琥珀色の戯言

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【映画感想】孤狼の血 ☆☆☆☆

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あらすじ
昭和63年、広島の呉原では暴力団組織が街を牛耳り、新勢力である広島の巨大組織五十子会系「加古村組」と地元の「尾谷組」がにらみ合っていた。ある日、加古村組の関連企業の社員が行方不明になる。ベテラン刑事の刑事二課主任・大上章吾(役所広司)巡査部長は、そこに殺人事件の匂いをかぎ取り、新米の日岡秀一(松坂桃李)巡査と共に捜査に乗り出す。


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2018年、映画館での14作目。
観客は10人くらいでした。


けっこうグロいよ、という話は聞いていたのですが、僕としては「園子温監督の映画も『アウトレイジ』も大丈夫だったし(正直、『冷たい熱帯魚』はかなりキツかったけど)、平気平気!」って思っていたんですよ。


……この映画よりも、園子温監督の『地獄でなぜ悪い」や北野武監督の『アウトレイジ』シリーズのほうが、はるかに出血量は多いし、人もたくさん死んでいるのです。
 でも、これらの作品は、むしろ、「あえて悪ノリしてみせて、人の死を笑いに昇華してしまう」ところもあるんですよね。


 それに比べて、この『狐狼の血』での人の死は、ものすごく生臭い。
 ストーリーとか役者たちの演技とか以前に、あまりにも描写が残酷で、ついていけない、という人は、けっこう多いんじゃないかと思います。
 冒頭のシーン、僕は胃のなかに食べ物が入っていなくてよかった……とつくづく思ったのです。
 ご飯を食べた直後に観るのは危険、デートムービーにはまったく向いていない、家族連れなら『アベンジャーズ』や『名探偵コナン』があります!ミステリというより、人間ドラマです!


 この映画、R15+(15歳未満観覧禁止)なのですが、本当に、15歳とか16歳に見せてもいいの?と聞き返したくなるほどの凄惨なシーンもあるんですよ。
 でも、人が自分の役割を果たすというのは、どういうことなのか、「正義」とは何か、「力を伴わない正義」というのは成立しうるのか?など、それこそ、10代半ばくらいの人たちにも考えてみてほしい内容でもあるんですよね。


警察のなかで、暴力団対策をやっている課は、「ミイラ取りがミイラになる」というか、「組員とある程度仲良く(?)しながら、動向を探ったり、やりすぎないように釘をさしたりする」ことが多いという話は聞いたことがあります。

僕などは、反社会勢力は徹底的に取り締まってしまったほうが、みんな安心して暮らせるのではないか、と思うのですが、役所広司さんが演じている大上巡査部長は、「ヤクザを徹底的に取り締まろうとすれば、彼らは地下に潜行してカタギと同じ格好をするようになって、一目で見分けがつかなくなる。そのほうが怖い」と新人の日岡に言うのです。
たしかに、そういう面もあるような気はする。
でも、大上が実際にやっている行動には、暴力団を「生かさず殺さず、一般市民には手を出させない」ようにするための行動とは関係なさそうな、個人的な快楽を求めているだけのものが多いようにもみえるのです。

そういう、「矛盾の人」に説得力を持たせているのが、役所広司さんの存在感なんですよ。
やっぱり、役所さんはすごいや。観ているのはあくまでも「演技」のはずなのに、「カメラのないところの役所さんって、ものすごく怖い人なのでは……」と思えてくるのです。
その役所さんの存在感を受けてとめている松坂桃李さんも良かった。


この映画を観ながら、僕は『君たちはどう生きるか』という本に書いてあったことを思い出していたのです。


fujipon.hatenadiary.com



この本のなかで、コペル君の叔父さんは、ワーテルローの戦いに敗れたあとのナポレオンの話をしてくれます。

 イギリスに着いて以来、ナポレオンはずっと船室にとじこもったまま暮らしていたので、波止場に集まった人々は彼の姿を見たいと思っても見ることができなかった。ところが、ある日、ナポレオンは久しぶりで外の空気に触れたくなり、とうとうその姿を甲板にあらわした。


 思いがけず、有名なナポレオン帽をかぶった彼の姿を、ベルロフォーン号の甲板の上に認めたとき、数万の見物人は思わず息を呑んだ。今まで騒ぎ立っていた波止場が一時にシーンとしてしまった。そして、その次の瞬間——、コペル君、どんなことが起こったと思う。数万のイギリス人は、誰がいい出すともなく帽子を取って、無言で彼に深い敬意を表して立っていたのだ。


 戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置きどころがなく、いま長年の宿敵の手に捕えられて、その本国につれてこられていながら、ナポレオンは、みじめな意気沮喪した姿をさらしはしなかったのだ。とらわれの身になっても王者の誇りを失わず、自分の招いた運命を、男らしく引き受けてしっかりと立っていたのだ。そして、その気魄が、数万の人々の心を打って、自然と頭を下げさせたのだ。何という強い人格だろう。


 ——君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知ってくるだろう。


 世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。


 君も、いまに、きっと思いあたることがあるだろう。


 圧倒的な力の前では、「正しい人」は無力です。
 長い目でみれば、その人の犠牲が、多くの人の行動につながることはあるかもしれないけれど。


fujipon.hatenablog.com


 力を伴わない「正しさ」に、意味はあるのか?
 警察に通報すればいい……というか、それしかないですよね。
 ただし、警察も、死んだ人を生き返らせることはできないし、真っ白な組織でもない。
 この映画をみていて痛感したのは、ヤクザは「警察のほうが正しい」と思っているから警察には逆らえないのではなくて、警察のほうが、圧倒的に強い力(暴力)を持っているから従うしかないのだな、ということでした。
 「社会的な正義」を重視している人たちのあいだでは「正しさ」には価値がある。
 学歴を重視する官僚たちのなかでは、東大出身か広大出身かに大きな意味があるように。
 でも、職人の世界では、学歴よりも技術のほうが大事で、「大学出」であることにとくにメリットもなく、単に珍しい属性のひとつでしかないのです。
 力が強いもの、より狡猾なものが生き残る弱肉強食の世界では、「正しさ」は武器にはならない。


 北朝鮮がアメリカとの対話を最優先にしているのは、アメリカが「正しい」からではなくて、「圧倒的に強い」からなんですよね。

「自分の正しさが通用しない世界」と、人は、あるいは僕たちは、どう接していくべきなのか。
 なるべく接点を持たない、というのはひとつの正解なのかもしれないけれど、相手にとっては、こちらは「無防備な羊の群れ」にしか見えていないこともある。
 いざというときには「わるいスライムじゃないよ、いじめないで」と言えば、勇者は見逃してくれるのか。


 かなり脱線した感想になってしまいましたが、僕は良い(というか、ちゃんと「悪」が描かれている)映画だと思います。
 観る人を選ぶのは間違いないし、制作側としては、こういう小難しいことは考えずに『仁義なき戦い』の再来として多くの人に観てほしいのかもしれないけれど。


孤狼の血 (角川文庫)

孤狼の血 (角川文庫)

盤上の向日葵

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仁義なき戦い

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