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【読書感想】西郷隆盛 維新150年目の真実 ☆☆☆

西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)

西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書 536)


Kindle版もあります。

西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書)

西郷隆盛 維新150年目の真実 (NHK出版新書)

内容紹介
最新の研究成果を盛り込んだ決定版
都会的、エレガント、手先が器用、涙もろい……。
無数の証言から浮かび上がる、史上最大のカリスマの素顔。
物腰が優雅でスマート、この上なく男前。計算が得意で経済に明るく実務能力も高い。人目をはばからず涙を流し、人の好き嫌いが激しく、神経がこまやかでストレスに悩まされる……。徳川将軍から園の芸妓まであらゆる人々の証言を読み込み、西郷をめぐる七つの謎を解きながら〝大西郷〟の実態を活写。数々の新視角を世に問うてきたトップランナーによる、誰にも書けなかった西郷論!


第一章 なぜ西郷は愛されてきたのか
第二章 残された七つの〝謎〟を解く
第三章 何が西郷を押し上げたのか
第四章 西郷の人格と周囲のライバルたち
第五章 なぜ自滅したのか
第一人者が多面的に描き出す「本当の西郷さん」


 今年のNHK大河ドラマの主役は西郷隆盛
 西郷さんを鈴木亮平さんが演じるということで、あの『変態仮面』をやっていた人が大河ドラマの主役か……と感慨深いものがあります。
 鈴木亮平さんのことですから、変態仮面大河ドラマの主役も全力投球のはず。
 

 大河ドラマの主役となると、その関連本がたくさん出るのはもはや恒例なのですが、この新書は幕末維新史を専門とする歴史学者によって書かれたもので、これまで多くの人が持っていた西郷隆盛のイメージや維新での役割などについて、さまざまな一次史料をもとに新たな知見を示しています。
 ただ、西郷さんの名前と勝海舟との江戸城引き渡しと西南戦争で落命したことくらいしか知らない人にとっては、新書ながらちょっと敷居が高い内容ではないかと思うのです。
 同じ著者が、2017年の8月に『西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ』という600ページのボリュームの本を上梓しており、この新書の内容には「この本に書ききれなかったこと」が多く含まれています。



 著者としては、まずこの『西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ』のほうを読んでもらいたい、という気持ちなのかもしれませんが、この新書を手にとる人は「とりあえず、大河ドラマの主役として流行りそうな西郷隆盛の大まかなところを抑えておきたいな」という感じじゃないかと思うのです。
 そこで、「西郷隆盛の人生については、前著のほうを参照してほしい」と言われると、ちょっと辛いよね。
 もちろん、同じような内容のものをたてつづけには出せなかったのでしょうけど、それこそ、新書のほうは、ダイジェスト版で良かったのでは……

 本書の柱をなすものは、(1)現代のわれわれの眼から見れば辺境に属する地にあった薩摩藩が、なぜ幕末維新史において飛び切りの主役の座を射止めることになったのか、(2)その薩摩藩内にあって真の主役ははたして誰であったのか、(3)西郷隆盛が幕末維新史上で余人をもって代えがたい「図抜けた存在」にまで昇りつめたのはなぜか、といった問題の解明である。


(中略)


 だが、冷静に考えれば、一介の下級藩士にすぎなかった彼らが、大手を振って幕府首脳らと張り合えたり、藩をリードできるはずはなく、真の主役は他に求められて然るべきであろう。そして、近年の最新の研究では、薩摩藩の幕末史に関しては、第二十九代当主島津忠義(1840〜97)の実父として藩の最高権力者の座に就いた島津久光(1817〜87)および、久光の篤い信任を受けた家老小松帯刀(1835〜70)の両人こそ、真の主役であったと見なす妥当な評価が次第に定着しつつある。本書ではこのことを取り上げたい。


 この本を読んだかぎりでは、この両者が権力者として薩摩藩の最終決定権を握っていたのだから、彼らが真の主役だった、というような捉え方のように感じたんですよね。
 でも、それって、どんなに現場の社員が頑張って新しい製品を開発しても、それは社長や会長のおかげ、っていうのと同じような気がします。
 研究者の判断と歴史小説好きの思い入れを等価にしてはいけないのかもしれないけれど。

 およそ、この西郷ほど、多くの日本人(とくに男性)の間で深く愛され続けてきた人物はいないであろう。国会図書館の関係者が昭和40年代の半ば過ぎに行った、主として法律・政治方面に関わった人物に対する文献調査によると、第二次世界大戦前と後の双方を通じて、断トツの人気を誇ったのは西郷であったという。そして、近年なされた与野党を問わない当選二回の全衆議院議員に対する新聞社の調査でも、明治維新以降の日本で尊敬する国家指導者は誰かと問うて、まず一番に西郷の名前が挙げられている(ついでに記すと、西郷以外に多くの票を集めたのは、大久保利通原敬、それに石橋湛山だった)。
 こうしたことを受けて、西郷にふれた書物や記録は、頗る多くなる。そして、これには、西郷の語った言葉を収録した『南洲翁遺訓』の魅力が大きく与ったことは間違いない。例えば、その内の一つとしてよく挙げられるものに、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末(仕末)に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(幕臣山岡鉄舟を評した言葉)がある。私が思うに、この言葉が多くの人の心を鷲掴みにしたのは、いつの時代も「命が惜しい」「名誉と金が欲しい」といった人間が巷に満ち溢れているからであろう。だからこそ、こうした言葉を吐いたとされる西郷に「無私無欲」で「純粋な心」を持つ理想の人間像を見出し、世の人々は心を激しく揺さぶられてきたのであろう。


 当選二回の全衆議院議員に対する調査で、いちばん尊敬されている指導者は、西郷さんなのか……
 そのわりには……と、思うわけです。
 みんな理想に燃えて政治家になったり、権力を得たりするのだけれど、ずっと「無私無欲」であるのは、すごく難しい。
 もしかしたら、「無私無欲の人間であることを世の中に示したい」というのは、最大の「欲」なのではないか、とも考えてしまうのです。
 

 西郷隆盛という人について、正直、僕はそんなに詳しく知っているわけではないし、「西南戦争なんていう無謀にみえる戦いに、あれだけの人が付き従ったのだから、よほど魅力的な人なんだろうな」と解釈しているところもあるのです。
 著者は、西南戦争で、かなり早い時期から西郷軍の敗色が濃厚で、兵士の質は落ち、食糧や弾薬が不足し、巻き返せる可能性が極めて低い助教になっても、西郷が戦いをやめなかったことについて疑念を呈しています。
 西郷軍は弾薬の不足から、政府軍が撃った弾丸を拾って撃っていた、という記録もあるそうです。

 だが、自軍がこのような有様となっても西郷は戦争を継続した。すくなくとも、戦争を終わらせようとはしなかった。そして、そのことが後の世に、西郷への強い批判(嫌悪)を表明する人物が時に出現することに繋がった。再度繰り返すことになるが、勝敗がほぼ決まった後も、西郷が執拗に戦闘の継続にこだわったために、結局、官軍と西郷軍の双方を合せて三万人を超える戦死者と負傷者を出すことになったからである。これは、ペリー来航から西南戦争時に至る間に出た維新革命の犠牲者数の中で、飛び抜けて多いものであった。そういう意味で、西郷の罪は大きかったと言わねばならない。
 そうしたことはさておき、幕末時に、島津斉彬月照が亡くなった後、自殺願望を胸に秘めながら西郷は生きたと思われるが、その西郷が、なぜ城山まで多くの部下を引きずりこんだのか。さっぱり、その意図が解らない。むろん、西郷が自身の死を恐れたとは思えない.事実、先の長井村での戦いでは、それまで一度も前線に出ようとしなかった西郷が初めて指揮を執った。おそらく、ここで戦死を遂げようと覚悟を決めたのであろう。だが、周りに説得されると、可愛嶽を突破する奇襲作戦に同意を与え、結果として鹿児島への帰還を果たすことになる。ところが、その鹿児島の地においても死に急ぐような素振りを見せず、そのため桐野利秋が背後から西郷を射殺したとの説が残されたぐらいであった。この点が、どうにもこうにも解らない。


 僕にとっては、なぜ西郷隆盛はあのタイミングで、鹿児島で挙兵したのか、というところから、すでに、よくわからないんですよね。政府の高官であり、政府軍の実力も知っていたはずの西郷が、なぜ、多くの自分を慕うものたちを巻き込んで(西郷のほうが巻き込まれたのかもしれないけど)、あんな無謀な戦いをはじめてしまったのか。
 そして、なぜ負けがほぼ確定したあとも、戦い続けたのか。


 著者は、「極端な推論だと十分に承知したうえで」、あえてこう述べているのです。

 それは、ひょっとしたら、西郷の中に自分のために死んでくれる者がいることを無上の光栄(名誉)だと感じる気持ちがあり、これがこうした不可解な行動に結びついたのかもしれないというものである。
 西郷のことをよく知る前述の重野安繹が、西郷について語った回顧談(『西郷隆盛全集』第六巻)中に、次のような記述がある。「西郷の人と為りは、……人と艱苦を共にするというところが持前で、……西郷のためならば死を極めてやるという、所謂死士を得ることは自然に出来るので、それが面白くてたまらない。何でも下の者を手足のように使い廻すのが、一生の手際と思って居るから、自分も努めてする」
 このような重野の指摘を念頭に置くと、私にはひょっとしたらという思いがよぎる。およそ、人間にとって、最高の満足感を与えてくれるものは、自分のために生命を投げ出してくれる相手がいることではなかろうか。昔、同僚の教師から「自分の子供のためなら死ねるかもしれない」と呟かれたことがあった。私は、この言葉は、いまでも我が児に対する最高の愛の言葉だと受け止めている。それはともかく、私の推論に対しては、是非の下しようがないので、この点に関する記述はここで終わりにしたい。


 この指摘、僕はすごく印象に残ったのです。
 もちろん、西郷にも周囲の人々にも悪意はなかったのだけれど、西郷隆盛という人は、自分のため、あるいは自分の理想のために命を投げ出してくれる人がいる、という状況に、いちばん「生きがい」を感じていたのではなかろうか。
 無謀だったからこそ、西南戦争をはじめたのだし、最後まで多くの同志を巻添えにしながら、戦い続けたのではないか。
 こうして考えると、キューバで革命を成し遂げたにもかかわらず、その革命に異議を申し立て、新たな革命のためにアフリカや南米で戦い続けたチェ・ゲバラと似ているような気がするんですよね。
 西郷隆盛は、卓越した革命家ではあったけれど、平和な時代を生きるのには向いていなかったのかもしれません。


 西郷隆盛大久保利通の「本当の仲」など、他にも興味深いところがたくさんありました。
 「西郷さんのことは、ひととおりは知っている」という人には、新しい切り口を提示してくれる本だと思いますよ。


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