あらすじ
映画監督志望の健司(坂口健太郎)は、映画館「ロマンス劇場」に通い詰めていた。彼はそこで一人の女性と出会うが、彼女こそ健司がずっと恋い焦がれてきたスクリーンの中のお姫さま・美雪(綾瀬はるか)だった。美雪はモノクロの世界から抜け出して、色にあふれた現実の世界を満喫するが……。
2018年、映画館での4本目。
観客は僕も含めて2人くらいでした。
急に時間が空いたので出かけた映画館で、朝いちばんの上映だったから、こんなものなのかな。
正直、この映画の予告編をみた時点では、「ああ、また綾瀬はるかさんがイロモノ映画に起用されてる……」って感じだったんですよ。
綾瀬さんって、以前から、「こんな仕事もやるのか」みたいな作品がけっこうあって、そんな作品でも「熱演」しているんですよね。
で、僕のなかでは、「綾瀬はるかが主演で気合を入れているほど、その映画はB級っぽくなってしまうの法則」というのがあるのです。
たとえば、これ。
紅白歌合戦の司会で、本人は懸命にこなしているだけなのに、どの出演アーティストよりも目立ってしまったり、この『今夜、ロマンス劇場で』の舞台挨拶での「夢は世界平和」という言葉が話題になったりと、ずっと綾瀬はるかであり続けているのは本当にすごいし、こういう人がこういう人のまま生き続けていられるというだけでも、芸能界というのは存在意義があるのではないか、という気もするんですけどね。
僕にとっては、綾瀬はるかさんを観ることだけが目的だったといっても過言ではないこの映画でした。
あとはネタになるかな、と。
こういう「映画人が懐かしい『映画全盛の時代』を語る映画」って、ハリウッドではもう「定番」と言うべきもので、アカデミー賞でも、評価が底上げされているように思われます。
『アーティスト』『ヒューゴの不思議な発明』『ラ・ラ・ランド』など。
日本でも、最近では、三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』もあったなあ。
ちょっと懐かしいところでは、山田洋次監督の『キネマの天地』とか。
前半は、正直、「まあ、ベタベタなストーリーの映画だな、綾瀬はるかさん主演で『ローマの休日』や『人魚姫』をやりたかったんだろうな。でも、綾瀬さんはやっぱり素敵だから、長いプロモーションビデオってことで」と思いながら観ていたんですよ。
その設定は、さすがにご都合主義すぎるだろう、と思うところはあったのですが、元々無茶な話でもあるし、綾瀬さんのドS女王様モード(というか、王女様、なのか?)が観られたからいいや。
で、まあ、そういう終わり方なんだよね、はいはいはい。
と思いきや……
すみません、以下はネタバレ感想なので、隠しますね。
綾瀬はるかファンなら観ても損しない、というか、綾瀬さんファン以外にはおすすめしにくいところはあるのですが、日本人にはわかりやすい『〇ンジャ〇〇・〇〇ン』とでも言うべきか。
本当にネタバレですよ!
「人のぬくもりに触れると消える」という謎ルールに縛られた、綾瀬はるかさん演じる、映画の世界から出てたヒロイン美雪。
健司のことが好きになったのだけれど、「自分には、手を握って彼を力づけることさえできない」ことに絶望し、彼から離れていこうとしたのです。
それでも、美雪のことが忘れられない健司は、ようやく美雪を探し出し、「触れられなくでも、あなたじゃなきゃダメなんです」と告白します。
美雪は、「その言葉だけで満足だから、最後に抱きしめて」と消える覚悟で健司に言うのですが……
ああ、ここで美雪が消えて、人魚姫エンドなのか……あるいは、ふたりの愛の力で、呪いは解けて、美雪は普通の人間になれました、でハッピーエンドか。まあ、よくある話だよね……
ところが、健司が選んだのは、「それなら、ずっと触れないで、あなたのそばにいる」だったのです。
そうきたか!と思うのと同時に、「好きなら、別に肉体的な触れ合いはなくても良いんじゃない?」というのは、「二次元の勝利だ!」とも感じたんですよ。
これまでの映画では、「そうはいっても、恋人同士は触れ合ってナンボだろ」という価値観に支配されていたわけです。
触れたら死ぬとしても、やっぱり触れ合いたい、抱き合いたい、それが愛だろ、と。
「ひとときの身体的接触の快感よりも、好きな人(やモノ)がずっとそばにいてくれるなら、そのほうが良いんじゃない?」という考えかたは「非人間的」だというのが「多数派の意見」です。
アニメやフィギュアより、「本物の恋愛」をしろよ!と彼らは言う。
でも、この映画の後半をみていると、触れられるものを愛することと、触れられないものを愛することに、そんなに違いはあるのだろうか?と思えてくるのですよ。
肌のぬくもりっていうけど、そういうのは、それが尊いという幻想というか、刷り込みみたいなものなのかもしれない。
僕は本体がソウルジェムでも、別に構わないんじゃないか、と『まどマギ』を観ながら思っていたので、あんまり普通じゃないのかもしれないけどさ。脳と身体の関係だって、みんなが慣れているだけで、似たようなものなのだし。
そして、この映画でも、最後にその「ふれあい」みたいなのがカギになってはいるのだけれど。
これは、「二次元(的なもの)への愛情が肯定された気がする映画」であり、「人間と人間との、正しい恋愛」みたいなものは思い込みとか虚像なのかもしれない、と感じる映画でもあるのです。
フィクションが人を幸せにしてくれるのなら、その下僕となっても(他人に過剰に迷惑をかけないかぎりは)構わないよね。
もちろん、「好きな人に触れられる幸せ」を観客にかみしめてほしい、というメッセージもこめられているのだろうけど、僕はそれよりも、「触れられない、老いないパートナーと淡々と暮らして、死んでいく人間の日常」に思いを馳せずにはいられませんでした。
それは、必ずしも「肉体派」が言うほど「不幸」ではないと思う。
これからは、「フィクションを愛して死んでいく人生」も認められていくはずだし、そういう選択をする人は、増えていくのではなかろうか。
僕としては、「こういう選択をすることが、大規模に公開される邦画の脚本として許される時代になったんだな」と感慨深い作品でした。
……しかし、目の前に綾瀬さんがいて、好きだと言ってくれていて、それでも触れられないというのは、想像してみると、こんな僕でもけっこう辛そうだな……

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