琥珀色の戯言

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【読書感想】武士の碑 ☆☆☆☆

武士の碑(いしぶみ) (PHP文芸文庫)

武士の碑(いしぶみ) (PHP文芸文庫)


Kindle版もあります。

武士の碑 (PHP文芸文庫)

武士の碑 (PHP文芸文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
西郷隆盛が下野したとの報に接した村田新八は、フランスから帰国。大久保と西郷の“喧嘩”を仲裁するため、故郷である鹿児島へ向かった。だが大久保の挑発に桐野利秋らが暴発して挙兵、新八もそれに否応なく巻き込まれていく。ここに、わが国最後の内戦・西南戦争が始まった―。西郷・大久保の後継者と目された村田新八を主人公に西南戦争を真正面から描いた渾身の長編小説。怒涛の展開、衝撃の結末!著者が初めて近代史に挑んだ新境地。


 三谷幸喜さんは、清洲会議を「日本で最初に話し合いで歴史が動いたイベント」として描いていたのですが、伊東潤さんは、西南戦争を「(現時点での)日本史上最後にして最大の内戦」として描いています。
 西郷隆盛と大久保利道の軋轢から、西郷の帰郷、そして、周囲に外堀を埋められてしまったかのような、西郷の挙兵……
 この小説は、西南戦争での薩摩軍の熊本城攻撃から田原坂での激闘、圧倒的な戦力を誇る官軍に敗色濃厚となってからの苦闘、そして、城山での西郷の死。
 伊東さんは、西郷隆盛を客観的に描くのではなく、フランスへの留学経験もあり、大久保利通とも昵懇ながら、西郷に最後まで従った、村田新八という人物の視点から、薩軍西郷隆盛という人物を描いています。
 よくここまで調べたな、と思うくらい、西南戦争での両軍の戦闘の様子や犠牲者の数が詳細に書かれているのです。
 これを読んでいて感じたのは、「最初から苦戦続きだったのに、薩軍は、よくぞここまで最後の最後まで粘り強く戦ったものだな」ということでした。
 薩軍の勢いがあったのは、熊本城を囲むまでで、そこからは、圧倒的な火力や装備の差、そして、補給能力の差で、薩軍はどんどん押し込まれていきます。
 にもかかわらず、終盤まで、彼らは敢闘しつづけたのです。


 僕は歴史の教科書で、「西南戦争」について学んだとき、「時代の流れを読めない旧士族たちの往生際の悪い抵抗」だと感じました。
 後世の人からみれば、その通りなのだと思う。
 でも、その時代の人々が置かれた状況をなぞってみると、「それ以外の選択肢は考えられない状況」に陥っていたのだろうな、と。
 

「内戦」なだけに、「逃げ場がない」のも事実だったのでしょうが、それにしても、薩軍は、よくここまで戦ったものだと思います。
 しかし、西郷隆盛という人は、自分が鹿児島にいたら、こういう結末になるということが、わかっていたのではないか、という気もするんですよね。
 東京で隠居していれば、こんなことにはならなかったのではなかろうか。
 故郷に帰りたかったのだろうか?
 それとも、死に場所を求めていたのだろうか?

 
 西郷さんは、終始積極的に戦おうとはしていなかったように見えるのです。
 にもかかわらず、多くの人を巻き込んでしまった。
 もしかしたら、西南戦争というのは、大久保さんと西郷さんの暗黙の諒解のような形で、「武士」たちに時代の変化を思い知らせるために行われたのかもしれないな、なんて、考えてもみるのです。


 ところで、この『武士の碑』という小説、すごく面白いし、薩軍の「滅びの美学」みたいなものが切々と迫って来る作品なのですが、僕は「西郷隆盛の最期」の場面が、すごく引っかかってしまっているのです。
 「本当にこんな死に方だったのか?」と、ネットでいろいろ調べてみたのですが、どうもこの小説の西郷の死にかたは、史実とは異なるようです。
 小説的には、おさまりがいいというか、美しいのだけれども、「フィクション」で、登場人物にその役割を負わせても良いものだろうか……と考えずにはいられなくて。
 学術論文ではなくて、歴史小説なのですから、ある程度の嘘や虚飾が混じっているのは、当然のこと……のはずです。戦国時代や、大坂の陣くらいまでならば、史料そのものが十分でないこともあり、作者が想像で埋めることに違和感は少ないんですよ。
 でも、「西南戦争」くらいの時代となると、いや、村田新八は、そんなことしてないだろ……と、言いたくなってしまうのです。
 僕の感覚としては、江戸時代までは「時代劇の世界」で、明治維新以降は、今の自分たちと地続き、という感じがするんですよね。
 それだけに、「小説」であっても、なんだか違和感が拭えなくて。
 

西郷隆盛伝説の虚実

西郷隆盛伝説の虚実

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