琥珀色の戯言

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【読書感想】人間の未来 AIの未来 ☆☆☆☆

人間の未来 AIの未来

人間の未来 AIの未来


Kindle版もあります。

内容紹介
10年後、100年後の世界と日本の未来を、ノーベル賞学者と国民栄誉賞棋士、最高の知性を持つ二人がとことん語り合う!iPS細胞、将棋界とAIといった二人の専門分野に加えて、「ひらめき」「勘」の正体、世界で通用する人材をつくるにはどうするか、人間は不老不死になれるかといった、人類の普遍的なテーマについても熱く討論する。


 山中伸弥さんと羽生善治さん。
 いまの日本を代表する「賢者」であるお二人の対談本です。
 こうして二人が並ぶと、どっちの名前を先に書こうか……とか、その時点で悩んでしまうくらいすごい人たちなんだよなあ。
 この対談本では、お互いに「自分の知的な興味を満たしてくれる貴重な話し相手」として、尊重しあっていることも伝わってきます。
 このくらいの人たちになると、周りも「教えてください!」という人が多くて、それはそれで大変なのかもしれませんね。

山中伸弥そうすると、若い世代と対局していると、やっぱり何か感覚が違いますか。


羽生善治そうですね。対局をしていると、ジェネレーション・ギャップを強く感じます。これは若い人と日常会話をするときに、意味はわかるけれども何か感触が違う、違和感を覚える、という感覚と似ています。それが将棋の指し手の一手一手に出てくるんです。自分が予想もしてなかった、考えてもみなかった手を指されて、なかなか対応できないケースもあります。
 どうしてそれが彼らにできるのかを考えたことがあります。私は後から出てくる世代の人の強みは、「いいとこ取り」ができるからなんじゃないかな、と思っているんですね。


山中:ほう、いいとこ取りですか。


羽生:つまり、持っている知識量は歳を取っている人のほうがたくさんあるでしょうけれど、若い人は本能的に「これはだめ」とか「これは使えない」というものを何のためらいや先入観もなく、ばっさりと切り捨てることができます。そこから新しいアイデアを思いつけるのではないか。
 将棋の世界は「いかに得るか」よりも「いかに捨てるか」「いかに忘れるか」のほうが大事になってきます。たとえば自分がすごく時間をかけて勉強したものを捨てることはなかなかできないんですよ。
 でも変化の激しい時代ですから、十五年前くらいに研究していた型も、今はまったく何の役にも立ちません。それをむしろ、ためらいなくどんどん捨てていかないと、時代についていけなくなると感じています。そういう意味では、「思い入れを捨てる」ことが非常に大事なのかなと思いますね。


山中:それが意外と難しい(笑)。


羽生:これは将棋が強くなるためにいちばん大事なことは何か、ということでもあります。いろいろな手筋を覚えて増やすことも必要うが、最も重要なのは「ダメな手がわかること」だと思います。ダメな選択肢、指してはいけない手が瞬間的にわかるかどうか。これはすごく大切です。

 羽生さんは藤井聡太六段のことにも触れていて、「これまで中学生で棋士になった人は5人いたけれど、みんな十代のころは、粗削りな部分があった。でも、藤井さんにはそういうところがまったく見当たらないんです。連勝中もはっきり不利になった局面は数えるほどで、ほとんどは圧勝だった」と仰っています。
 羽生さんにここまで言わせるとは、藤井六段は本当に強いのだなあ。
 若い世代は「思い入れを捨てやすい」という強みがあるけれど、ベテランは難しい局面を抜け出す方法の選択肢をたくさん持っている、ということです。
 おおむね年齢が若いほうが有利だけれど、年齢に応じた強みを活かしていくしかない。
 羽生さんが、40代半ばになってもトップとして活躍しているのは、そういう「自分の年齢にともなう変化」を受け入れて、それに適応しているからでもあるんですよね。
 年を取ると「やってはダメなことがわかる」から、つい、若い人に口出ししたくなるのかもしれません。
 でも、若者側からすれば、それは「思い入れを捨てられない、老害の横槍」に感じられることも多々あるわけで、お互いの世代のメリットを活用していくのは難しいのだよなあ。

 
 羽生さんは、山中さんに「独自のアイデアや発想は、どのように生まれるのですか?」と訊ねておられます。
 それに対して、山中さんは、こんなふうに答えています。

山中:僕がいつも言っているのは、他の人と違うことをやろうと思ったら、三パターンしかないということです。
 一つ目は、アインシュタインみたいに、もともと天才というパターンです。他の人は決して思いつかないことを思いつくことができたら、まさに王道ですよね。でも残念ながら、僕はそんなことは一回もありませんし、そんな天才に出会ったこともほとんどありません。これはわれわれ凡人には縁のないパターンです。
 二つ目は、他の人も考えているようなことだけれども、一応自分も思いついた。生命科学の場合は、その仮設を実験で確かめます。実験をしてみて、予想通りの結果が出た。それはそれで、それなりにうれしいんです。でも、そうしてやった実験で、予想通りの結果ではなく、まったく思いもかけなかった結果が返ってくることがあります。
 そのときがチャンスです。僕たちはいくら必死に考えても、他人と違うユニークなことはなかなか思い浮かびません。けれども、自然はまだまだ未知のことでいっぱいですから、僕たちが実験という手段で自然に問いかけると、まったく意外な反応を示してくれることがあるんです。自然がちょっとヒントを返してくれる、というんでしょうか。
 実験をしてみて、予想していなかったことが起こったときに、それに食らいつけるかどうか。それが他の人と違うことをやる二つ目のチャンスですね。


羽生:自分が予想していなかった結果や出来事が起こったときに、そこに深く疑問を持つというか、自分なりに原因を考えていくんですね。


山中:そうです。期待していたものとは違った結果が出たときにがっかりして終わってしまうか、それを「これは面白い」と喜べるかどうか、ですね。
 三つ目は、自分も他人もみんな「これができたら素晴らしい」と考えているんだけれども、「無理だろう」とあきらめて、誰もやっていないことに敢えてチャレンジするというパターンです。この三つが、僕の考え得る、他の人と違う研究をするパターンです。僕は、一つ目はもうダメだとわかっているので、二つ目と三つ目に懸けてきました。


羽生:なるほど。


 世界のさまざまな研究の歴史をみていると、学生などの若い研究者が実験をしてみて、何度やってもこれまでの理論や予想に合わない結果が出たことから、新たな発見がなされたことが少なからずあるのです。
 同じことが、これまで他の研究者がやっても起こっていたはずなのに、先人はその結果を「実験ミスだろう」とか、「誤差」だと思い込んでいたのです。
 そこで、予想外の結果に食らいつくことができるかどうか、失敗しちゃったな、と思うのではなく、面白がれるかどうかが、研究者の資質なのかもしれませんね。
 そう考えると、僕はやっぱり研究者には向いていなかったみたいです。
 「ああ、また実験やりなおしか……めんどくさいな……」としか思えなかったから。


 日本では「ひとつのことをやり抜く」ことが美徳とされる傾向があるのに対して、山中さんはこんな話をされています。

山中:僕は実際、臨床整形外科医から薬理学、分子生物学、がん研究、ES細胞と研究テーマをコロコロ変えてきたんです。成果を出せない時に、自分の研究スタイルに自信が持てなくなったときがありました。
 そんなとき、ノーベル賞を受賞した利根川進先生の講演を聞く機会がありました。講演後の質疑応答の時間に思いきって手を挙げて、「日本では研究の継続性が大切だという意見が多いのですが、先生はどう思われますか?」と質問したんです。利根川先生自身、免疫学から脳科学にスパッと研究テーマを変えていますからね。そしたら「研究の継続性が大切だなんて誰が言った?面白かったら自由にやればいい」。先生がそんなふうに答えてくれて、とても勇気づけられましたね。


 研究者を志している人や、何か「新しいこと」をやってみようとしている人には、とくにおすすめしたい一冊です。


fujipon.hatenadiary.com

人工知能の核心 (NHK出版新書)

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