を伝えること、そして、伝えるための言葉に、ここまで真摯であり続けているのです。
慣用句には、この文脈で使うのは不適切、失礼ということが多々あります。
「台風の当たり年」はどうでしょう。時々見られますが、「当たり年」は「農作物の収穫の多い年」「ものごとがうまくはこぶ年」(角川必携国語辞典)という意味です。縁起の良い言葉ですから、台風に結びつけるのは間違いというだけでなく、実際に台風被害に遭われた方にはデリカシーのない言葉ではないでしょうか。校閲では「台風の多い年」などに直すようにしています。
新聞というメディアは、多くの人の目に触れるものだけに、こういう「当事者に失礼な言葉」にも気をつけなければいけないのです。
最近僕が気になっているのは、「飯テロ」という言葉なんですよね。
小腹がすくような時間帯(夜中とか)に、美味しそうな食べ物の写真を載せる行為(あるいは、食べ物が出てくるテレビドラマなど)に対してよく使われているのですが、人生の楽しみのひとつである「食事」に、無差別に人の命を奪う「テロ」をあてはめるのは嫌なのです。
僕がこだわりすぎ、なのかな……
人名についてのこんな話もありました。
日本に多い名字の一つ「さいとう」さん。「斎藤」を省略した字が「斉藤」だと誤って覚えている人は少なくありません。中には戸籍名が「齋藤」なのに、新聞社に「斉藤」の字で伝えてきた議員がいました。選挙に出る際には易しい字の方がいいと考えたようです。記者が戸籍名を指摘すると、「簡単な斉でいいよ」と言い、同じ漢字の簡単なものという認識だったそうです。
斉:旧字体は齊。音読み「セイ」。「きちんとそろう・そろえる」ことを表し、「ひとしい」「ととのえる」の訓がある。「一斉」「斉唱」などと使う。
斎:旧字体は齋。音読み「サイ」。「けがれを払う」ことを表す漢字で「ものいみ」の訓がある。転じて「静かに過ごす部屋」という意味となったのが「書斎」の例。
(円満字二郎著『漢字ときあかし辞典』研究社より)
つまり、「斉」と「斎」は全くの別字。
そうか、同じ「さいとう」でも、この二系統がある、ということなんですね。名前の間違いって、本人にとっては気になるものだし、注意しなければ……これを読むと、「さいとう」さん本人も、知らない場合が少なからずありそうですけど。
校閲という仕事に興味がある人やネットで発信している人は、一度読んでみて損はしない本だと思います。
ちゃんと校閲してもらえるって、すごいことだよなあ。
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