琥珀色の戯言

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【映画感想】ジュラシック・ワールド/炎の王国 ☆☆☆☆

https://iwiz-movies.c.yimg.jp/c/movies/pict/c/p/4c/59/362712_004.jpg

あらすじ
ハイブリッド恐竜インドミナス・レックスとT-REXの激しいバトルで崩壊した「ジュラシック・ワールド」があるイスラ・ヌブラル島の火山に、噴火の予兆が見られた。恐竜たちを見殺しにするのか、彼らを救うべきか。テーマパークの運営責任者だったクレア(ブライス・ダラス・ハワード)と恐竜行動学の専門家であるオーウェンクリス・プラット)は、悩みながらも恐竜救出を決意し島へ向かうが、火山が噴火してしまい……。

www.jurassicworld.jp


2018年、映画館での23作目。
2D、日本語吹き替え版を平日のレイトショーで観ました。
観客は50人くらい。


シリーズ第1作の『ジュラシック・パーク』の公開が1993年で、大学の部活の仲間たちと一緒に映画館で観たのを思い出します。
当時は、「巨大な恐竜がスクリーンに登場する」ことそのものが大イベントで、「いつになったら、T-REX(というか、当時の僕にとっては、ティラノサウルス)出てくるのかな……」とワクワクしていたのを思い出します。予告編でも、巨大な恐竜の姿は公開されていませんでした。


その後、シリーズが何作もつくられ、観客にとっては、「巨大な恐竜が出てくることは、もう想定内」になってしまったなか、このシリーズを作り続けるのは、けっこう大変だと思うんですよ。
ストーリーも、どんどん強引になっていったというか、「なんでそんなに同じ失敗を繰り返すんだ。毎回大災害ばかりで、恐竜テーマパークとか誰も近寄らなくなるだろ」と言いたくもなるのですが、それでも観たくなるのが恐竜というものなのかもしれませんね。
結局、このシリーズ最新作も大ヒットしているわけですし。


もう『ジュラシック』は飽きたよ……と思いつつ観はじめたのですが、この『炎の王国』は、けっこう面白かったんですよね。
目新しい恐竜が出てくるわけでもなく、恐竜たちが暴れるまでの経緯も、いつも通りの「なんでそんな余計なことするの?」と言いたくなるヤブヘビっぷり。そもそも、恐竜兵器って、どう考えてもコストの割に効果に乏しいというか、「ロマン派兵器」だろそれ、と。
カルタゴハンニバルやペルシアが象を戦車として使っていたときも、相手がきちんと対策をとるようになると戦場を混乱させるだけだったようですし、最新のハイテク兵器や化学兵器、ドローンにかなうとは思えません。そもそも、餌を供給する手間と餌代がかかりすぎる。


しかしながら、このシリーズの「登場人物が恐竜に襲われる」から、「どうみても助かりそうもない状況に陥る」を経て、「ギリギリのところで、予想外のことが起き、助かる人は助かる」という王道のハラハラドキドキパターンは、そういうものだとわかっていても、けっこう「面白く感じる」のです。
一時は「もう飽きた」って思っていたのだけれども、いまの僕くらいの年齢になると、「水戸黄門の印籠」や『必殺仕事人』のような「予想通りの展開になることの安心感」が心地よくなるものみたいです。
なぜ父親が、当時の僕には毎週同じ話のように思えた『水戸黄門』を毎週喜んで観ていたのか、今ならわかるような気がします。
ましてや、『ジュラシック』シリーズは、3年に1作くらいのペースだし。


「ここがすごい!」というのを挙げるのは難しいのだけれど、これほど「緊張と緩和」をうまく配して、2時間10分、「時間が気になる観客」である僕が時計を気にせずに観続けることができる映画をつくりあげたのは、すごい技術だよなあ、と感心します。
小学校高学年くらいから、定年後の高齢者に至るまで、誰がみても、これほど最大公約数的に楽しめる映画というのは、ほとんど存在しないのではなかろうか。
複雑な家庭環境も、濃厚なラブシーンもなく(いや、前者に関しては、ものすごく複雑な家庭があったか……)、恐竜から逃げまどい、悪い連中が破滅していくのを見守るという簡単でスリリングなお仕事!


1993年の第1作では「いかにもSF的」だった恐竜を現代によみがえらせるという技術、今ではかなり実現に近づいてきているのもまた事実なんですよね。
そんななかで、「生まれてしまった恐竜たち」をどう扱うのか、というので、アメリカの世論が二つに割れる、というのは「いかにもありそうなこと」で興味深かったのです。
「一企業がつくったものでもあるし、自然の淘汰に任せるべき」か、「由来はどうあれ、いま生きているのだから、保護していくべき」なのか。
今後、もし「遺伝子操作された人間」や「クローン人間」が生まれてきたとき、それが、社会的な合意を得る前に、個人やいち企業の手でつくられた場合、社会は、その存在をどう処遇するべきなのか。
存在してはいけないものだから「抹殺」するのか、それとも、もう生まれてしまったのなら、「ふつうの命」と同じとして、「保護」あるいは「ほかの命と平等に扱う」のか。

 
ちなみに、僕はこの映画に関しては、とりあえず思いつくだけで2か所、『ジュラシック・パーク(ワールド)』シリーズなら、こうなるだろう、と思っていた予想が外れたところがありました。
あえてマンネリ化を辞さない、ようで、それなりに、社会の新しい価値観を取り入れているのも、スピルバーグ総監督の「上手さ」なのでしょう。


Ost: Jurassic World: Fallen Ki

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