琥珀色の戯言

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【読書感想】役者は下手なほうがいい ☆☆☆☆

役者は下手なほうがいい (NHK出版新書)

役者は下手なほうがいい (NHK出版新書)

内容(「BOOK」データベースより)
一生、ベテランなんて言われたくない―。脚本は読まず、役づくりもせず、型にはめられることを何より嫌ってきた竹中直人。コンプレックスの塊で、自信がなかったという彼が、加山雄三への憧れ、森崎東五社英雄ら名監督の忘れられない言葉、初監督作~最新作の現場裏話、今だから語れる出世作『秀吉』の「珍」事件といった豊富なエピソードをもとにマイナスをプラスに転換する、自らの「逆転」の生き方の核心を初めて明かす。


 竹中直人さんが、自らの半生、そして役者人生を語った新書です。
 僕が物心ついたときの竹中さんは、「お笑いの人」だったのですが、いつのまにか「個性派俳優」としての地位を築き上げ、『秀吉』ではNHK大河ドラマの主役もつとめておられます。
 何の役をやっても竹中直人、という印象ではあるのですが、これを読んでいると、竹中さんは若い頃からずっと竹中直人をつらぬいているのだな、と感動すらしてしまうのです。
 話のなかに、幼い頃から、「好きだった女の子」が名前入りでどんどん登場してきて、その子に対する竹中さんのアプローチが、「こりゃ相手も引くだろ……」という代物なんですよ。

 中学校時代、加山(雄三)さんの『レッツゴー!若大将』(1967年)を観て、サッカーに憧れ、運動オンチだったのにもかかわらず、サッカー部に入ったこともありました。でも、体育会系の「オラオラ、声出していくぞ!」のテンションに耐えられず一ヶ月ももたずに辞めてしまいました。
 中学時代に好きになった狩野有佐さんの下駄箱に、「ぼくはきみのことが大好きです。加山雄三は好きですか? 今、追浜の東宝で『南太平洋の若大将』をやっているので、一緒に観に行きませんか? そして、大事なことを伝えます。今日の夜七時に、耳を澄ませていてください。きっとぼくの声が聞こえるでしょう」とラブレターを入れたこともありました。
 狩野さんは学校の近くにある鷹取山のふもとに住んでいたので、その山のてっぺんから「狩野さん好きだ! 大好きだ!」と叫びたいがために、ワンダーフォーゲル部に入りましたからね。
 狩野さんのお返事には「やめてください! 竹中さんは気持ち悪いんです。何を考えているのか分かりません。加山雄三は大っ嫌いです」と書かれていました。ぼくが監督した『サヨナラCOLOR』(2005年)という映画の中で、そのシーンを再現しています(笑)。


 いやほんと、その後、竹中さんがタレントとして成功をおさめているので、これも「竹中直人らしいエピソード」と解釈できるのかもしれませんが、もし犯罪者にでもなっていれば「やっぱりあの人は子どもの頃からおかしかった」という材料に使われていたんだろうなあ……
 中学生の恋心なんて「こんなもの」なのかもしれませんけど、こういうエピソードが5人分くらい続くと、やっぱり「キモい」よねえ。
 でも、ここまで貫く竹中直人という人は、やっぱり「常人じゃない」し、こういう人にも、ちゃんと居場所があるというか、多くの人に愛される生き方もできるのだなあ、と、この世界の懐の深さも感じるんですよね。

 あ、そうだ。ぼくの「笑いながら怒る人」はどうやって生まれたのか、その話をしないといけませんね。『走る風、跳ぶ光』を撮っていた時、『首振り地蔵の怪』という二分くらいのショートムービーも撮ったんです。
 多摩美多摩美術大学)の裏山にある切り通しで、ぼくが白塗りの地蔵役。それを道行く人が「なんか人間みたいなでけえ地蔵だな」とバカにするんです。するとぼくが、ニコニコしながらゆっくり首を振りだす。それを見た道行く人が「なんだこいつ、地蔵のくせに首を振りやがる。ふざけた地蔵だ」。その言葉に怒ったぼくが「ふざけんじゃね、このヤロー! 地蔵バカにすんじゃねえ、このヤロー!」とニコニコしながら怒った。
 それを見た宮沢が「笑いながら怒る人」と名づけたんです。まさか60歳になった今も、自分の持ちネタになるとは思っていませんでした(笑)。
 多摩美の卒業制作は自分のCMでした。当時好きだった娘の後をずっとつけていく八ミリ映画です。彼女の後をつけながら松田優作ブルース・リー遠藤周作芥川龍之介松本清張石川啄木渡辺貞夫にぼくが変身してゆく。
 当時住んでいた国分寺の街の古い路地や、昔ながらの階段を見つけて撮影しました。このフィルムも今は何処にあるのか分からないです(笑)。


 というような、さまざまな裏話、他の芸能人との交流についても書かれています。
 この竹中さんの話を読んでいると「役者」も人それぞれというか、いろんな考え方があるのだなあ、ということがわかります。

 ぼくは、脚本を知っているのは監督とスタッフのみ、「役者はただ現場に行けばいい」と思います。
 だから役者で出演する時、脚本を読み込まない。自分の役や内容に先入観を持ちたくないからです。明日のことも分からずに生きているのに、台本には明日のことが書いてありますからね。そういうことを把握しておきたくない。
 分からないまま演じていたい。自分で自分のことが分かっている人間なんているのだろうか。いつもそう思います。役を演じるからといって、その役を理解するなんてことは決してあり得ない。
 「役づくり」という言葉が本当に嫌いです。役者はただ現場に行けばいい。そのせいで、前後の文脈が分からないまま、「なんでこんなセリフを言っているんだろう?」と思ったりする事もありますが、「ま、いいか」ですね(笑)。
 脚本には書かれていないものの、現場で役者と役者が向き合った時に生まれる空気、それが大切だと思います。その空気は決して計算して作れるものではない。ぼくにとって一番大事なのは現場です。いきなり他人同士が夫婦を演じたり、親友でもないのに、親友の役を演じたりする。そのあり得ないことを現実的にするのは現場で生まれる即興性であり、監督の力だと思います。


 NHK大河ドラマ真田丸』で、真田信繁の兄・信之を演じた大泉洋さんは、大坂夏の陣の前、信繁と信之が最後に対面するシーンで、「兄上と酒を酌み交わしたい」という信繁の願いを「私はこれが最後だとは思っておらぬ!」と断わる信之を演じながら、内心、「最後なんだから、一献傾けてあげればよかったのに」と感じていた、と語っておられました。
 役者は、その人物の「運命」を知ったうえで演じていることがほとんどなので、いくら感情移入して演じても、「同じ心境」にはなれないのです。
 それは承知の上でも、「演じかた」「演じる姿勢」というのは、本当にいろいろあるみたいなんですよね。

(中山)美穂ちゃんとは、昔、テレビドラマ『セーラー服反逆同盟』(1986〜1987年)や『毎度おさわがせします』(1985〜1987年)で共演したことがあります。その時の雰囲気が面白かった。芝居に全然興味ないんだろうな……そんな感じで。絶対興味なかったと思います。それが逆に気合が入ってなくてとても良かった。


 こういう「褒めかた」もあるんだなあ、って。
 別にお世辞じゃなくて、竹中直人という人は、本気でこう思っているのでしょう。

 ぼくたちは子供の頃から答えを出すように教育されてきたし、迷うことはいけないとされてきた。出来るようにならなければいけないと。でも出来ない事の豊かさもあると思う。「人を感動させたいから俳優になった」という言葉を聞くとぼくは愕然としてしまいます。ぼくはまず自分が感動したいから。でもね、世の中はそんな欺瞞に満ち溢れていると思う。だからこそ世の中なんだとも思う。「良い仕事をしよう」という言葉がぼくは嫌いです。だったら最低な仕事もしようぜと思ってしまう。
 芝居なんて下手でいいと思う。上手くなる必要なんてないと思う。常に未知のものであること。
 ぼくは「脚本を読んでからね」という言葉も大嫌いです。「あなたとやりたい」、そう言ってくれる人がいれば、すぐ飛んでいきたい。呼ばれたら「何でもやりますよ」という人間でいたい。どこにどんな出会いがあるかわからないしね。それはいくつになっても変わらない。
 一生、ベテランなんて言われたくないです。


 世の中には、こんな人もいるんだなあ、そして、ちゃんと自分の居場所を見つけているんだなあ、って、少し元気が出てくる新書です。
 どんな役を演じていても、竹中直人

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