
- 作者: 阿門禮
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/10/17
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。

- 作者: 阿門禮
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/11/17
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内容(「BOOK」データベースより)
タブーとは、禁止された事物や言動を意味する。それは、マナーやエチケットのような行為から、差別用語や特定の言葉、権力側が封印しておきたい歴史的・社会的問題まで、幅広い領域にわたる。アメリカ大統領が人種や宗教に関する排他的発言を繰り返したり、日本国内でも公然とヘイトスピーチが行われる現在の風潮のなかで、侮蔑的、差別的なニュアンスをともなう言動について知ることは、私たちの新たな教養とも言える。日常生活、しぐさ、性、食事など世界中のタブーについて学び、異文化への理解を深める一助となる一冊。
「郷に入れば郷に従え」という言葉がありますが、現地の常識や習慣に従う、というのは、当たり前のことのようで、けっこう大変ではありますよね。
僕はいまだに、海外に行くたびに「チップの適切な金額と渡すタイミング」を考えるのがめんどくさくて、レストランで食事をすることがうっとうしくなります。
言うほど海外で食事をする機会があるわけじゃないとしても。
あちら側からすれば、「日本人はチップのことも知らないのか、非常識な連中だ」と思っているのかもしれないし、外国人だからしょうがないな、とわかっていても、ちょっとイラッとはしているのではなかろうか。
僕が、テレビで、「日本語が上手いんだけど、敬語の使い方が間違っている外国人」をみると、「よく勉強したなあ」と思いつつも、ちょっと居心地が悪いのと同じで。
こういうのって、「全く文化が違って、こちらの常識を知らないのが明白な人」よりも、「ある程度わかっていそうに見える人」のほうが、厳しい目で見られがちです。
この新書では、世界各国でのさまざまなマナーやタブー(やってはいけないこと)が紹介されています。
それこそ、国や地域、人の数だけ常識というものはあるので、すべて覚えるというよりは、「自分たちのマナーやタブーで、他者をきつく責めるのはやめたほうがいいな」という「寛容の精神」のきっけかにするべきなのでしょう。
もちろん、旅行先での行動や仕事の相手との付き合いには、あらかじめ「タブーを知っておく」ことは大事なのですが。
いずれにしても心のこもらない握手はタブーである。アメリカで気のない握手をすると「死んだ魚」とよばれて嫌われかねない。
握手は一般的に、親指の付け根まで合わせてしっかり握り、上下に軽く二、三回ふってからすみやかに離すのが良いとされる。しかし握手にもお国柄があるようで、たとえばフランス人はアメリカ人ほど強く握らない。上下に振るということをあまりせず、握手した手をさらに右手で包みこむようにする人びともいる。
なお、日本ではあまり知られていないようだが、握手というのは基本的に男性同士の挨拶だ。欧米のビジネス・シーンでは女性もその仲間に加わるが、女性同士では握手をかわさないのが普通で、男性との握手を好まない女性も少なくない。ゆえに一般的には、男性は女性から手が差しだされたなら握手に応じてもいい。そして女性が握手をしたい時は自分から手を出さなければいけない。
トランプ大統領の握手は評判がよくない。握手を拒んだり、拒まれたりして悪感情が見えることはもちろん、ニュースでしばしば見られる彼の握手は、相手の手を取ると、自分のほうにグッと引き寄せ、軽くポンポンと二~三度叩いてから上下に手を振るというものだ。この叩いて引き寄せるしぐさで、彼が主導権を握ろうとしていることが露骨にわかるという。握手でも、彼を反面教師とするのがいいのかもしれない。
アメリカでは、挨拶として握手をする、ということは知っていても、ここまで細かく見られ、値踏みされているというのを意識している日本人は、ほとんどいないはずです。外交官や海外での商談が多い会社員は、ちゃんと教育されているのでしょうけど。
ちなみに、著者は、挨拶についての話の最後に、こう述べています。
ここで世界各地の挨拶を紹介する紙幅はないので、最後に一つ加えさせていただくなら、慣れない挨拶に出会ったら、まずは軽く会釈でいいだろう。その時の状況、民族によっては、異文化の人間がみだりに真似をするのはタブーだ。かえって非礼と受け取られてしまうことが多い。
この「みだりに真似をしないほうがいい」というのは、けっこう大事なことだと思うのです。
僕は外国の教会や宗教的な施設を観光するとき、祈っている人たちを前にして、信者ではない自分はどうふるまったらよいのだろう、と考えてしまうんですよね。
それこそ「郷に入れば……」ということで、一緒に祈っているフリでもしたほうがいいのか?
そういうのは間違っていて、「自分はこの集団の一員ではないけれど、みなさんの邪魔をするつもりはない」と、おとなしくしているのがいちばんリスクが少ない、ということのようです。
また「忌み数、迷信レベルのタブー」という項では、こんなタブーが紹介されています。
あとで触れるが、ドイツやオーストリアでは18という数字は、アルファベットの並びでAとHで、これは"Adolf Hitler"(アドルフ・ヒトラー)の頭文字を指すとして、自動車のナンバープレートなどで選ぶことができない。法律で禁じられているのだ。
こんなオカルトっぽい忌み数があるのか……と思っていたら、なんと、法律でも禁じられているんですね。
そのほかにも、ナチスの隠語となるアルファベットや数字(NS:Nationalsozialismus ナチズム、やヒトラーの誕生日が4月20日なので0420など)は、車のナンバープレートでは許可されないそうです。
2014年、ドイツで売り出した洗剤「アリエール」(P&G、本社・米国)の容器に、その年の6月に催されるサッカー・ワールドカップにむけてドイツ代表のユニホームがデザインされ、粉末洗剤には「88」、液体洗剤には「18」が印刷された。それぞれ増量サービスで、通常より多い88回、18回の洗濯が可能という意味だったが、市場に出回るや問題視する指摘が相次ぎ、同社は商品の出荷を中止したということがあった。
縁起が悪い数字として、使わない人が多い、というのならともかく、法律で禁止されたり、こんな社会問題になったりするくらい、ドイツは、ナチスとヒトラーという負の記憶を背負い続けているのです。現在でもここまでやっているのか……とも思うのですが。
サウジアラビアに限らず、イスラームの国で、悪気はなくてもタブーをおかしてしまいそうなことがある。その筆頭が、ピカチュウで有名なポケモンだ。2016年7月に「ポケモンGO」として新たな楽しみ方が話題になったが、それ以前のカード・ゲーム時代から、実は、ポケモンはイスラーム諸国では禁じられたり、好ましからざるものとされてきた。厳格なサウジアラビアにポケモンを持ちこめば、逮捕という事態にもなりかねないし、寛容な国でもイスラーム教徒たちのタブーをおかすことになる。
ポケモン・グッズの何が問題なのだろう。一つは、ポケモン・カードがイスラームで禁じられている偶像崇拝にあたるとされていることだ。特定のキャラクターが描かれたカードを熱中して集めることが、偶像崇拝的だと判断されたという。そして二つめが、カードを交換し合い、数を増やしていくゲームにギャンブル性があるということだ。イスラームでは賭け事が禁じられているからだ。そして三つめは、キャラクターが変容、進化していくことだという。神が創造した人間の祖先がサルであるなどということは教えに反しているとして、キリスト教右派と同じように、イスラームでもダーウィンの進化論がタブーとされているからだ。
寛容なエジプトでも、ポケモン・カードの星のマークがユダヤのダビデの星を想起させるという理由も加わって好まれていない。
ポケモンでもだめなのか……ビックリマン・シールならわかるような気もするけど……
まあ、それは「こちら側」の考えでしかなくて、あちら側にとっては「宗教的に認められない」のだから、説得できるようなものではありませんよね。
実際に役に立つ機会はそんなにないかもしれませんが、すごく興味深い本でした。
あらためて考えてみると、僕は「日本のタブー」にも、けっこう知らないものがあるのだよなあ。