琥珀色の戯言

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【読書感想】蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
やむをえない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、「蔵書とは何か」という命題に改めて取り組んだ。近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。


 『本の雑誌』の「2017年度ベスト10」で2位になったこともあり、なかなか入手できなかったのですが、ようやく見つけたので読んでみました。

 いよいよその日がきた。——半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である。砂を噛むような気分で朝食をとっていると早くも古書業者のトラックが到着し、頭に手ぬぐいをかぶった店員が数人、きのうまでに梱包作業を終えていた約3万冊の書物の搬出にかかった。出向先は古書市場である。まことにやむをえない。老妻とともに旬日後に移転する予定の、シニア環境としての手狭なマンションには、三万冊になんなんとする蔵書は到底収容しきれない。十二畳の書斎と十畳半の書庫はガランガランとなり、私はその空洞から目をそむけた。
 ここにいたるまでは悩みに悩んだ。最初から古書店に一括で引き取ってもらうなら簡単だが、そこは長年苦楽をともにした愛蔵本である。散逸されるに忍びない。公共の蔵書機関に寄贈しようか、保管サービスを利用しようか、それとも知友や親戚に譲ろうかなどと考えあぐねて、一部は実行してみたものの、ほとんどの本は相手の趣味と合致しなかったり、スペースがなかったりで、それに経費も予想以上にふくらみそうなことに気づき、ためらっているうちにデッドラインが来てしまった。


 著者は、1997年に岡山の吉備高原に書斎兼書庫のある新居を建て、理想の「本とともに暮らす生活」をおくっていたのです。
 しかしながら、バブルの崩壊や出版界の不況、そして、著者や家族の健康状態の変化にともない、そこでの生活が難しくなってきたそうです。
 日本は土地が高いのが、個人の蔵書数に限界がある理由のひとつではないか、と著者は述べていますが、土地が安い場所は、高齢者が生活するには不便だし、生活の利便を求めて都会に移れば、大量の本を収める空間を確保するのは難しい。
 僕も著者にはほど遠いものの、引っ越しのたびに業者に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。
 本って、重くて、かさばるんですよ本当に。
 段ボール箱には、意外とたくさん入るので、嬉々として詰め込んでみるのですが、それを持ち上げるとなると、自分で詰めたはずなのに「こんな重いの抱えられるはずがないだろ!誰がこんな無茶な詰め方をしたんだ!」と毒づきたくなるのです。

 かりに一万冊の書籍を、かつて標準とされた高さ1.85メートル、間口0.8メートルほどのスチール製書棚に天板までめいっぱいに載せるとすれば、約40本を要する。これを図書館などの書庫ではなく、現今の一般住宅の中に配置しようとすれば、六畳間換算で四部屋は必要だろう。無論、重量分散や機能性(見やすい配列)をも考えに入れなければならないから、その倍は見ておいたほうがよい。
 さらに書斎と組み合わせにすると、採光や湿気も考慮しなければならない。災害のことも考えると、建物周辺の地形や地盤はいうまでもなく、設計も重量物の収納を考慮し、基礎段階(杭打ちなど)から入念な施工を依頼しなければなるまい。


 一般的な感覚ならば、そんなスペースがあるのなら、人間が過ごしやすいように利用する、ということになりますよね。
 ところが、愛書家というのは、人の居場所を削って、本をとっておきたい人々なのです。
 今の時代なら、電子書籍もあるし、「自炊」だってできるじゃないか、と思いますし、僕などは、積極的に電子書籍を買うようにしているのです。
 それでも、何がどこにあるのか、ひと目でわかる「視認性」などを考えると、電子書籍よりも紙の本に軍配をあげる愛書家は多いのです。
 というか、物質としての紙の本が好きなんだ、としか言いようがないのでしょう。


 この本、蔵書と離れ離れになる愛書家の哀しみを綴っただけのものかと思いきや、転んでもタダでは起きない、というか、著者は、「愛書家たちが、増えつづける蔵書とどう向き合ってきたのか」そして、これからの時代、蔵書はどうなっていくのか、を徹底的に検証しているのです。


 僕はこれを読むまで、「とはいえ、本なんてそれなりの価値があるものなのだから、無料で寄贈するといえば、どうにかなるものなんじゃない?」って思っていたんですよ。
 ところが、現実はそんなに甘くはないみたいです。
 その理由のひとつとして、愛書家というのは、「自分が興味を持って、集めた本」であることに意味があると考えていることが多くて、バラバラに売りさばいたり、寄贈することを望まない、というのがあるようです。
 有名な作家の蔵書の場合には「あの人が、こんな本を読んだり集めたりしていた」ということそのものが、ひとつの「資料」にもなるのです。
 とはいえ、本というのは、かさばるし、公共の図書館のスペースにも限界がある。
 そして、公共の図書館も、「利用者のニーズに答える」ことが求められていて、ベストセラーが何冊も購入されているなかで、いくら歴史的な価値を説いてみたところで、利用者の大部分が手にとることもない個人の蔵書を受け入れる余裕はないのです。よっぽどの有名人ならともかく。


 僕などは、捨てるよりは、少しでもお金になれば、とブックオフに売りにいってしまうのですが、この本のなかには、ブックオフという単語は一度も出てきません。たぶん、そんなの論外なんだろうなあ。
 
 また、著者は、時代の流れとして「本を所有すること」への意欲が薄れてきているのではないか、と指摘しています。
 それこそ、もし必要になったら電子書籍Amazonもあるし、図書館で借りてくればいいし、と、「ものを所有すること」へのこだわりがない人が増えてきている印象はあるのです。
 僕自身にも、その傾向がありますし。
 

 これを読んでいると「本を所蔵し、後世に受け継ぐ」ということは、文化を伝えていくことであるということを、あらためて考えさせられるのです。

 第二次大戦中、東京市(現、東京都)は28箇所の市立図書館の蔵書(収蔵資料)約73万冊のうち、東京大空襲をはじめ百回を超える空襲のため、約44万冊を失った。
 そもそも軍部の楽観的な見通しのため、東京(および主要都市)の学童疎開が実施されたのは、ようやく敗色が濃厚になった1944年(昭和19)7月に入ってからという状態だった。そのことと同一レベルでの比較をすべきではないが、各地の図書疎開の必要性はそれよりも早い1942年ごろから前述の秋岡悟郎ほか心あるライブリアンによって議論され、東京市の場合は市政会館の中に防衛局が設けられ、1943年11月に帝国図書館の貴重書約6万6000冊が、県立長野図書館に送られた。
 と、いえば数行で済むが、現代の感覚でとらえてはならない。何しろ輸送の手段としては電車などはもってのほか、いわゆる木炭自動車(一部はバス、トラック)でさえも調達困難で、大部分を大八車か人力に頼るほかなかったからだ。中央図書館として位置づけられていた市立日比谷図書館(現、千代田区立日比谷図書文化館)の蔵書の一部、約40万冊(民間から買い上げの貴重書を含む)もこのような手段を駆使して戦火を免れたのである。


 人間でさえ、さまざまな不自由や物不足にさらされていた時代に、貴重な本のためだからと、こんなことが行われていたのです。
 大変だなあ、今だったら、電子書籍にしてクラウドで保存しておけば……と言いたいところではありますが、サーバーが破壊される可能性もあるだろうし、敵国のものであれば、なんらかの制限が加えられたり、アクセスできなくなったりするかもしれません。
 とはいえ、あまりにも情報量が多すぎる時代でもあり、電子化の波に紙の書籍が抗うのは難しそうではありますが。

 以上のような状況が生じている限り、蔵書の未来はあまり明るくないように思える。研究のためにせよ趣味のためにせよ、書籍を収集する人は、今後減りこそすれ増えることはないだろう。このうちの何割かは、一括蔵書としての価値を備えるであろうが、今後は受け入れ先が減りこそすれ増えることはあるまい。つまり、一括性を備えた蔵書は公共性を帯びるいとまもなく古書市場において奪い合いとなり、無惨に解体せざるを得ない。研究書としての資料群は、露骨な市場原理だけに任されるべきではないことは言をまたないが、そのような学問の公共化への強い意思が十分に育たなかったことに、日本の蔵書思想の限界がある。


 先人が守り続けてきた「本」は、どこへ行くのか?
 図書館や書店で本に囲まれたときの高揚感というのは、Kindleでは味わえないものだと思うのですが……そういう感覚が「古い」のかな……


fujipon.hatenablog.com

蔵書の苦しみ (光文社新書)

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