- 作者: 烏賀陽弘道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/06/15
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 烏賀陽弘道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/06/23
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内容紹介
一見もっともらしいニュースや論評には、フェイク(虚偽の情報)が大量に含まれている。真偽を見抜くには何をすべきか。「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」「空間軸と時間軸を拡げて見よ」「ステレオタイプの物語は要警戒」「アマゾンの有効な活用法」「妄想癖・虚言癖の特徴とは」――新聞、雑誌、ネットとあらゆるフィールドの第一線で記者として活躍してきた著者が、具体的かつ実践的なノウハウを伝授する。
1986年に朝日新聞者で記者となり、その後、週刊誌記者、編集者、フリー記者と立場を変えてきた著者による「ニュースの真偽の見分け方」。
幸運だと思うのは、その職業人生の間に、アナログ→デジタル→オンライン化というマスメディア産業の技術革新を、職業の現場で、しかも同時進行で体験できたことです。新聞→雑誌→書籍→インターネットと媒体はどんどん変化しました。新聞記者になりたてのころは原稿用紙にボールペンだったのが、ワープロになり、ついでパソコンになり、今やiPhoneで書くことすらあります。昔は原稿をテレタイプやファクスで送っていたのに、今ではメールどころか、クラウドサーバーにリアルタイムで打ち込んでいます。
本書で紹介するのは、そうした職業生活の中で私が自然に身につけた「事実の見つけ方」です。
ネットニュースやSNSで、毎日さまざまなニュースに晒されていて、僕はニュースの真偽を自分で判断するのは難しい、というか不可能ではないかと感じています。
インターネットでいろんな真実が明らかにされるのではないかと思っていたけれど、実際は、ノイズが多くて、かえって、何が本当に起こったことなのか、わからなくなってしまっているんですよね。
少数意見が可視化されるようになった一方で、それが押しつぶされる光景も見かけます。
この新書の冒頭で、著者は、こんなエピソードを紹介しています。
1993年の夏に3ヵ月間、アメリカ連邦議会調査局(Congressional Research Service)でインターンとして働いたことがある。その時、私のスーパーバイザーだったロバート・サッター氏(現ジョージ・ワシントン大学教授)の前職はCIAの中国担当分析官だった。そのサッター氏が私に教えてくれた大事な教訓がある。
「CIAが扱っている中国情報の95%は公開情報だ」
「公開情報」というのは新聞やテレビなどマスコミに出ている話、政府や高官の公式見解・コメント、プレスリリース、政府系研究機関の出した論文、果ては電話帳や名簿、人名録など「誰にでも手に入る情報」である。CIAというと非合法の情報収集活動をしているというスパイ機関のように見えるが、さにあらずというのが氏の話の趣旨だった。
「だって、鄧小平が公用車の中で話した秘密の会話の盗聴テープが手に入ったとしても、公開情報でその会話の背景や意味がわからなければ、何の意味もないじゃないか」
サッター氏はそう言った。
CIA分析官は、来る日も来る日もそうした公開情報を地道に集めて積み上げている。新聞やニュースレターの山と毎日格闘している。そして「5%の非公開情報」が入って来た時、それを分析して、価値を判断する。それが何を指し示しているのか予測する。
元外交官の佐藤優さんも、同じ「95%」の話をされていました。
「報道されない隠された情報」というのはそんなにあるものではないし、その信ぴょう性を判断するのも難しい。
重要な情報の大部分は、みんなが知っている、みんなが読める、見ることができるもののなかに含まれているのです。
著者は「安倍政権の政策決定に重要な影響を及ぼしている」という噂が絶えない「日本会議」について、政権との具体的なつながりを示すニュースや事象がほとんど確認できないことから、「黒幕説」は現状否定的である、という検証のプロセスを明かしています。
まあでも、こういうのって、「それは、つながりが報道されないように隠しているのだ」と、かえって「陰謀論」にのめりこんでいく人もいるんですよね。
著者が指摘している「偽ニュースの見分け方」あるいは、「偽ニュースではないかと疑う要因」は、とても参考になります。
ネットでは、人に先駆けて煽情的なバッシングに加担し、あとで、「あれは誤報だった」と知っても、「自分も騙された被害者だ」と主張する人がいます。
でも、そういうふるまいを第三者からみると「この人も信用できない」のです。
信用を得るにはたくさんの積み重ねが必要だけれど、失うのはあまりにも簡単なんだよなあ。
ここで大胆な法則をお話しよう。証拠となる事実の提示がない「オピニオン」(意見)は全部捨ててかまわない。
ファクトの裏付けがないオピニオンが社会にとって重要なことはほとんどない。あっても、それは例外的なことだと考えてよい。
私の報道記者としての経験で言う。新聞者にいたころでも、ニュース週刊誌にいたころでも「ニュースにしてくれ」という情報提供のファクスや手紙、メールは毎日、開封が面倒くさくなるほど来た。フリーになった今でも、公開メールアドレスにそうした連絡が多数来る。しかし、私は記者になって30年間ずっと「匿名の人から来た情報は、確認できるまで事実とは関係ない」ことにしている。つまり「匿名情報は信用しない」が原則である。ネットであれ新聞・テレビ・書籍といった旧メディアであれ、発信者が誰かわからない情報は捨ててかまわない。ファクトとしての信用度が低いからである。
著者は自らの経験での「例外」を紹介していますし、「パナマ文書」のような、匿名での告発からはじまった大スクープもあるので、職業記者としては、全部切り捨てるわけにはいかないのでしょうけど、一般的な情報の受け手は「匿名情報は信用しない」のが無難なはずです。
また、「主語が明示されていない文章は疑え」とも仰っています。
ああ、僕もけっこう書くなあ、「主語のない文章」。気を付けなければ。
そうやって、自分(の意見)を重要にみせたくなるんですよね。
実はネットの世界でも、情報の正確さに注意深い組織は同じである。
「Yahoo! ニュース」は政治・経済・社会など非エンタテインメント系のニュースでは「ウィキペディア」や「NAVERまとめ」を参考情報のリンクに張っていない。誰が書いているかわからないからである。私個人も、日本語版ウィキペディアやNAVERまとめはまったく信用していない。もちろん、自分の書いた記事に「事実」として引用することはない。
「(ニュース)ソースを出せ!」というのは、ネットで他者が提示する「事実」に疑念を持った人がよく使う言葉なのですが。そのソースの有無と同時に、ソースは信頼できるメディアや人か、というのが大事なんですよね。
そういう点では、新聞社や通信社などの既成の大メディアは、なんのかんの言っても「ウィキペディアより信頼性は高い」のでしょう。
この新書の特長は、そういう「明確なウソを見分ける」方法の紹介にとどまってはいないところです。
新聞、テレビ、ネット記事が共通して持つ特徴があるのだ。それは「確かにその記事はウソは書いていない。しかし『本当のこと』も言っていない」である。
次の記事を例として見てみよう。2014年3月20日付共同通信社電である。
「福島のワタムシに形態異常 回復の兆しも 北大調査」という記事は、福島第一原発の北約32キロにある川俣町山木屋地区で採取したアブラムシの仲間「ワタムシ」に、高い確率で異常が確認されていたことがわかった、というものだ。
ワタムシは体長約3~4ミリで羽があり、複数の植物に寄生するのが特徴。
2012年6月、山木屋地区で、原発事故後初めての交配により、木の枝でふ化した『オオヨスジワタムシ』を採取。死骸を含む167匹のうち、13.2%に脚が壊死するなどの異常があった」(一部略)
福島第一原発事故のその後の関心のひとつは、広範囲にばらまかれた放射性物質が、生態系にどんな影響を与えるのか、ということだ。低線量の放射性物質が広く環境に拡散するという事故そのものが、人類史上数回しか起きていないので、未知の部分が多い。特に、生物の遺伝子に長期的にどんな影響を与えるのかが注目されている。
記事にある地区は同原発から流れでた高濃度のブルームが通った場所であり、その後も高い空間線量が観測されていた。そこで13.2%の形態異常、つまり「奇形」が見つかったという。最初この記事を見たとき私は「すわ、放射能の影響で奇形が!」とびっくりした。しかし、最後まで読んで「何だ」と思った。「13.2%」という奇形発生率が自然発生率より多いのか少ないのか、書いていなかったからだ。
「形態異常」は原発事故がなくても、自然に何%かは発生する。「13.2%」はその自然発生率より高いのか、低いのか、記事ではそれがわからないのだ。
たしかに、この記事には「事実」が書かれているし、「ウソ」もない。
でも、読んだ人は、「放射能の影響で、こんなに奇形が発生するのか……」と感じるのではないでしょうか。
文字数の制限で、そこまで詳しく書けなかった、というような事情があるのかもしれませんが、「事実」も、伝え方で、受け手をミスリードすることができることが少なくないのです。
また、ある人物がバッシングされているときには「過去にやった悪事」ばかりが採りあげられ、賞賛される際には、「立派な人エピソード」ばかりが出てくる、という事例も紹介されています。
けっして、「良い面」ばかりではないのが、人間なのに。
フェイクニュースを見破ることの難しさと同時に、ネットの普及は、価値のない情報ばかりを世の中にばらまくことにしかなっていないのではないか、と考えさせられます。
真偽はさておき、面白ければいい、というのも、ひとつの向き合い方ではあるのでしょうけど。
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