琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
夫に別れを告げ家を飛び出し、宿無し生活。どん底人生まっしぐらの書店員・花田菜々子。仕事もうまく行かず、疲れた毎日を送る中、願うは「もっと知らない世界を知りたい。広い世界に出て、新しい自分になって、元気になりたい」。そんな彼女がふと思い立って登録したのが、出会い系サイト「X」。プロフィール欄に個性を出すため、悩みに悩んで書いた一言は、「今のあなたにぴったりな本を一冊選んでおすすめさせていただきます」――。


実際に出会った人達は魑魅魍魎。エロ目的の男、さわやかに虚言癖の男、笑顔がかわいい映像作家……時には自作ポエムを拝見し、かわいい女子に励まされ、優しい女性のコーチングに号泣しながら、今までの日常では絶対に会わなかったような人達に、毎日毎日「その人にぴったりの」本を紹介。え、もしかして、仕事よりもこっちが楽しい?!


サイトの中ではどんどん大人気になる菜々子。だがそこに訪れた転機とは……。
これは修行か?冒険か?「本」を通して笑って泣いた、衝撃の実録私小説


 最初、この本を書店で見かけたときには「何なんだこれ?」と思ったのです。
 読んでみたかったものの、中年男性が「出会い系サイトで」という本をレジに持っていくのがちょっと恥ずかしくて、結局、ネット書店で購入しました。

 
 この本、ちょっとまわりくどい書評あるいは本の感想集なのかな、と思いきや、読んでみると、著者の「魂の彷徨」みたいなものが、出会い系サイトでのさまざまな人との邂逅を通じて描かれているんですよね。
 序盤は、「出会い系」らしいというか、相手が新しくこのサイトに登録してきた女性というだけで声をかけ、隙あらば性行為に及ぼう、という男たちが出てきて、自分のことでもないのに、なんだか恥ずかしくなってしまいました。
 もちろん、著者は「本をすすめる」ために会っているわけで、そういう脂ぎった男たちの言いなりにはならないのですが、後のほうでは、「会ってみて気が合えば、結果としてそういうことになるのもやぶさかではない」というような雰囲気の出会いもあるんですよね。
 「ただしイケメンに限る」なのかよ!と思わなくもないのだけれど、読んでいくうちに、相手の男と「寝る」とか「寝ない」とかいうことにこだわりすぎている自分を発見して、かえって恥ずかしくなってきました。
 ああ、なんだか村上春樹の小説みたいだな。

 ここで、あれをやってみるというのは……?


 ふと閃いて、すぐに打ち消す。いきなり知らない人相手にそんなことできるわけないし、いくら何でも無謀すぎる。今までそんなこと、やってみたこともないのに。
 ……でも、別に失敗したところで何が起こるというわけじゃない。何にもできなくたって、ちょっとがっかりされるくらいのことだ。何もしないよりははるかにいいじゃないか。
 

 さんざん迷った末、私は自分のプロフィール欄を修正して、再登録した。


「変わった本屋の店長をしています。1万冊を超える膨大な記憶データの中から、今のあなたにぴったりな本を1冊選んでおすすめさせていただきます」


 本当にこんなこと書いて大丈夫なのか。でも。


 読んでみると、著者も最初はこのサイト内で「アピールする」ために、けっこう危ない橋を渡っていて、でもまあ、そういうことって、ネットで「他者にみてもらう」ために前のめりになっているときには、ありがちなことなんですよね。
 そして、この「出会い系サイト」も、ものすごく登録者数が多いわけではなくて、コアな登録メンバーのなかで、「あの人には会っておいたほうがいい」とか、「あの人は性的なことしか求めていない」など、ある種の「評価経済的なもの」が成立していて、ゆるやかな自治が行われていたのです。


 著者は、30代前半で、夫との生活に行き詰まって別居することになり、同じ時期に、ずっと「最愛の職場」であった書店(というか、ヴィレッジヴァンガード)の経営方針の転換にも直面するのです。
 いままで、当たり前のように、そこにあったものが、失われていく。
 諦めるほどの年寄りではないけれど、すぐにリセットして切り替えられるほど若くもない。
 ああ、これもまた、ミッドライフ・クライシスなんだよなあ。
 あるいは、「厄年」ってやつか。


 そういう立場にある人に、世間は優しくもあり、隙あらばセフレにしてやろう、という連中が舌なめずりしながら群がってくるものでもあり。

 しかしそれにしても。とりあえずセックスって言ってみるやつ。とりあえず結婚してるけど俺は問題ないって言ってくるやつ。とりあえず時間いっぱい手品とポエムの発表するやつ。とりあえず年収5千万と突飛な噓をつくやつ。こんな人ばかりのサイトなのか。もうめちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃすぎるだろう。そう思いながら、けれど、5千万とふたり、渋谷駅に向かって歩く雑踏はいつもより力強く輝いていた。
 だって無機質で居心地が悪いとしか思ってなかった街は、少し扉を開けたらこんなにもおもしろマッドシティーだったのだ。なんて自由なんだろう。やりたいようにやればいいんだ。こっちだってやってやるよ。やりたいように好き勝手に本の紹介をしてやるよ。そんなふうにカッカとたぎりながらスクランブル交差点の信号待ちをしていると、5千万が「あのさ」とちょっと言いにくそうに切り出す。
「……菜々子さん、プロフィールをすごい変わった感じで書いてるじゃん? あれ、やめた方がいいと思うよ。俺はチャレンジャーだからどんなやつか確かめてやろうって思って今日来たけど。で、実際すごいマトモな人だったから安心したんだけど。でもヤバそうって思うヤツも多いと思うから、ちゃんと真面目に書いた方が、これからいろんないい人と会えると思うんだ」


 え?


 まあ、「お互い様」的なところも、無きにしもあらず、なんですよね。
 「本をすすめる目的」とはいえ、夫とは別居中とはいえ、まだ籍は入っている状態なわけだし。
 でも、そこで「ずっと縛られてしまう」か、「おもしろマッドシティーを愉しむ」か、なんだよね、きっと。
 こちらが心を開いていけば、受け入れてくれる人や場所って、あるものなのだな。

 こんなふうに、自分の普通の生活の中では出会わない人の、知り得ぬ話を聞くのは最高に面白いことだった。自分が働き方のことで悩んでいたから、よりそれぞれの人の話が切実に響いたのかもしれない。
 Xに登録している人は全体的に「IT」「起業」「フリーランス」といういずれかのキーワードを抱えて生きている人がほとんどだったので、逆に本屋と雑貨屋のチェーン店で店長をしているなんていう人間はあまりXには存在せず、珍しがられるのもかえって新鮮だった。店で働いていることが珍しいと言われるなんて、想像もしていなかった。そしてそういう自分ですら、ごく普通のサラリーマンに会ったりするとやっぱりもの珍しく思って「えっ、どうしてそんな普通の人がXヘ?」などと聞いて、「いや、菜々子さんだってそうじゃないですか」と苦笑されたりした。


 著者が利用していた出会い系サイト「X」は、「意識高い系の人たちが集まりやすい場所」だった、と思うんですよ。
 「出会い系」といっても、援助交際や「割り切った関係」を求める人ばかりが集まるようなサイトでは、「あなたに本を紹介します」というのは、なかなか成り立たないでしょうし。
 逆に、「意識高い系の人たちがいろんな人に知り合うようなサイトでも、ナンパ目的の人が少なからずいる」というのも、この本を読むとわかります。


 本当に、僕たちが生きていて、知っている(つもりの)世界って、狭いよね。
 そして、思い切って手を伸ばせば、案外簡単に届くものに対しても、「どうせ自分には縁がないもの」だと諦めて、それが「大人の態度」だと思い込んでいる。

 
 この本を読み終えて、著者の略歴をあらためて見てみると、結局、人生の彷徨、みたいなものは、そう簡単に決着がつくようなものじゃないよなあ、とも思うのです。
 「放浪すること」に慣れてしまうと、かえって、「落ち着くこと」が難しくなるのかもしれない。
 自分なりに旅に決着をつけたつもりが、終着駅で、いきなり「ネジ」にされてしまうことだってあるのだし。

 上から目線で「知らない人に教えてやる」ことが本をすすめることだとしたら、自分より知識がある人に対して、自分の存在価値はない。自分がしたかったのは多分そういう種類のことじゃない。
 この頃、他のプロたちが「どう」本を紹介しているのかが気になって雑誌の書評もそんな目で見ていた。有名な書店員が本を紹介するページを見てがっかりしたことがある。「○万部突破のベストセラー」「○○賞受賞」といった本のスペックだけが語られ、内容についても文庫の裏表紙かアマゾンの内容紹介に書いてありそうな、とおりいっぺんの説明だけ。その人の肉声も、その本の魅力もまったくその人によって語られていなかった。知識量はあるのだろうし、書評のページではときに書店員は黒子になることも必要かもしれないが、このページの中で、誰かに本の魅力を伝えようとしたのだろうか?
 書評が死んでる、と思った。


 ここを読みながら、僕は「ごめんなさい」と心の中で謝っていました。
 書店のPOPが売り上げに影響する、ということが言われるようになってから、「売らなければならない本を売るために書かれたPOP」を見かけることが多くなりました。
 POPには立派なことが書いてあるけれど、読んでみてがっかりすることが増えたのです。
 どうしてこれを読んで、「うずくまって泣く」ことができるんだ?とか。
 ブログの本の感想や書評においても、「褒めたほうが売れるよね」的な忖度を感じることは少なくないのです。僕自身も、自分の言葉で書けてはいないことがほとんどです。


 「他者に本をすすめる」というのは本当に難しい。
 著者も、いまひとつピンとこなかったり、いろんな本をすすめてみても「それ、もう知ってます」と言われたりしています。

 僕もこの本を読みながら、「この人に紹介するのがその本だと、Amazonの『こちらもオススメ』みたいだなあ」なんて思った事例もあったんですよ。
 それだけ、Amazonのレコメンド機能は優秀だということなのかもしれませんが、「その人がいかにも読みそうな本」だと、つまらない感じがします。
 とはいえ、明後日の方向への暴投みたいなオススメでは、ランダムに紹介するのと同じでしょうし。
 納得感と意外性のバランスがとれた場所に着地するのは、まだまだ、AIにはできない仕事なのかもしれません。


 読んでいると、本当に「この人、どこに行ってしまうんだろう?」って、すごく気になるんですよ。おかげで、寝る前に1章だけ読むつもりだったのに、一気読みして翌日は寝不足できつかった。
 こんな冒険(あるいは彷徨)の結果、著者はどうなったのか……
 もちろん、ここには書きません。


水曜日は狐の書評 ―日刊ゲンダイ匿名コラム (ちくま文庫)

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