琥珀色の戯言

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【読書感想】炎上上等 ☆☆☆☆

炎上上等 (扶桑社新書)

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Kindle版もあります。

炎上上等 (扶桑社BOOKS新書)

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内容紹介
「誰も言わないなら僕が言う!」
僕は別に炎上させたいわけじゃない。正しいことは「正しい」、間違っていることは「間違っている」と言っているだけだ――。


暴論か? 正論か!? 数々の言動や破天荒な行動で物議を醸す著者が、言いたいことが言えない世の中をぶった斬る!!


 暴論か? 正論か?
 高須克弥院長は、僕にとって、困惑させられる人なんですよね。
 言いたいことは誰が相手でも歯に衣着せずに言うし、大金持ちではあるけれど、それを隠そうとすることもなく、自分が使うべきと思ったことには、豪快に使う。
 すごい人だと思うし、観ていて爽快でもあります。ナイジェリアのサッカーチームに自らギャラを届けに行くというような、行動力もある。
 西原理恵子さんが、自身のネガティブな面も含めて好きなように描いていることも、面白がっているように思われます。
 その一方で、ナチスに対する肯定的な姿勢や「南京もアウシュヴィッツも捏造だったと思う」という発言など、「さまざまな史料から考えると、さすがにそれは同意できない」のです。

 僕は昔から何かと世間をざわつかせてきた自覚はあるけれども、近年は「高須克弥ツイッターで炎上した」というニュースが多くなった。
 僕は別に炎上させたくて発信しているわけではない。正しいことは「正しい」、間違っていることは「間違っている」と言っているだけだ。
 だが、世の中は必ずしも正論がまかり通るというわけではない。だから、正しいことを言っても、いや正しいことを言ったばかりに、時には炎上してしまうことがある。
 もちろん、僕の発言が間違っている時もあるから、その時は素直に謝っている。
 だけど、間違っていないならば、いくら「暴論だ」「差別発言だ」「名誉毀損だ」と言われても、僕は自分の筋は絶対に曲げない。
 言いたいことも言えないこんな世の中でも、僕は言うべきことは言う。誰も言わないなら、僕が言おう、「王様は裸だ!」と。
 ツイッターだと140文字という制限があるため、僕の真意が伝わっていないこともあるかと思い、今回、字数無制限で、僕の思いの丈を存分に綴ることにした。
 僕の考え方が世間で言われているように本当に暴論なのか、それとも正論なのか、ぜひ、読者のみなさんに本書をお読みいただき、ご判断いただきたい。


 好きな人が言う「良いこと、正しいこと」や嫌いな人の「悪いこと、間違っていること」への対応は、難しくない。
 でも、好きな人の「自分に合わなかったり、正しいとは思えない言葉」や、嫌いな人の「正論」への向き合い方というのは、めんどくさいものではあるんですよね。
 同じことでも、言っている人によって、受ける印象はかなり違います。
 そもそも、人はいつも正しいことを言うわけではないのが「普通」です。
 高須院長のことは好きだし、面白い人なんだけれど、個々の発言に対しては、「やっぱり賛同しかねる」ことも多々あります。
 周りの人は、けっこう大変なのではなかろうか。
 ただ無能なだけで魅力がない人、人畜無害な存在であれば、関わらない、だけで済むのだろうけれど。

 すべてを疑えとは言わないけれど、いろんなことを真に受けすぎる人が多いのかもしれないな。だって、僕が冗談で、「僕はネトウヨです」ってつぶやいたら、「高須はネトウヨなのか!」って思っちゃう人がいるんだよ。僕は保守だし、愛国者ではあるけど、別に誰かを差別したりなんかはしない。僕のツイッターをちゃんと見ていれば、それが分かると思うんだけど、どうも断片的な情報だけで決めつけちゃう人が多いんだよ。
 今のネットを見ていると、一つの情報だけでその人や物事を判断して、それが自分の受け入れられないことだと、その対象を全否定して攻撃してくるヤツが多いからね。むしろ、攻撃するネタ探しで、都合のいい情報だけを見ているのかもな。
 僕が愛国者だということで、サイバラに対して攻撃するヤツもいるんだよ。朝日新聞風に言えば、「ちょっと待ってほしい」。イデオロギーからしたら、僕とサイバラはむしろ逆だし、2人でいる時はイデオロギー的な話なんかしないんだよ。僕たちは、そういう思想とは関係ないところで付き合っているしね。そういうことを理解しようとしないで、いろんな決めつけでサイバラを攻撃するのは絶対におかしいだろ。
 サイバラのことを「高須の慰安婦」って書いたツイートには、さすがの僕も頭に来たね。
「すぐに謝罪しろ。ただではすまさない。」
 と警告したんだけど、そいつは、
「おっ、やるのか?」
 って来たから、名誉毀損で訴訟を起こすって言ったの。僕のフォロワーたちもそいつのことをツイッター社に通報してくれて、そいつのツイッターには批判が殺到して炎上。
 そしたら途端に、
高須克弥先生にとって、西原理恵子さんは、お互いが心をなぐさめあい、労をねぎらいあう対象(慰安)の女性のお友達(婦人)ではいらっしゃらないのですか?」
 という言い訳なのか謝罪なのかよく分からない意味不明なツイートをしはじめた。
 僕のフォロワーが調べてくれたんだけど、そいつは過去にも、僕に「世の中から消えろ」とか、あと、安倍首相の息の根を止めてくれって暴力団を煽ったり、数々のヘイト投稿をしてたんだよね。


 有名人も大変だよなあ。
 こういうヘイト投稿をする人に対しては「相手にしないのが定跡」だとされているのですが、そうやって、放置している有名人が多いからこそ、無名であることを武器に好き勝手に酷いことを言い散らかす人がいなくならないのも事実なんですよね。
 ネットから、そういう人を根絶することは難しいし、どこまでが「表現の自由」かは難しい問題ではありますが、「サイバラは高須の慰安婦」は、どうみても名誉毀損でしょう。
 このヘイト投稿者も、さんざん煽っておいて、反撃されたらこんな情けない言葉のすり替えをするなんて、みっともないよね。でも、そういう人って、本当に多い。
 実際のところ、こういう人を訴えても、コストのほうが大きいのですが、それでも容赦しない人がいるというのは、ネットの世界全体にとっては良いことなのだと思います。
 

 上手くツイッターを使いこなしているのは、やっぱりトランプ大統領。フォロワー数は4300万人以上。そりゃ、アメリカの大統領の発言だもん。みんな注目するよね。
 意外かもしれないけど、インドのモディ首相もすごいんだ。フォロワーが約4000万人もいて、彼はちゃんと国民に語り掛けているんだよね。小まめにツイートしている。
 モディ首相は、インドで熱狂的な人気なの。彼は大東亜戦争の頃の大日本帝国が大好きみたいで、インパール作戦の生き残りの兵士と会った時なんか、ひざまずいて、「ありがとう、あなたのおかげでインドは独立できた」って言ったんだよ。
 日本人は、インパール作戦そのものが日本人の恥だって教えられている。悲惨な大本営の作戦の誤りだって。たしかに、戦術的には誤りだったかもしれないけど、戦略的にはあれが引き金になってインドの独立につながったから、そういう意味では成功だったかもしれない。
 だって、インパール作戦の時に、インド国民軍最高司令官のチャンドラ・ボースが呼び掛けて、インド義勇軍を東南アジアから集めたんだけど、普通は、外国に攻め込む時にはそういう兵隊を先頭に立てるものなの。そして自国の主力は自分の所に温存して攻めるんです。彼らが祖国のために死んだら、それなりに誉れはあるけど、結局は捨て石。 
 でも日本軍はインド兵を犠牲にしなかった。いちばん後ろに残して、日本軍が戦ったんだ。だから、インパール作戦で死んだのは日本の兵隊ばかり。インド軍はみんな助かった。どう考えたって立派なことですよ。たしかにモディ首相が感謝するわけだ。


 太平洋戦争時の日本軍の無謀な作戦の代名詞として語られているインパール作戦
 僕もこの作戦に関する本を読んだり、ドキュメンタリーを観たりしているのですが、あまりにも無謀で杜撰な作戦だとしか思えませんでした。
 自らが先頭に立って戦った、というのは、戦争の常識を考えると、立派なふるまいだとは思うけれど、自国の兵士にたくさんの犠牲を出して、それに見合う戦果が得られなかったのでは「戦略的成功」には程遠い。インド独立、という世界史的な観点からいえば「戦略的な意味があった」のだとしても。それは、僕が日本軍の飢えや疫病でなすすべなく亡くなっていった兵士たちのほうに感情移入してしまうから、でもあるのでしょうけど。
 間違った作戦を、命懸けできちんとやることは「尊い」のか?
 これは、本当に難しい。
 それを「犬死に」だとすれば、死んでしまった人たちは報われない。
 でも、それを美化しすぎると、同じような悲劇が繰り返されかねない。


 1945年に防空壕で生まれた高須院長は、自らのルーツとして、太平洋戦争後に、大地主だった実家が戦後の農地改革で土地を失って貧乏になり、そのことで周りの子供たちにいじめられたことを語っておられます。

 ある時、いじめっ子たちに、
「何で俺たちにいじめられるか分かるか?」
 って聞かれたから答えた。
「君たちが愚民だから」
 だけど、彼らには「愚民」って言葉の意味が伝わらなかったみたい。そこでばあちゃんに尋ねたら、教えてくれた。
「それなら”小作”って言えばいい。高須家の小作だって」
 次の日、僕はいじめっ子たちに言ってやった。
「水呑百姓の小作!」
 そしたらやっと伝わったみたい。だって、今度はいじめっ子の親たちが僕に向って来たから(笑)。
 彼らは偉そうに我が家に土足で入って来た。彼らの代表みたいなのが言った言葉は、今でも忘れない。
「ワシらにはマッカーサーが付いておる!」
 僕が、「マッカーサーというヤツは敵だ」って思ったのはその時だったね。マッカーサーは敵、アカも敵。僕の頭の中で、「アカ」と「マッカーサー」がひとつになった。


 人の「思想信条」っていうのは、生まれつきのものではなく、それまでの人生、とくに幼少時の経験とか環境が大きく影響してくるのですよね。
 こういう背景を知ると、高須院長の現在の思想信条も理解できるような気がします。
 

 実は、うちの息子3人は幼稚園の時から空手道場に通っていたから、いじめられなかった。長男坊だけは、最初は僕と同じでいじめられていたんだよ。でも、空手道場に通うようになったらいじめられなくなった。
 単純なことなんだけど、やっぱり強ければいじめられないんだよ。それは、別に喧嘩して強さを証明する必要もなくて、空手をやっているっていうだけで子供には自信にもなるし、周りの子供たちも多少ビビるわけ。いじめられないように空手や柔道の道場に通うっていうのは、闘争心を持って強くなるための、すごくシンプルないい方法だと思うよ。

 イヤだといくら言っても起こるのが戦争。イヤだと言っても殺される。抑止するのは情緒ではない、力だ。


 戦後の平和教育を受けてきた世代である僕にとっては、やっぱり、素直には受け入れがたい言葉ではあるんですよ。
 でも、これが噓だとか偏見だとか言い切る自信はありません。
 中学生くらいのときだったら、「そんなことはない、話し合えばわかるはず!」とか、反論していたと思うのだけれど……


 書いてあることに全面的に賛成、というわけではないのですが、正直で、不器用な人となりが伝わってくる本です。少なくとも、悪い人でも、嫌な人でもありません。
 僕も「人間としては好き」なんですよ。だからこそ、困惑することも少なくない。
 この本、高須院長が嫌いな人にも、一度読んでみていただきたい、そう思います。


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