琥珀色の戯言

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【読書感想】日本代表を、生きる。 「6月の軌跡」の20年後を追って ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
1998年フランスW杯を戦った「日本代表」の物語は終わっていなかった。
W杯初出場の扉をこじ開けた者たちの、それから。

日本代表がW杯初出場を果たした歴史的な1998年フランス大会から20年。当時の日本代表、スタッフはどうしているのか? 様々な人生を歩みながら、彼らは今もあの経験と向き合い続けていた――。

著者が選手スタッフ39人に取材して、初出場した日本のフランス大会を克明に描いた『6月の軌跡』(文藝春秋、のち文春文庫)から20年。W杯ロシア大会を前に、あらためて当時のメンバーにインタビューをし、W杯の扉を開いて以降、それからの人生を追った。
驚いたことにカズをはじめまだ現役である選手が6人もいる他、指導者になった者もいれば、変わらずサッカー界で働くスタッフもいた。彼らの目に今に浮かぶ光景とは。

かつての代表チームを追って、全国に取材行脚をした力作ノンフィクション。登場するのは、岡田武史中山雅史井原正巳名波浩城彰二三浦知良北澤豪中田英寿小野伸二川口能活、楢﨑正剛、相馬直樹呂比須ワグナー岡野雅行森島寛晃山口素弘市川大祐秋田豊名良橋晃中西永輔小島伸幸平野孝ほか


 いま、2018年のワールドカップがロシアで行われています。
 日本代表チームはグループリーグを通過し、決勝トーナメント1回戦で強豪・ベルギー代表相手に大健闘したものの、2-3で逆転負けし、敗退しました。

 日本代表が最初にワールドカップに出場したのは、1998年のフランス大会でした。
 僕は初戦のアルゼンチン戦の日、病院で当直をしていたのですが、試合中に便秘の患者さんが来院して、ワールドカップでこんなに盛り上がっているけれど、世の中のすべての人がワールドカップに興味があるわけじゃないんだなあ、と思い知らされました。
 結局、その大会で、日本代表は予選リーグで3連敗を喫してしまったのです。ああ、まだまだ世界の強豪国にはかなわないなあ、と痛感しました。
 フランス大会での日本代表チームとスタッフを取材した、増島みどりさんの『6月の軌跡』も読んだ記憶があります。

 
 あれから20年、増島さんは、あらためて、1998年のワールドカップに出場した選手(そして、大会前にメンバーから外された、三浦知良北澤豪市川大祐の3選手)に取材をして、彼らの現在と、20年前、日本代表チームがはじめて出場したワールドカップ・フランス大会の記憶をまとめたのが、この本なのです。


 市川大祐選手は、高校生のときに1998年のフランス大会に日本代表チームの一員として招集されました。著者は、2016年にJFL日本フットボールリーグヴァンラーレ八戸で行われた、市川選手の引退試合を取材しています。

 ケガに苦しみ5クラブを渡り歩き、それでも市川は当時の年齢以上に長くサッカーを続け、消えてしまう天才や有望株では終わらなかった。20年もの年月をかけて、日本代表とは何か――その壮大な難問に答えを出していたのだ。
 その姿に、スタジアムの大画面でカズが贈ったメッセージも重なる。カズは間違いなく、こう言った。
「これからも日本代表のために、そして自分のために……」
 日本代表が先、次に自分。特に意識などしていないだろう、カズにとって、この思考回路は恐らく、呼吸やまばたきと同じように当たり前の反射のひとつに過ぎないはずだ。たとえ何百回話したとしても順番は入れ替わらないし、そもそも引退する者に対し日本代表のために、と言っている。
 1997年、死闘を繰り広げたジョホールバルでW杯の重い扉をこじ開けた選手たち、フランスW杯へと向かって行った選手たちを、それぞれの引退や指導者ライセンスの取得、監督就任といった区切りのシーンで取材はしてきた。しかし、フランスW杯代表「25人」を、横軸で見たのは、この引退試合が初めてだったように思う。
 W杯初出場から20年が経過しようとしているにもかかわらず、市川を含め7人が現役だった。カズ、伊東、さらにW杯で18歳での最年少出場記録を作った小野伸二は37歳でコンサドーレ札幌にいる。GKでは川口能活SC相模原)、楢崎正剛名古屋グランパス)は今も先発出場する。中山雅史も、札幌で「未練たらたら」と表現した引退の後、J3アスルクラロ沼津で復帰した。
 引退した彼らの「今」にも驚かされた。
 J1の監督、コーチ、クラブやサッカーの組織、団体のマネージメント役に就き、日本サッカー協会のユース年代の指導者もいれば、解説のほか、サッカースクールを主宰している者もいる。Jリーグ、日本代表を指導できるライセンスの最上位「S級ライセンス」を取得した者が12人もいる。1大会の代表選手の取得率として驚異的な数である。しかも、相馬直樹山口素弘名波浩井原正巳秋田豊小村徳男、斎藤俊秀、呂比須ワグナーの8人は監督を経験する。 
 サッカーの現場にはいなくとも、「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」代表となった中田英寿もカズと同様、いつでも、どんな形でも、心から愛するサッカーへの献身を忘れたりはしないだろう。


 「はじめてワールドカップに出場した、日本代表の25人」は、いまでもみんな、サッカーに関する仕事を続けているのです。
 まだ現役で活躍している選手もいれば、引退して指導者やチームスタッフになった選手もいます。
 Jリーグの大きなクラブで監督を務めた選手もいれば、地方にクラブチームを立ち上げて、地域密着の活動をしている元選手も。
 解説者になったり、サッカーを普及するための仕事をしている者もいるのです。


 著者は、彼らの連絡先を調べてみて、驚いたそうです。
 25人のうちひとりも、行方不明になったり、連絡がとれなくなったりした者がいないことに。
 「あの人は今」じゃないですが、有名な芸能人やスポーツ選手は、有名であったがゆえに、身を持ち崩したり、罪を犯すことは少なからずあるのです。
 ところが、はじめてワールドカップに出場した日本代表チームのメンバーには、そんな「ありがちな悲劇」は起きていません。
 彼らは「日本代表だった」のではなくて、「日本代表として、生き続けている」ようにみえるのです。
 

 この本のなかで、さまざまな選手が、ワールドカップの過酷さについて語っています。
 選手たちにとっては、いつもと同じ仕事をやるだけだろう、と僕は思っていたのですが、そうじゃなかった。
 精神的なプレッシャーや肉体的なケア、そして、試合に選手が良い状態で入っていけるようにするためのマネージメントと、ワールドカップというのは、どれをとっても別格の試合だったのです。
 ヨーロッパの一流リーグにいる選手であれば、所属クラブでもかなりプレッシャーかかる大きな大会に臨むことがあるのでしょうけど、20年前の日本代表の選手たちには、そんな経験はなかったのです。


「野人」こと岡野雅行さんの話。

 岡野にとって、ジョホールバルでの28分間は「戦争」だった。戦争をビデオで振り返るなどできるはずもなく一切見なかった。


(中略)


 ビデオを使った講演会は必ず大きな笑いに包まれるが、それは岡野にとっての「戦争」をオブラートに包む工夫が成功しているからだ。本当はいまだに体が震えるのでビデオを正視できないが、何とか笑って話すように努力はする。講演を聞きながら感動し、泣き出してしまう人もいる。鳥取のために営業に行けば、必ず伝説のVゴールの話で始まり、年間数十回もの講演会に招待され、そうしてずっと日本代表との旅を続けて来た。


(中略)


 出場機会がなかったためピッチから早めに引き上げてくると、まだ誰もいない通路で決勝点をあげたバティストゥータが大声をあげて怒っている。日本を相手に思ったような試合ができず、自身も1ゴールだったのを悔しがっている。舞台裏で見た世界のエースの厳しさに圧倒されていると、脱いでいたユニフォームを岡野の目の前で通路に激しく叩きつけた。まだ誰もロッカーに戻って来ていない。バティのユニホームは目の前に投げ捨ててある。短時間にあらゆる可能性を考えた結果、腰をかがめてそれを持ち返ろうとした瞬間、走ってきたアルゼンチンのマネジャーに奪われた後悔も忘れない。


 平野孝さんへのインタビューより。

 フランスW杯のアルゼンチン戦では後半6分間ピッチに立たせてもらい、ちょうどサネッティと右サイドで対面する格好になりました。岩だ、と思いましたね。こっちはもの凄い力で当っているのに向こうはピクリとも、全く動かない。足は速いし、体は強いし、しかも同い歳でしたから、本当に世界との差、本気で戦うレベルの違いを改めて見せつけられました。あの舞台を経験できたから、サッカーに対してより探求心を持っていかなくちゃいけないんだ、と思い続けられましたし、その想いが35歳まで海外を含め8つのクラブでプレーできた理由だったのかもしれません。本当に20年経った今でも、サネッティと当った時の感覚って体にしっかり残って消えないんですよ。何だこれ? って。不思議なものですね。時々思い出している。


 日本代表に選ばれる選手たちの身体能力をもってしても、「岩だ」と感じるほどの差があったなんて……相撲でいえば、横綱に稽古をつけてもらう新十両、みたいなものですよね。
 そこから日本のワールドカップがはじまったことを考えると、確実に世界の強豪国との差は縮まってきているのだと思います。
 とはいえ、他の国もどんどん進歩しているわけですから、そう簡単には追いつけない。


 今回の監督交代劇では批判にさらされたJFA日本サッカー協会)なのですが、著者は、JFAが、サッカー不遇の時代の精神を持ち続け、400人もの記者を新聞でも個人でも同じように受け入れていることを称賛しています。他の多くの競技団体やJOC日本オリンピック委員会)が、新聞やテレビを優先しているのに比べて、「個人の実績に敬意を払い続けている」と。
 諸悪の根源のように叩かれているJFAなのですが、あの監督交代の是非はさておき、「外部から批判することができる」というのは、立派なことなのかもしれませんね。


 名良橋晃さんには、20年間忘れなかった宝物のようなシーンがあるそうです。

 1997年、ジョホールバルでの激闘から帰国した日、都内のコンビニエンスストアに立ち寄り新聞を読んでいた。
 隣で女子高生たちが話している。
「サッカー観た?」
「もう、チョー感動した。凄いよねぇ」
「サッカー全然わかんないけど、トリハダ立ったもん」
 他愛もなく話していた女子高校生たちに「ちなみに私、昨日そこにおりまして……」と言いかけて、止めた。
 知り合いでもない、サッカーの熱狂的なファンでもない。普通の女の子たちにそう感じ取ってもらえて、死闘は報われたと思えたからだ。そして日本代表の価値と使命とは、こうした人々の喜びや感動と共にあるのだ、と、この時はっきりと分かったからだ。


 今回のワールドカップの日本対ポーランド戦のハーフタイム、都内のスポーツバーで酔っ払って大騒ぎしながら観戦している人たちの姿が映し出されたのです。
 酷暑のなか選手たちが試合をしているのに比べて、観客っていうのは、気楽だよなあ。これって、騒ぐための口実みたいなものだよなあ……と思ったんですよ。僕もそういう「にわかサッカーファン」のひとりだったにもかかわらず。
 でも、この名良橋選手の話を読んで、選手たちは、その大勢の人たちの人生における一晩の喜びのために、自分の人生を捧げている、ということを思い知らされました。
 
 
 ワールドカップは、国の代表どうしの勝負だけれど、少なくとも日本では、すぐに消費されてしまう娯楽のひとつでしかありません。
 だからこそ、価値がある。
 戦争の勝った負けたとは違う真剣勝負だからこそ、サッカーは、ワールドカップは楽しい。

 彼らが背負ってきた「重さ」と「誇り」が伝わってくる貴重な証言集だと思います。


6月の軌跡―’98フランスW杯日本代表39人全証言 (文春文庫)

6月の軌跡―’98フランスW杯日本代表39人全証言 (文春文庫)

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