琥珀色の戯言

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【読書感想】外道クライマー ☆☆☆☆

外道クライマー

外道クライマー


kindle版もあります。

外道クライマー(集英社インターナショナル)

外道クライマー(集英社インターナショナル)

内容紹介
従来の冒険ノンフィクションと一線を画した「冒険界のポスト・モダン」。その書き手が宮城公博だ。アルパインライミングの世界では、日本で十指に入るという実力者であり、数ある登山ジャンルの中で「最も野蛮で原始的な登山」と呼ばれる沢登りにこだわる「外道」クライマー。「人類初」の場所を求めて生死ぎりぎりの境界に身を置きながら、その筆致は時にユーモラスで読者を惹きつけて止まない。世界遺産那智の滝を登攀しようとして逮捕されたのをきっかけに、日本や台湾、タイの前人未踏の渓谷に挑んでいく。地理上の空白地帯だった称名廊下、日本を代表するアルパインクライマー佐藤裕介と共に冬期初登攀を成し遂げた落差日本一の称名の滝、怪物のような渓谷に挑んだ台湾のチャーカンシー……。そして「誰もやったことのない登山」をめざして行った46日間のタイのジャングル行は、道に迷い、激流に溺れかけ、飢えに耐え、大蛇と格闘する凄まじい旅だった。


 著者は、世界遺産和歌山県那智の滝を登ろうとして捕まった人だったのか……
 2012年7月に起こったこの事件、僕もネットで知って、「バカなことをする人たちがいるものだ」と思った記憶があります。僕も一度だけ行ったことがあるのですが、ものすごく神々しさを感じる滝なんですよね。
 何も「ご神体」にわざわざ登らなくても……
 目立ちたいだけの愉快犯なんだろうな、きっと。


 ただ、そんな僕も、1974年にワールド・トレード・センターのツインタワーの間を綱渡りしたフィリップ・プティの行為には、ロマン、みたいなものを感じてもいるのです。
 なんでなのかなあ、ワールド・トレード・センターは「ご神体」ではないから、なのか、あまりにも危険すぎて、圧倒されてしまうのか、それとも、当時のニューヨークでは、やはり「迷惑行為」として糾弾されていたのか。

 なぜ私たちが、あきらかに登ることが許されないであろう御神体那智の滝を登ろうと思ったのか、答えはシンプルだ。別に目立ってやろうとか、名を売ってやろうなんて考えは毛頭ない。国内の岩壁や大滝が登り尽くされたこの現代に、未だ日本一の滝が未登のまま残っている。しかも滝の形状は国内の滝では他に類を見ないほど見事に整った一枚岩。そんなものがある以上、沢ヤなら登りたいと思わないほうがおかしいのだ。沢登りを始め、那智の滝の存在を知って以降、私は何年もこの課題のことを考え続けた。
 しかし、滝は御神体であり、自然崇拝の対象としては日本有数の参拝客を集めている那智の滝だ。幾人かに登攀の計画を話したが、一緒に登ってくれる山仲間など誰もいなかった。だが、それに二人だけ賛同する男がいた。それが佐藤と大西だ。聞けば、私から那智の滝計画を知らされる以前から、二人ともこの滝を登攀の対象として考えていたのだ。それから滝の登攀を実行するまでに時間はかからなかった。


 こんなのは言い訳で、売名行為だろう!と決めつけるのは簡単なのですが、この本を読んでいると、宮城さんの「狂気」みたいなものを感じずにはいられないんですよ。
 あるいは「冒険に対する純粋さ」というべきか。
 生粋の山男というか、「野人」というか。
 自分の欲望に忠実に生きる人であり、大自然のなかで、自分の命を危険にさらすことに生の充実を感じる人。
 結局、僕のモノサシで測ることなんて、できない人なのだろうな。
 ちなみに、那智の滝を登ろうとした3人は、世間からの大バッシングにさらされ、仕事やスポンサーを失うなどの「社会的制裁」を受けたそうです。
 そりゃそうなるだろう、とは思うけれど、「じゃあ、そんなにお前らは『那智の滝』を真剣に信仰しているのか?」と言われると、ちょっと考えてしまうところもあります。
 アボリジニの聖地である『ウルル(エアーズロック)』に大勢の観光客が登っているのも事実ですし(2019年10月29日から、登れなくなるそうです)。


 「冒険者のモラル」の問題にはなかなか結論が出ないのですが、この本にはその宮城さんの「沢ヤ」としての冒険の様子が赤裸々に描かれており、大変面白く読めました。
 

 日本発祥の沢登りには、合理的でスポーツ的要素の強い西洋的アルピニズムとは違う独自の趣きがある。薮を掻き分け、道のない渓をたどっていけば、シカ、イノシシ、カエル、ヘビ、アブと多くの生き物との出会いがある。彼らと共生するように、自然の内院に入り込んでいけば、自然が生み出した神秘的造形に巡り合える。そこに神の存在さえ見いだす者もいる。このような登山は、アルプスのような氷河と岩峰で造られた無機的な世界ではかなわない。
 沢登りではときに厳しい登攀を要することもあるが、西洋的アルピニズムとは違い、そこで単純にルートの困難さやスピードを求めることはあまりしない。登るのが難しそうな滝があれば、高巻いて滝を越えればいい。
 焚き火に酒、釣りに山菜取りと多様な楽しみを求めていい。多くの沢ヤは、登山の道中、寄り道をして足を止めることに寛容だ。途中に天然温泉が湧いていれば浸かって焚き火をするし、魚がいれば釣りをして、木の実があれば齧ってみる。その寄り道が原因で、時間切れになって山頂にたどり着けなかったとしても、沢ヤなら寄り道を優先する。


 というのを読むと、なんだか自然を尊重するオトナのアウトドアなんだな、と思うのですが、この本で描かれている実際の沢登りの様子を読むと、そんなに「綺麗なもの」でもなさそうです。

 右手は今にもちぎれそうな草を鷲掴みにし、左手は粘膜たっぷりのカエルの穴蔵に突っ込む。両足は泥だか岩だか分からないようなものに乗せ、なんとか手を伸ばして這い上がろうとすると、次に摑まなければならないのはヘビがとぐろを巻いている細い枝だ。下は濁流が渦巻いており、落ちればどう考えても助からない。「頼むぞ」と声を上げ、まさに頼みの綱であるロープを握っているパートナーを振り返れば、なんとロープなんぞ握っていない。両手を離して煙草に火をつけるのに必死でロープのことなんて忘れている。
 と、さすがにここまでひどい状況はそうそうないが、野蛮で原始的な沢登りの世界には、それにふさわしい野蛮で原始的な人間が多いのだ。
 免疫力が落ちるという意味不明の理由で風呂に入らない男。「歯磨き」という小学生ですらする行為をやったことがない男。沢帰りの電車で靴下を脱いで、あまりの足の臭さに異臭騒ぎを起こした男……。沢ヤの世界では世間の常識どころか、世間から見れば破天荒とされる山ヤの常識ですらまったく通用しない。沢登りの王道は「臭い」「汚い」「危険」の3Kとも言われている。

「ここで水を汲んでおこう」
 雪山では基本的に、水は雪や氷をガスストーブで温めて溶かして作る。時間のかかる作業なのでここで水を汲んでおけば、翌日の登攀に備えて少しでも睡眠時間を確保できる。佐藤はザックからポリタンクを取り出した。前夜、テントの中で小便を入れていたものだ。風雨のなかでテントから出て小便をするのは大変な作業なので、雪山ではテント内でポリタンクに小便をすることも多い。小便用ポリタンク、略してションポリだ。
「ションポリだけど、洗えば気にしないよな?」と佐藤が言うので、
「俺がそういうの気にするように見える?」と、ションポリをちょっとすすいで水を汲み始めたら、佐藤は「ちょ、いくらなんでもそりゃないでしょ。もっと綺麗に洗ってください」と怒りだした。細かいことを気にしない男だと思っていたが、さすがにゆすぎ一回だけでは許せなかったらしい。


 これを読んで、半ば呆れつつも笑ってしまったんですよね。
 ほんとにもう、こういうワイルドの極み、みたいな人たちを常識で縛ってもしょうがないのかな、って。
 いきなり大蛇と格闘したり、パートナーに対する不満を赤裸々に書いていたり、読みどころも満載です。
 ただ、「こういう挑発的な書き方は苦手」っていう人も少なくないだろうから、好みは分かれるのではないかと思います。
 それでも、「冒険本」好きには、たまらない一冊ですよ。
 

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