琥珀色の戯言

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【読書感想】知の越境法~「質問力」を磨く~ ☆☆☆☆

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)

知の越境法 「質問力」を磨く (光文社新書)


Kindle版もあります。

知の越境法?「質問力」を磨く? (光文社新書)

知の越境法?「質問力」を磨く? (光文社新書)

内容紹介
素朴なギモンは貴重な情報源/人に説明して自分の理解を深める/異分野の知恵を借りて停滞を破る/想定外の問いで本音を引き出す――記者から「週刊こどもニュース」キャスターへ“左遷”されるも、お茶の間の人気を獲得し、「分かりやすさ」を武器にしてフリージャーナリストに転身した著者が、普段の環境を離れ、領域を跨いで学び続けることの効用と、積極的に“移動”することの重要性を説く、私たちのための「越境のススメ」。


 池上彰さんが、自身の「勝ち組ではなかった」半生を振り返りながら、そこで身に着けてきた「生存戦略」について語っている本です。
 NHKの記者からテレビ番組のキャスター、そして、現在の人気フリージャーナリストというのは、エリートコースというか、成功の連続にみえるのですが、本人にとっては、必ずしもそうではなかったようなのです。
 むしろ、NHKの典型的なエリートコースにうまく乗れなかったからこそ、フリーとしての成功があったんですね。
 積極的に自分の道を切り開いてきた、というよりは、行けと言われた場所で、自分なりに工夫する習慣をつけてきたことが、池上さんの道を切り開いていったのです。

 NHKの解説委員は総勢で約40人。それぞれがアメリカや原発や中東などの専門分野を持ち、自分のテーマを追って取材ができます。その結果を、解説番組で解説するのです。
 私はNHK入社後、松江、呉での勤務を経て、東京の社会部で10年勤務しました。その後、キャスターとして、「首都圏ニュース」を5年、「週刊こどもニュース」のお父さん役を11年担当。その間、早くキャスターを辞めて、解説委員になりたい、と思っていました。
 NHKでは、毎年、人事考課表に今後の異動希望先を書く欄があります。私はそこに毎年「解説委員希望」と書いて出していました。すると、あるとき廊下で解説委員長に呼び止められたのです。
「君は解説委員になりたいという希望を出しているけれど、それは無理だな。解説委員には何か一つ専門分野がなければ。君には、専門分野がないだろう」
 NHKでの人生設計が潰えた瞬間でした。
 私は図らずも会社の都合で専門性を持つことがなかったわけで(それはそれで楽しんだのですが)、それなのに、「専門性がない」とは。解説委員になれば、それなりのレベルのことができるという自負はありました。いや、専門家に勝てないまでも、渡り合えることはできるだろう、との思いがありました。
 しかし、解説委員室への扉は閉じられました。
 では、私の強みとは何だろう、と考え直しました。弱点と思われたことが実は強みだった、ということはよくあることで、私はその専門性のなさ=幅広く何でも知っている、というのが他人と違うところではないか、と気がつきました。


 もちろん、その「幅広く何でも知っている」というのも、ちょっとネットで検索した程度ではなくて(というか、池上さんの若かりし頃にはネットはありませんでしたし)、独学でかなりいろんなジャンルの勉強をされているんですよね。
 ある程度専門的な知識を持っていなければ、「子どもたちにわかりやすくニュースを解説する」ことはできませんし。
 池上さんは、自分の強みとして、「それぞれのジャンルでは専門家にはかなわないけれど、幅広いジャンルの知識を持っており、広い視野で物事をみて、それをわかりやすく伝える技術を持っている」というのを見出したのです。

 先に名前を出した小柴(昌俊)氏はニュートリノの研究でノーベル物理学賞を受賞しました。受賞後、私が担当していたNHKの「週刊こどもニュース」に出演していただき、こどもたちに説明してもらったのですが、そのとき、私は、「これ何の役に立つんですか」と聞きました。すると小柴氏は「何の役にも立ちません」とはっきり言い切るではありませんか。
 理屈としては、これで宇宙の構造が分かると言いますが、「宇宙の構造が分かったからといって、私たちの暮らしが良くなるわけではありません」とのことでした。
 ところがその後、ニュートリノになる前の段階のミュー粒子が、何でも貫通してしまうのに、火山のマグマは通りにくいことが分かります。これにより、マグマがどこにあるかを特定する。いわば火山のレントゲン撮影ができるようになりました。つまり、役に立つようになったのです。
 同じ理屈で、名古屋大学の研究グループが、エジプトのピラミッドを通過するミュー粒子を観測し、ピラミッドの中に未知の空間があることを突き止めました。
 何の役にも立ちません、と思って研究していたら、ほかのどこかで役に立ってしまった、というわけです。科学の世界にはこういうことがよくあります。


 池上さんは、この本のなかで、何度も、リベラルアーツの重要性について語っておられます。「ゆとり教育批判」に対しても、あの時代に教育を受けた子どもたちが、さまざまなジャンルで世界的に活躍するようになってきていることも指摘しているのです。


 池上さんにとっての、「ジャーナリストの条件」とは?

 どういう人をジャーナリストと呼ぶか、と聞かれた場合、誰でも名乗ればジャーナリストです、と答えます。新聞やテレビのような組織に属そうが、個人でフリーであろうが、名乗ればすぐにジャーナリストです。
 しかし、問題はそのあとです。何を発言し、何を残したかが問われるのです。
 では、「本当のジャーナリストとは?」と聞かれたら、どう答えるか。
 権力に左右されず、権力におもねることなく、自分が調べた事実いちんと伝えていく人のことではないでしょうか。自分のことを考えても、なかなかそうはなれないのですが、そうなりたいとは常に思っています。
 私はテレビの選挙特番で政治家に対して、辛辣な質問をすることもありますが、それは、従来の選挙特番があまりにもおとなしく、聞くべきことを聞いていない、と思うことがあって、あえてそうしている、という部分があります。


 テレビ東京の選挙特番での政治家への厳しい質問は、「池上無双」などと言われることもあるのですが、池上さんにとっては、「聞くべきことを聞いている」だけなんですね。
 今となっては、「池上さんだからこそ聞ける」というムードになっているのだとしても、聞けば答えてくれるのを発見したのは池上さんの大きな功績だと思います。逆に「まともに答えてくれない政治家」も可視化されるわけですし。

 最後に越境論は左遷論だという話をしましょう。
「はじめに」で、越境には「自発の越境」と「受け身の越境」があるという話をしました。できれば「自発の越境」をしたいと思いますし、基本的にビジネス書というのは、ほとんど「自発の越境」の話ばかりと言っていいでしょう。
 ヤマト運輸の宅配便ビジネスを始めた小倉昌男氏の話など、読んでいるだけで勇気を与えられます。ニトリの社長の似鳥昭雄さんの話は、一見劣等生の話に見えますが、やはり破天荒な成功譚ですから、これも勇気をもらえます、どちらも業態そのものが、未知への越境と言っていいでしょう。
 しかし現実には、ビジネスパーソンにとって「自発の越境」と「受け身の越境」のどちらが多いかというと、圧倒的に後者ではないかと思うのです。その最たるものが「左遷」ではないでしょうか。本人の意思に反して、別の場所に置かれるわけです。
 そこで、「左遷」などと受け止めないで、「越境」だと考えたらどうか、と提案したいのです。会社から越境させてもらった、とポジティブに考えてはどうか、と思うのです。左遷されなければ絶対に経験できなかったところに行けるわけです。そこで思いも寄らないことを経験することにより、自分が成長できて、業績を残せば、またもとに、あるいは本流に戻れる可能性が出てくるのです。


 そういうふうに思うことは、けっして簡単ではないですよね。
 ただ、左遷された先で腐っていても、仕事に身は入らなくなって、周囲の評価も下がっていく一方ではあります。
 「こんな場所だから」と愚痴ばかりで仕事をしない人よりは、「ここが今の自分の仕事場だから」と力を尽くす人のほうが好かれるのも事実でしょう。周りは「そこで仕事をしてきた人たち」なのだし。
 ものすごく成功した人のなかには、エリートコースを一直線に進んできた、というより、挫折や左遷を経験した人が少なからずいるのです。むしろ、そういう「挫折経験」がある人のほうが、人間的な魅力があるようにも感じます。


 あの池上彰さんも自分が望んでいた道に進めず、「受け身の越境」をしてきたのだと自分では考えているのだな、ということに、少し驚きながら読みました。
 そういう「反骨の精神」があるからこそ、池上さんに多くの人が惹かれるのかもしれませんね。


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