- 作者: 中野京子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/06/19
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- 作者: 中野京子
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内容紹介
美が招くのは幸運か破滅か? 肖像の奥に潜む、秘められたドラマとは。
絵画のなかの美しいひとたちは、なぜ描かれることになったのか。その後、消失することなく愛でられた作品の数々。本書では、40の作品を中心に美貌の光と影に迫る。
――美を武器に底辺からのし上がった例もあれば、美ゆえに不幸を招いた例、ごく短い間しか美を保てなかった者や周囲を破滅させた者、肝心な相手には神通力のなかった美、本人は不要と思っている美、さまざまですが、どれも期待を裏切らないドラマを巻き起こしています。それらエピソードの数々を、どうか楽しんでいただけますよう。(「あとがき」より)
《本書の構成》
第1章 古典のなかの美しいひと
第2章 憧れの貴人たち
第3章 才能と容姿に恵まれた芸術家
第4章 創作意欲をかきたてたミューズ
中野京子さんの絵画紹介シリーズ。
書店でみかけると、つい手に取ってしまうのですが、今作は肖像画(多くは「美しいひと」を描いた女性の肖像画)について書かれています。
とくに印象的なのは、表紙の黒い帽子に黒い服で、こちらを少し見下すような表情をしている女性なのですが、これは、イワン・クラムスコイの『忘れえぬ女』という絵なのだそうです。
そして、この絵の女性は、トルストイの有名な作品のヒロインをモデルにしているのではないか、と言われ続けているのです。
画家は、モデルについては言及していないにもかかわらず。
フィクションの登場人物をモデルにしてビジュアル化する、というのは、後世のアニメ化やライトノベルのイラストの先鞭をつけた、とも考えられます。
それを言うなら、宗教画なんて、みんなそうじゃないか、ということになるのですが、信者にとっては、聖書の登場人物は「架空のキャラクター」ではないのです。
この絵の女性をみていると、ただ「美しい」よりも、「なぜ、こんな表情をしているのだろう?」と疑問を感じる作品のほうが、心惹かれるような気がするんですよね。
フランソワ=グザヴィエ・ファーヴル作の『スザンナと長老たち』という絵では、こんな話が出てきます。
スザンナと長老たちの物語は、旧約聖書外典「ダニエル書」に記されている。
――舞台は、ユーフラテス川沿いの古代都市バビロン。富裕なユダヤ人の若妻スザンナは、美しく信心深いことで知られていた。その彼女に、町の長老二人が邪まな気持ちを抱く。やり口は卑劣きわまりない。スザンナが毎日、決まった時間に邸の庭で沐浴することを知って忍び込み、彼女が人払いしたのを見済まして近づくと、自分らの言うなりにならねば、おまえが若い男と密会していたと裁判に訴えるぞ、と脅したのだ。当時、姦通は死罪だった。
それでもスザンナが激しく拒んだため、長老たちは腹いせに脅しを実行し、彼女を法廷に引きずりだした。スザンナは無実を訴えたが、商人は誰もいない。まして長老は裁判官も兼ねる権力者なので、たちまち死刑判決が下されてしまう。
ここから本当の主人公が登場する。旧約聖書中の「四大預言者」の一人で、後に「裁判の守護神」ともなるダニエルだ。
裁判を傍聴していたダニエルは、スザンナの無実を確信して異議を申し立てる。そして長老を一人ずつ切り離し、細部にわたって詳しく尋問することで両人の証言の矛盾を突く(この鮮やかな手並みは、後世のミステリ小説にも繰り返し応用されている)。長老たちは、スザンナ木の下で若い男と密会したのを確かに見たと言いながら、その木を一人は樫の木、もう一人は乳香樹と自信なげに証言した。高さも形態も全く違う木である。こうしてスザンナの冤罪は晴らされ、死刑に処せられたのは好色で卑劣な長老たちの方だった――。
さまざまな物語の「類型」の多くは、聖書の時代にすでにできあがっていたものなのだなあ、と感心してしまいます。
こういう物語があるということは、その時代から権力者の腐敗というのはあったのでしょうね。
この長老たちは「記憶にございません」で、言い逃れをしようとはしなかったのだろうか。
こんなに昔から、「冤罪を晴らし、真実を見つける人の話」が人口に膾炙していたにもかかわらず、魔女裁判が行われたり、冤罪事件が起きたりしてきたのですから、人が人を裁くというのは、一筋縄ではいかないのでしょうね。
サッカーのワールドカップのように、別室で審判員がビデオ判定してくれればいいのに。
著者は、この作品について、こう述べています。
もともと意味や物語のある絵画作品は、その意味や物語を知った上で鑑賞するのが作品や画家に対するリスペクトではないか(オペラを観て、ストーリーなどどうでもいい、演奏の上手い下手だけが大事、などという観客がどこにいるだろう?」)絵は自分の感性でのみ見ればよい、知識は不要、という日本の美術教育は誤りではないのか……
その考えから筆者は「怖い絵」シリーズをはじめとした絵画解説書を書き続けている。
この作品、著者の「怖い絵」シリーズをもとにして開催され、多くの来場者を集めた「怖い絵」展のなかの一作として展示されたそうなのですが、たしかに、その冤罪事件の物語を知らなければ、「エロおやじたちに迫られて困惑している女性の絵」でしかなくて、なんでわざわざこんな作品を描いたのだろう?と疑問になるか、「作者もスキだねえ」と加藤茶さんの懐かしのネタを口にしてその場を去る人がほとんどなはずです。
たしかに、ある程度の基礎知識があったほうが、美術は楽しめるはずなのに。
というか、キリスト教って何?という人に、キリスト教の宗教画は、やっぱり、伝わりにくいとは思うのです。突き詰めれば、キリスト教を信じていない人たち(僕を含む)には、宗教画を描かれた時代の人々や信者と同じように見ることは難しいのでしょう。
「先入観を持たずに、自分の感性を大事にして観る」というのは、素晴らしいことのように思えるけれど、本当にそんなことができる人は、ほとんどいないはずです。有名な画家の名前や会場での採り上げられかた、人が集まっているかどうかで、すでに「先入観」というのはつくられているものだし。
もちろん、すべての作品の背景を美術の教科書に載せるわけにもいかないでしょうけど。
昔の絵やその背景を知ると、人間の本質というのは、1000年くらいでそう簡単に変わるものではないのだな、とも感じます。
クエンティン・マサイスの『醜い公爵夫人』という作品では、醜いというか、怪物的な見た目の老女が描かれているのです。
でも、こんな絵、誰がいったい欲しがったのだろうか?当時の絵は、大量生産できるものではなく、そんなに安価ではなかったはず。
一体どうしてこんな妙な作品が描かれたかといえば、教訓画として需要があったからだ。醜い老婆が、もはや似合いもしない派手なファッションに身を包み、なおまだ求婚者の出現を信じているとは、滑稽きわまりない、己を知れ、恥を知れ、というわけだ。
この主題は、肉体美が賞揚されたルネサンス時代に非常に好まれ、大勢の画家がこぞって取り上げた。中でもマサイスのグロテスク趣味の濃い風俗画は人気があり、本作もさまざまなヴァージョンが描かれたし、ダ・ヴィンチの模写も残っている(かつてはダ・ヴィンチのスケッチ画をマサイスが模写したといわれていたが、今では逆が定説となっている)。
教訓というからには、老婦人が購入して自室に飾り、もっと瞑すべしとばかり朝晩ながめて身を律していた……はずがないではないか。こうした絵は実に笑えるから注文が殺到したのだ。笑ったのはもっぱら上流階級の男たちと、やがて自分も老いるということに想像の及ばない若い女性たちであったろう。ルネサンスというのは、キリスト教一色だった中世を抜け、ギリシャ・ローマ時代の精神復興を目指した文化運動である。そこでは完璧な美は完璧な魂とイコールと捉えられ、老いや外見の醜さは公然と否定された。ダ・ヴィンチやラファエロのような美貌を持たなかったミケランジェロの苦悩はよく知られている。あれほどの芸術家でさえ悩んだのだから、社会的地位の低い老いた女性には良い時代ではない。
当時の平均寿命からすれば、「社会的地位が低くて、老いることができた女性」というのは、今よりもずっと少なかったのではないかと思われます。
こういう「イジメやイジリの構図」というのは、人類の伝統芸みたいですね。
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