琥珀色の戯言

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【読書感想】一発屋芸人列伝 ☆☆☆☆

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝


Kindle版もあります。

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝

輝いた時代は終わる。それでも、人生は続く。
同じ芸人でなければここまで肉薄できなかった、
話題沸騰の連載がついに書籍化。


我々一発屋は、ただ余生をやり過ごしているだけの“生きた化石"ではない!
レイザーラモンHG── 一発屋を変えた男
コウメ太夫──“出来ない"から面白い
テツ and トモ──この違和感なんでだろう
ジョイマン──「ここにいるよ」
ムーディ勝山と天津・木村──バスジャック事件
波田陽区── 一発屋故郷へ帰る
ハローケイスケ──不遇の“0.5"発屋
とにかく明るい安村──裸の再スタート
キンタロー。──女一発屋
髭男爵──落ちこぼれのルネッサンス
世の中から「消えていった」芸人たちのその後の人生を、自らも「一発屋」を名乘る著者が追跡取材。
これまで誰も書いたことがなかった彼らの現在は、ブレイクした“あの時"より面白かった?!
涙あり笑いあり、そしてなぜか生きる勇気が湧いてくる。時代に翻弄されつつも必死に芸に生きる、
どうしようもなく不器用な人間たちに捧げるノンフィクション!


 以前、「と学会」の本で、会員になった占い師に対して「バードウォッチングの会に入ってきた鳥」だというたとえがあったのを記憶しています。
 『藝人春秋』を書いた水道橋博士は、その逆で、「バードウォッチングに夢中になっているうちに、鳥になってしまったバードウォッチャー」のように僕には感じられたのです。
 本質的には「観察者」なんじゃないかな、と。


 そして、この『一発屋芸人列伝』を書いた山田ルイ53世さんも、「鳥になってしまったバードウォッチャー」のひとりではないかと思うんですよ。
 お笑いの仕事よりも、こうして文章を書くほうが、本人は好きなのではなかろうか(すみません、僕の勝手な想像です)。
 

fujipon.hatenadiary.com

 以前読んだ、この山田さんの自叙伝にしても、かなりややこしい人生を読みやすく、かつ熱すぎも突き放しすぎもしない、絶妙な距離感で書いているなあ、と感じましたし。

 多くの人々に愛され、真似をされた一発屋達の芸。
 学校や居酒屋、メールやSNS上でのやり取り……あらゆる場所で、彼らのギャグやフレーズが飛び交い、一発屋達の衣装を模したコスプレに身を包み、忘年会や新年会の余興を切り抜けるものが続出した。
 程度の差はあれど、一発屋達は皆一様にお茶の間の人気者となり、その内の何組かは、”社会現象”と評されるほどの大ブレイクを果たし、時代の寵児と持て囃された。
 そうして……僕達は消えた。


 お伽噺であれば、
「末永く幸せに暮らしましたとさ……」
「めでたしめでたし……」
 とその絶頂期に幕を引くことも出来るだろうが、現実はそうはいかない。
 人生は続く。
 本書で描かれるのは、サクセスストーリーではない。
 一度掴んだ栄光を手放した人間の”その後”の物語である。


 「一発屋」たちは、どんな「余生」を送っているのか?
 僕の想像では、地方のショッピングモールに週末になると「営業」に出かけ、「もうこれ、やりたくないなあ……」なんてボヤキながら、醒めた雰囲気の観客に「懐かしいネタ」を披露して、糊口を凌ぐ、という感じなんですよ。
 ところが、この本を読むと、一発屋たちは、「終わった人」ではなくて、「二発目」を狙って新しいネタの開発に余念がなかったり、地方営業のエキスパートとして重宝されたり、活動拠点を九州に移して、「ご当地タレント」として仕事の幅を広げたりしているのです。
 諦めているわけでも、投げやりになっているわけでもない。
 彼らは、次のチャンスを、虎視眈々と狙い続けています。
(ところで、この本には、女性の一発屋芸人は『キンタロー。』さんしか出てこなくて、その事情について山田さんが書いているところは興味深いものがありました)


 これを読むと、とりあえず、「一発」当てるだけでもすごいことなんだな」と感心せずにはいられなくなるのです。


 「ハードゲイ」キャラでまさに一世を風靡したレイザーラモンHGさんの回から。

 2000年初頭にハードゲイキャラを思い付き、大ブレイクしたのが2005年。売れるまでの5年間、彼はハードゲイの研究、情報収集を重ね、キャラを練り上げていく。
「大阪における新宿2丁目的な場所に通って、色々とお話を聞いたりとか。時間もあったので、ニューハーフパブでボーイとして働くことにした。そしたら『ショーに出てくれ!』となって、マッチョな男性と女性のショータイムに出してもらった。まぁ全員男性ですけど」
 偏執的なまでの飽くなき努力。
「自分は、本当のゲイではないから」
 というのがその理由だが、もはや、キャラ作りというより役作り。デ・ニーロ・アプローチならぬ、”住谷・アプローチ”である。実にストイックだ。
 それだけではない。
「やはり、スジを通さないと駄目」
 と、彼の熱弁は続く。
「一応、大阪の堂山というハッテン場(男性同性愛者の出会いの場)に、昔からいらっしゃる重鎮の方に挨拶に行って。『こういうことをやろうと考えてるんですけど、色々教えてもらえませんか』と。東京に来た時は、新宿2丁目の老舗のお店に挨拶に行った」
 更には、おすぎとピーコ、ピーターの元へも挨拶に赴き、許しを得たという。
 ハードゲイは、数多のコスプレキャラ芸の中でも、最も高い精度で、緻密に組み上げられたネタなのだ(余談だが、我々も、同じ”グラス持つ芸人”の大先輩である、ゆうたろうの元へ挨拶しに行ったことがあったが、それはたまたま、現場が一緒になったついでの行為であり、込められた誠意には雲泥の差がある)。
 結果、「爆笑問題のバク天!」(TBS)で人気に火がつき、全国的に大ブレイクを果たす。その後の活躍はご承知の通り。


 そこまでやっていたのか、HG!
 言われてみれば、もともと学生プロレスをやっていたとはいえ、『ハッスル』でも技の完成度は高かったものなあ。
 レイザーラモンは、のちに正統派漫才で『THE MANZAI』の決勝大会にも進んでいます。
 現在は、一発屋達の代表として、「一発屋総選挙」などというイベントも開催しているそうです。

 
 同じ「一発屋」のカテゴリーに分けられる芸人たちでも、レイザーラモンHGさんや営業の帝王・テツ and トモのような「できるヤツ」もいれば、コウメ太夫さんのような「できないことがかえって武器になる」ケースもあります。

 彼(コウメ太夫)には、芸人なら本能的、あるいは経験則的に備わっている筈の常識や回避能力……”反射”がないのである。
 そうでなければ、
「たこ焼き買ったら、1個足りませんでした……チクショー!!」
 そんな弱い武器で、舞台に上がることなど出来ない。
 少なくとも、僕には。
 失礼を承知で言えば、全てが的外れ。
 一度「的を外すことが正解」とルール改正が行われれば、全てが正解になるのだ。
コウメ太夫で笑ったら芸人引退」企画は、そのルール変更を行い、それまで同業者である芸人が”裏の笑い”として楽しんでいたコウメ太夫の唯一無二の「出来なさ」を、お茶の間でも味わえる「面白いもの」として提供したのである。
 番組は、芸人達も、そしておそらくは視聴者もコウメ太夫に大爆笑し、
コウメ太夫のネタを見ると芸人は全員笑う!」
 と結論付け、幕を閉じた。


 「一発屋」と一括りにされることも多いけれど、その芸風も生きざまも、多彩なんですよね、本当に。
 この本の最後に登場してくる「一発屋」は、髭男爵。著者の山田ルイ53世とひぐち君のコンビです。
 ほとんど面識もなかったのに、ふとしたきっかけでコンビを組み(というか、最初は3人だったのが、2人の仲を取り持った共通の知り合いが先に抜けてしまい)、「一発」当ててしまった髭男爵
 しかし、前述の『ヒキコモリ漂流記』にも書かれていたように、山田ルイ53世さんは、才能はあるけれど、引きこもっていたこともあり、自分自身をもてあますところがあったのです。
 そして、ひぐち君には、あまりお笑いの才能がなかった。
 というか、彼は、お笑い芸人としての「狂気」みたいなものを持たない、「普通の人」でした。

 2015年、樋口は結婚する。
 その披露宴の席。相方として挨拶を余儀なくされ、少しばかり話をした。
 20年近く前。僕は「電波少年」の企画を1年間頑張って帰国。相方は僕の留守中、先輩に可愛がられ、しっかり自分の居場所を作っていた。対する僕は、人間関係が希薄となり、浮いた存在に。
 ある日、僕は、相方にもう芸人を辞めると告げる。
 その時、樋口は言った。
「山田が辞めるなら、俺も辞める!」
 お笑いの才能は無いかもしれない。
 しかし、ただ寄り添う……人生を共に歩む力は誰よりも抜きん出ている。
 信用できる男だ。
 締めの言葉に会場が拍手で包まれる。


 人生を「漂流」してきた山田さんがいちばん必要としていたものは、漫才の「相方」というより、「友達」だったのかな。
 この本を読んでいると、人間の「幸せ」って、結局は売れることやお金よりも「人間関係に恵まれること」なのかもしれない、と思うのです。
 お金も人気もそれなりにあったほうが、人間関係もスムースにはいきやすそうだけれど、ありすぎるとそれはそれでこじれてしまいがち、ではあるのですよね。


ヒキコモリ漂流記

ヒキコモリ漂流記

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