- 作者: 門井慶喜
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: 門井慶喜
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内容(「BOOK」データベースより)
宮沢賢治は祖父の代から続く富裕な質屋に生まれた。家を継ぐべき長男だったが、賢治は学問の道を進み、理想を求め、創作に情熱を注いだ。勤勉、優秀な商人であり、地元の熱心な篤志家でもあった父・政次郎は、この息子にどう接するべきか、苦悩した―。生涯夢を追い続けた賢治と、父でありすぎた父政次郎との対立と慈愛の月日。
第158回直木賞受賞作。
宮沢賢治といえば、『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』などの作品で、教科書でもお馴染みの作家です。
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、農学校の教諭をしながら、詩や童話を書いた、という誠実で貧しい人々に寄り添った生涯のイメージが強いのですが、この小説では、その宮沢賢治が父親・宮沢政次郎の視点で描かれています。
質屋の跡継ぎとして育てられ、成績優秀だったものの、父親に「質屋に勉強は要らない」と進学を認めてもらえなかった政次郎は、自分と同じように成績優秀で、興味があることにはすごい集中力を発揮するのだけれど、物事を「割り切ってやる」のが得意ではない長男・賢治への共感と不安を抱きつづけるのです。
後世、作品が語り継がれ、偉大な作家として現代でもファンが大勢いる宮沢賢治も、その父親にとっては、「勉強はできるけど、商才には欠ける、可愛くてしょうがないのだけれど持て余し気味の長男」だったのかもしれません。
実在の人物の伝記なので、「これは、どこまでがフィクションで、どこからが作家の創作なのか?」というのは、読んでいてけっこう気にはなったんですよ。
後世からみたら、「偉大な息子に凡庸な父親」だけれど、当時のふたりにとっては、「なかなか正業についてくれないうえに、プライドだけは高い男」と「堅実な仕事ぶりで若くして地元の名士として信頼を集めている男」であり、賢治は政次郎の「家業を継いでほしい」という期待にこたえられなかったこと負い目を感じていたのです。
とはいえ、宮沢賢治という人は、その負い目のために、向いていない質屋をやる、という妥協ができる人でもなかった。
政次郎が質屋で稼いだお金がなければ、賢治の妹・トシも治療ができなかった可能性が高いし、賢治も進学することはできなかった。
理想を実現するには、経済的なバックボーンがなければ難しい。
ロシア革命の中心人物となったのはレーニンですが、最後に権力を手中にしたのは、資金調達能力に長けたスターリンでした。
正直、この本を読んでいると、政次郎は、あまりにも現代的価値観でいう「イクメン」として描かれすぎているのではないか、と考えてしまうんですよね。
あの時代に、こんな父親が存在していたのだろうか?
「石」に興味を持ち、毎日川や山で標本採集をしていた賢治に対して、政次郎は、そんなことをしていて何になるのかと、小言のひとつでも言ってやりたい。でも、息子が懸命に石を集め、研究しているのをみていると、好きなことをやらせてあげたい、とも思う。
われながら矛盾しているが、このころにはもう政次郎も納得している。父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える。ひょっとしたら質屋などという商売よりもはるかに業ふかい、利己的でしかも利他的な仕事、それが父親なのかもしれなかった。
子供が言うことをきかないと苛立つのだけれど、あまりにも従順だと、そんなにおとなしくて主体性がなくても、生き抜いていけるだろうか、と不安になる。
理屈は立派なのだけれど、人の心をあまりに美化しすぎていて、騙されてしまいそう。
ああ、僕も自分の息子に対して、政次郎と同じように思っているのです。
そして、僕の父親も、僕に対して、たぶん、似たことを感じていたのではなかろうか。
親と子、父親と子供って、ずっと、こんな感じなのかもしれないなあ。
質屋の帳場に座らせた賢治の「甘い」接客ぶりをみて、政次郎はこう諭すのです。
「こちらから、客に何かを聞いてはいけない」
政次郎は、これだけはぴしりと言った。
客というのは善人ではない。政次郎はそう説いた。少なくとも賢治の考えているような単純な弱い者ではない。彼らは彼らなりに、一銭でも二銭でも、
——取ってやる。
という切実な熱意でもって店の戸をひらいている。
その意味では、店をつぶしに来ているのだ。
政次郎と賢治の父子と同じような関係、「勤勉で仕事熱心な父親と、金持ちのぼんぼんとして育ってしまい、うまく社会に適応できない子供」という組み合わせは珍しいものではありません。
賢治が農学校の先生として安定した職に就くまで、当時の人たちは、「宮沢家の長男は、中学校から、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)農学科まで卒業したにもかかわらず、身体が弱くて職にもつけず、ぶらぶらしている放蕩息子」だと見なしていたのではないかなあ。
賢治も、世間から認められている父親へのコンプレックスが強かった。
「ちゃんとした父親」だからこそ、自分のほうを責めるしかない、というつらさもあるのです。
ろくでなしの父親だったら、「あんなふうに、自分はならない」で済むのに。
賢治はいつか気づくだろうか。この世には、このんで息子と喧嘩したがる父親などいないことを。
このんで息子の人生の道をふさぎたがる父親などいないことを。
宮沢賢治の父親は、宮沢賢治ほど「稀有な人」ではなかったけれど、このお父さんがいなかったら、宮沢賢治は生まれてこなかったし、宮沢賢治にならなかった。
そしてたぶん、世の中には、「宮沢賢治になれそうでなれなかった、ダメ息子たち」が大勢いるのだろうと思います。
正直、この小説に関しては、実在の人物が描かれているだけに、「どこまでが事実で、どこからが創作なのか?」と、感情移入しきれないとういか、評伝との境界線、みたいなものについて考えてしまうのも事実です。
戦国武将に比べたら、まだ、現代に近い時代の話だけに、「どうせわからないのだから」と割り切るのも難しい。
逆に、完全に裏が取れていることしか書かなかったら、それは「小説」じゃなくなってしまうのだけど。
読み終えて、トシ(賢治の妹)と賢治を失ったあとの宮沢家の人々は、その後、どんなふうに生きていったのだろう、と思いました。
長く生きるというのは、たくさんの人を見送る、ということでもあるのだよなあ。
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