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【読書感想】メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道 ☆☆☆☆☆

メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道

メディアは死んでいた-検証 北朝鮮拉致報道


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
あの日、報道各社は北朝鮮をめぐるトップ級のニュースを報じなかった。産経、日経はベタ記事、朝日、読売、毎日には一行もなく、NHK、民放も無視した。メディアの役割を放棄したのだ…。どう取材したか、しなかったか、どう報道したか、しなかったか、が正しく記憶されるべきではないだろうか。なぜならば、それらをも含めて拉致事件と考えるからだ。


 北朝鮮による拉致事件は、なぜ、長年明らかにならなかったのか?
 ヒントはあったはずなのに、マスメディアは、なぜそれに気づかず、あるいは無視してしまったのか?


 この本、1972年に、産経新聞社に入社し、80年1月、「アベック3組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープし、97年、「20年前、13歳少女拉致」で横田めぐみさん拉致を報じ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞受賞した記者によって書かれています。 
 もちろん、著者はこの17年間、何もしなかったわけではなくて、日本各地で起こった謎の失踪事件を追い、拉致被害者の家族たちをサポートし続けておられるのです。
 この人が、最初に、その違和感に気づかなければ、拉致問題がメディアで報じられることはなかったのは確かです。
 でも、気づいた時点で、「思い込み」や「想像」ではなくて、かなりの証拠(日本や他国では製造されていなかった、低品質の「さるぐつわ」など)も揃っていたにもかかわらず、その報道は広がることもなく、メディアや政治の世界から「黙殺」されてきたのです。


 僕はこれを読みながら、ずっと考えていました。
 僕自身も、小泉首相が訪朝し、北朝鮮側から具体的な説明がなされるまで、拉致問題に対しては「半信半疑」だったよなあ、って。
 「外国の情報機関による拉致なんて、スパイ小説の世界じゃないの?」
 著者には、足で集めた証拠や証言があったにもかかわらず、所属する産経新聞で一度大きく取り上げられたくらいで、追随するメディアはなかったのです。
 1960年から70年代くらいまでは、北朝鮮を「地上の楽園」だと信じている人が少なからずいて(そういう報道をしていたり、プロパガンダに加担していたメディアや政党もあったのです)、拉致についても、「北朝鮮に渡った在日朝鮮人や日本人妻が大勢いたのだから、わざわざ日本まで来て人をさらっていく必要性は無いのでは?」と言い返されると、「それもそうか……」と納得してしまうような雰囲気があったんですよね。

 富山の拉致未遂事件、福井、鹿児島の失踪事件の共通点のうち、「過去に北朝鮮工作船密入国した地点に近い」という点については、関連する資料をあさり、にわか勉強した。
 北朝鮮工作員が日本に密入国するようになったのは1950年6月の朝鮮戦争勃発前からだった。私の知る限りでは、最初の摘発事件は俗に「第1次朝鮮スパイ事件」と呼ばれる。49年夏、島根県隠岐島から密入国した工作員は、すでに日本に潜入していた工作員在日朝鮮人を統合して100人近いスパイ網のリーダーとなり、駐留米軍の情報を北朝鮮へ報告していた。50年秋から翌年にかけて警視庁などに摘発され、40人が検挙された。一度に40人。当時の日本における北朝鮮スパイ網がうかがい知れる。
 60年代に入ってからは頻発するようになり、上陸後に摘発され、密入国の年月や場所が分かっているケースも数十件あった。
 公安担当記者の当時の関心事は、日本赤軍や過激派セクトの動向にあった。外事事件も守備範囲内ではあったが、北朝鮮工作員の日本への密入国、日本からの密出国が、これほどまで多いとは知らなかった。摘発されなかった数は一体どれほどになるのか、見当もつかない。
 工作船海上で捕まえた事例は、1件も見つからなかった。北の工作員たちは日本の領海を、やりたい放題に行き来していたのだ。 捕まった工作員の中には、観念して、密入国の詳細をあっさり自供した者も少なくない。


 いま、拉致が明らかになってからの感覚としては「ヒントも証拠もあったはずなのに、なんでこんなに事実がわかるまでに時間がかかったんだ!」なのですが、その時代に口火を切るのは、本当に大変だったのだろうな、と思います。
 「あの国は日本人を拉致している」と名指しで批判するというのは、もし間違っていたら(いや、間違っていないとしても)、外交上、大きな問題になるのは確実ですし。


 著者のスクープは、何度か掲載見送りの憂き目をみたものの、証拠を積み重ねることによって、ようやく日の目をみることになりました。

 当時、新聞各社は元日の1面トップ記事でスクープを競い合った。数か月も前からネタを仕込んだりしたものだった。
 しかし拉致の記事は元日をパスしている。掲載は1980年の1月7日付だった。
 その朝刊1面トップの見出しは、こうだった。
《アベック3組ナゾの蒸発 (昭和)53年夏 福井、新潟、鹿児島の海岸で》
《外国情報機関が関与?》
《富山の誘拐未遂からわかる 外国製の遺留品 戸籍入手の目的か》
 非公開だった新潟は匿名、福井、鹿児島、富山は実名で、福井と鹿児島は家族からいただいた被害者たちの写真も載せた。
 アベックとは言うまでもなく男女2人連れのことだが、今では死語の代表格だそうだ。
 カップルとすべきかもしれないが、本書ではアベックのまま通す。
 当時の産経新聞の題字はカタカナで「サンケイ」。鉛版を使い手作業で紙面を作成していた。1段に15文字も詰まり、まだ高齢読者への配慮などない時代だった。カラー写真も当然、なかった。
 同じ日の第1社会面はその半分以上を割き、取材した関係者の証言を元に、唯一、物証があり、目撃者がいる富山の拉致未遂事件の犯行を再現した。
《こうして襲われた 4人組 終始無言の犯行 後手に手錠 頭に布袋》
《任務分担 事務的ですばやく》
《犬の鳴き声で姿消す》
 第2社会面には《何語る特製ずくめの遺留品》の6段見出しで、犯行に使われた手錠、ゴム製サルグツワ、帯、ズックぐつなどについて詳述し、《製造元どれも不明 国内での入手は不可能》と報じた。


 ところが、この記事を他のメディアが「後追い」することはなく、著者が告発した「拉致疑惑」は、黙殺されてしまったのです。
 
 政治から大きな圧力がかかったり、大手メディアが事件を隠蔽していた、というよりは、それぞれが「この問題にかかわるのはリスクが高いので、手出ししないほうがいい」という「忖度」の積み重ねで、長年、拉致問題は大きく取り上げられることがありませんでした。

 誤報だったら……という気持ちはわかるのだけれど、著者が集めた証拠やこの記事をみて、同じメディアとして、事実確認をしようと思わなかったのだろうか。

 もしこのとき、まだ拉致事件からそんなに年月が経っていないときにもっと世論が動いていたら、と考えずにはいられません。


 著者は、1988年3月26日を「メディアが死んだ日」と自戒を込めて言い続けています。
 その日に、参議院予算委員会で行われた質疑のなかで、共産党の橋本敦議員の拉致疑惑に対する質問に対して、警察庁城内康光警備局長が、「拉致の疑いがあると考えている」と答弁しました。
 
 続いて、梶山清六国家公安委員長自治相)が以下のような答弁をしたのです。

《昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性に鑑み、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、ご家族の皆さん方に深いご同情を申し上げる次第であります》
 これを通称「梶山答弁」という。


 国も、このときにはすでに、「北朝鮮による拉致の可能性」について検討していたのです。
 ところが、この「梶山答弁」に対するメディアの反応は、意外なものでした。

 1988年3月26日の「梶山答弁」に戻る。雑談やオフレコの場ではない。無責任な噂話ではない。国会の予算委員会で政府が北朝鮮の国名をはっきりと挙げて、人権・主権侵害の国家犯罪が「十分濃厚」とし、警察庁が「そういう観点から捜査を行っている」と答える。
 これは尋常なことではない。だれでもトップニュースと思うだろう。
 しかし、この答弁がテレビニュースに流れることは、ついになかった。
 新聞は産経がわずか29行、日経が12行、それぞれ夕刊の中面などに見落としそうになる小さいベタ(1段)記事を載せただけだった。
 産経の見出しは《アベックら致事件 北朝鮮の犯行濃厚》。日経は《「不明の三組男女 北朝鮮拉致が濃厚」 梶山自治相》。
 両者が加盟する通信社配信の原稿かと思ったが、読み比べると、それぞれ自社記事のようだ。
 朝日、読売、毎日には一行もなかった。
 マスメディアの拉致事件への無関心は、ここに極まった。
 まるで申し合わせでもしたかのように、足並みをそろえて無視したのだった。記事の扱いが小さいとか、遅い、というのではない。報じなかったのだ。
「メディアが死んだ日」という意味合いが、お分かりいただけるだろうか。


 政府が最初に拉致被害者認定をしたのは、1997年でした。
 「梶山答弁」から、9年が経っていました。


 その後の拉致事件の経過をみていくと、初動の遅れは大きかったと思いますし、手掛かりもあり、著者のように情報発信をしていた人がいたにもかかわらず、メディアは、拉致疑惑を「黙殺」していたのです。
 それも、北朝鮮からの圧力というよりは、それぞれのメディアのイデオロギーとか、面倒なことにはかかわらないほうが得策だ、というような事なかれ主義によって。


 著者がいなければ、拉致事件はこうして表に出ることはなかったかもしれません。
 それでも、著者は、ずっと後悔し続けているし、読んでいる僕も「もうちょっと、どうにかならなかったのだろうか」と思えてきて、しかたありませんでした。
 人って、大概、取り返しがつかなくなってから、「あの時、ああしていれば……」と後悔するものではあるけれど。


北朝鮮 核の資金源―「国連捜査」秘録―

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