琥珀色の戯言

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【読書感想】SNSは権力に忠実なバカだらけ ☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
誰よりも正しいミュージシャンの新書シリーズ第3弾!今、ロマン優光が今最も気にかかる存在は、権力に忠実な人たち。長いものに巻かれているだけなのに、どうしてあそこまで偉そうになれるのでしょう。不思議でなりませんよね~。そんなヤバいやつらから絶大なる信頼を置かれている権力側の人々もなかなか興味深いものがあります。「あはは~!おもしれ~!」と一笑に付しておけばいいのですが、バカを野放しにしたら、近い将来、大変な事態になりかねません。日本国民を正しい道に導くために、僕らのロマンが筆をとった次第です。読むしかないでしょう!


 挑発的なタイトルと裏腹に、内容はしごく真っ当というか、正直、真っ当すぎて「ありがちなネットリテラシー本」という印象でした。
 ただ、ネットリテラシー(ネットの情報を適切に利用できる能力)に対して語る人というのは、概して、「上から目線」になりがちで、それが「本当に届いてほしい人には届かない」理由にもなっているので、これまで、そういう「説教本」を敬遠してきた人たちが、面白そう、と、この本を手にとってくれれば、意義はあるのでしょう。
 
 
 著者のロマン優光さんの前作『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどのに』は、その「内部告発感」が魅力だったのですけど、今回はそんな感じではありません。
 「常識的なSNS論」+新書で200ページにするために、小沢健二さんの話やミスiDの章を加えたのではなかろうか。
 

 SNSには、「根拠もなく、あるいは、捏造されたり曲解されたりした根拠で批判される人々」がたくさんいるのです。
 「友人がInstagramに投稿した『中国の現代美術家アイ・ウェイウェイ氏の作品「天安門広場で中指を立てる写真」』に「いいね」をつけたということに対して批判された水原希子さん。

 その写真の背景や意味合いがわからなかったために不適切な画像に「いいね」をつけてしまったと説明しています。これも本当にそうなのでしょう。年齢的に天安門事件のことを知らなくても不思議ではないですし、そうであれば、あの写真を単に美しい作品として受け取ってしまうでしょう。


 人は、自分の常識=世の中の常識だと考えがちです。
 今の20代前半くらいの人と話をしていると、僕の世代にとっては「忘れることができない事件」だった、オウム真理教の一連の事件や阪神淡路大震災も「そういうことがあったのは知識として持っているけれど、歴史年表のなかの出来事」になっているんですよね。
 僕にとっての太平洋戦争やベトナム戦争が、そうであるように。
 天安門事件は1989年で、水原さんは1990年生まれだから、「実感」などないのが当たり前です。
 もちろん、大勢の人の前に出る仕事をしている人間として、不用意だとたしなめることは可能でしょうけど、自分が投稿したわけではなく、知人が投稿した写真に「いいね」をつけることで、ここまで叩かれるのか……と僕も驚きました。
 まあ、こういうのって、1970年代はじめの生まれの僕が、「はじめてテレビゲームで遊んだのはプレステ2でした」っていう若者に「ファミコンのゲームも知らないのか!」と言うようなものですよね。そりゃ知らないのが当然だよ。
 

 それに、ある事件を「歴史の一部」として後世の人間が知ることができても、「リアルタイムでは、どうみられていたのか」は、伝わっていないことが多いんですよね。
 著者は、オウム真理教について、こう述懐しています。

 恥ずかしい話ですが、オウム真理教の本拠地である上九一色村の教団施設に警察が乗り込んだ時に、あまりにも突拍子もない話に、当初私は政府による陰謀すら疑ってしまいました。あんなバカバカしい連中にそんなだいそれたことができるわけがないではないかと。それぐらいオウム真理教は非常識であるが無害に見えたし、バカバカしい存在に見えていたのです。次々に明らかになっていく事実の前に私は猛省することになります。


 そして2つの教訓を得ました。どんなにバカバカしい存在に見えても、それを信じる人間がいる以上、その力をなめていてはいけないということ。理解しがたいこと、自分の考えと違うことが起こったとしても、納得できないからといって陰謀論に走ることは絶対にしてはいけないということ。この2つです。


 数々の事件への関与が暴かれる前のオウム真理教は、学生だった僕たちにとって、格好の「笑えるネタ」だったのです。空中浮揚とか、オウムソングとか……
 たぶん、後世、はじめて「オウム事件」を知る人は、オウム真理教に、そんな、「イジリやすさ」みたいなものは感じないはず。
 そういう意味では、某宗教団体の「霊言」とかも、あんまり面白がってばっかりだと危険なのかな、と思うのですが、思いつつも、つい、採りあげてしまうのだよなあ……


 ベストセラー『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』についても言及されていて、書店でこの本をパラパラとめくってみた僕が受けた衝撃(なんでこんなのがベストセラーになるんだ!しかも、書いているのは『世界まるごとHOWマッチ』でイケメン(という言葉は当時はありませんでしたが)のインテリ弁護士だった、あのケント・ギルバートさん! 同じケントならデリカットさん、あるいは、チャック・ウィルソンさんの間違いなのでは……(すみません風評被害ですねこんなところで名前を挙げるなんて)

 儒教に支配されているからあいつらはダメなんだと言わんばかりのタイトルですが、そもそも日本も儒教の影響が強い国ですよね。儒教の影響による強い上下秩序が両民族に悪い影響を与えているという主張がされていますが、日本だってこういうところがあります。江戸幕府朱子学が採用されたのは、上下秩序の確立という目的であったわけで、その影響は今の社会にも根強く残ってると思うのです。


儒教に支配された」とタイトルで謳ってはいるのですが、本文を読んでみると矛盾が目立ちます。ケントさんによると、仁義礼智信といった儒教の良い部分が文化大革命の時の弾圧で失われてしまって最悪の部分しか残ってないらしいのですが、それだと儒教に支配されていることにならないのではないでしょうか。儒教に精神的に支配されていたら弾圧なんかできないし。
 韓国の社会問題について言及されることがあるのですが、ケントさんはそれについて詳しい言及をするわけではありません。間違いなく儒教についてはほとんど知らないのです。
「遺伝的に悪いヤツラなんだ!」とはさすがに言えないので、無理矢理に両者の共通点を探して見つけたのが儒教なわけですが、ケントさん自身が儒教について知らないので、よくわからないことしか言えないのです。まあ、「あいつらは糞!」みたいな話が読めたら喜ぶ人たちには根拠がどんなにめちゃくちゃでも気にならないのかもしれませんが。


 最悪の部分しか残っていないのに「儒教のせい」だと言うのであれば、それこそ、オウム真理教も「仏教やヒンドゥー教が悪い」という話になってしまいますよね。
 こういう本がベストセラーになっているということは、買って読んでいる人が大勢いるということでもあるし、それがお金になるということで出している出版社が存在しているのです。編集者も、読んで「何だこれは」って、思わなかったのだろうか。
 

 どんなにインターネットで多くの情報がすぐに入手できるようになったとしても、いや、そうなったからこそ、「人間というのは、正しいから好き、間違っているから嫌い、ではなくて、好きなものは正しいと感じるし、嫌いなものは間違っているところをピックアップしてしまう生き物なのだ」と僕は感じるようになりました。
 自問してみると、僕自身にも、そういう面は少なからずあるのですよね。
 乗り越えるのは難しいことだけれど、そういう傾向がある、というのは、意識しておいたほうが良いと思います。


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