琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】とんねるずと『めちゃイケ』の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
なぜ、『みなさん』『めちゃイケ』の時代は終わったのか。なぜ、フジテレビは低迷しているのか。なぜ、ダウンタウンはひとり勝ちしているのか。なぜ、『アメトーーク!』『ゴッドタン』『水曜日のダウンタウン』はウケているのか。なぜ、視聴者は有吉弘行マツコ・デラックスから目を離せないのか。なぜ、大物芸人はネットで番組を始めるのか。平成が終わろうとしている現在、テレビ業界とお笑い界で巻き起こっている地殻変動を、お笑い評論の第一人者が、膨大な資料をもとに徹底分析する。


 この本を読み始めて、ふと思ったんですよね。
 そういえば、『とんねるずのみなさんのおかげでした』も、『めちゃ×2イケてるッ!』も、半年前までは放送されていたのだよなあ、って。
 あれだけの人気長寿番組でも、なくなってしまえば、急速に忘れられてしまうのが、バラエティというジャンルなのかもしれません。

 両番組とも、ネットでは、何年も前から「今度こそ終わる!」と言われ続けていて、終了が発表されたときには、「ようやく終わるのか……」という感じではありました。
 ちなみに僕は『みなさんのおかげでした』は、ほとんど観たことがなく、『めちゃイケ』は、最終回まで、けっこうよく観ていたのです。

『みなさん』が多くの視聴者に飽きられてしまったのだとしたら、それはとんねるずという芸人が飽きられつつあるということを意味する。
 具体的にいうと、とんねるずの「パワハラ(パワー・ハラスメント)的な笑い」がいまの時代に合わなくなっているのだ。


(中略)


 彼らは、どんなに自分たちの地位が上がっても、頑なにその芸風を変えようとはしなかった。いまでも番組側に用意された企画や台本に縛られず、あえて後輩芸人に冷たく接したり、ひどい目にあわせたりして、予定調和を崩そうとする。
 素人芸こそが自分たちの本質であり、そこから離れてしまうと魅力が一気に失われてしまうことになる、というのがよくわかっているからだ。
 しかし、徹底して「負け顔」を見せない強気な姿勢が、パワハラを嫌ういまの時代の空気には合わなくなってきた。
 とんねるずはデビュー当時、何も持たないただの若者だった。だから、彼らが好き放題に暴れて上の者に噛みつくのが同時代の若者に熱狂的に支持されたのだ。
 しかし、現在のとんねるずは、地位も名誉もお金も、何もかも手に入れてしまった絶対強者である。そんな彼らが権力者としてふんぞり返っている姿は、それだけで反感を買ってしまいやすい。
『みなさん』で数年前から行われてきた、とんねるずが後輩芸人に自腹で数十万円から数百万円もする高級時計を買わせるという企画は、典型的な「パワハラ企画」だといえる。
 もちろん、その場のノリで半ば強引に時計を買わせてしまうというこの企画は、パワハラ的だからこそ面白いのだ。
 しかし、職場などで本物のパワハラに苦しめられた経験がある人にとって、彼らの振る舞いは笑えないものとなってしまう。


 僕は昔から、とんねるずの「パワハラ的」なところが嫌いで、なぜこれで笑えるんだ……と思っていたのです。
 もちろん、ほとんどは「本物のパワハラ」ではなくて、「パワハラ的な演出」だったのでしょうけど。
 それでも、「とんねるずの笑い」が時代に合わなくなってきている、というのは、個人的には「まあそうだよね」という感じなんですよ。
 むしろ、よくいままでこれでやってきたよなあ、と。


 『めちゃイケ』について、著者は、こんな話をされています。

 ほとんどの期間で演出を務めた片岡飛鳥は、ドキュメンタリー的な手法を駆使して、岡村を含む出演者たちを精神的に極限まで追い込むことで、その素顔を引き出そうとした。だから、『めちゃイケ』は、出演者が本気で怒ったり、泣いたりするような場面がたびたびあった。


(中略)


 片岡が、出演者を「洗脳」に近いくらい精神的に追いつめていたことは業界内では有名な話だ。


 この本のなかでも紹介されているのですが、最終回で、光浦靖子さんが「あなたにとっての『めちゃイケ』とは?」という質問に、「宗教」だと答えていたのを思い出します。


 パワハラ的、あるいは、出演者を追い込むドキュメンタリー的なバラエティは、もう、時代遅れになってきているのでしょう。
 とか言いながらも、今をときめく『世界の果てまでイッテQ』には、ドキュメンタリー風のコーナーもあるので、「さすがに『めちゃイケ』には飽きた」だけなのかもしれませんが。
 『めちゃイケ』の場合は、あまりにも内側での結びつきが強くなりすぎて、視聴者も置いて行かれてしまった感じがします。

 今のテレビバラエティというのは、過去の遺産を受け継ぎつつ、新しい見せ方を求めて試行錯誤している状況なのかもしれません。
 ネットのバラエティ番組がそんなに凄いのか、というと、こちらも、「地上波にはないものを」と言いつつ、中途半端なエロや暴言の垂れ流し、冗長なだけの番組が多いようにも感じます。
 中には、「攻めてるなあ!」というものもあるんですけどね。


 著者は、ダウンタウン松本人志さんの凄さを「内部からの視点」で書いています。

「制作者とタレントは感覚が違う」というのが、テレビ制作者のあいだの共通認識だ。番組の企画や演出について出る側のタレントが考えることは、制作者目線だとどこかズレているように感じられることも多い。
 私も、テレビの制作に携わっていたことがあるので、それはよく理解できる。テレビカメラの前でうまく立ち振る舞う能力と、面白い番組をつくる能力は、根本的に違うことなのだ。
 だが、松本と仕事をしたことがあるテレビ制作者は、例外なく、松本に「つくり手としての感覚」がきちんと備わっていることに驚いている。
水曜日のダウンタウン』の演出を務めるTBSテレビの藤井健太郎も、著書のなかで松本のそういう能力を高く評価している。
 彼が『リンカーン』に携わっていたときのこと。企画を練っている最中に、松本のひと言でその場にいたスタッフ全員が「それだ!」と腑に落ちたのだという。

 正直、その発想自体が特別なわけではありません。時間をかければ僕らでも気づいたかもしれませんが、そこに至るスピードが、ディレクターや作家たち、その場にいた誰よりもずば抜けて速かったことに素直に驚きました。
 たくさんの芸人さんと仕事をしてきましたが、こういったスタッフ目線、特に企画ではなく構成の力がある人は本当に特殊です。
   (藤井健太郎著『悪意とこだわりの演出術』双葉社、2016年)


 松本は直接視聴者の目に触れないところでも番組づくりに多大な貢献をしている。つくり手としての能力でも圧倒的な信頼を得ているからこそ、テレビの世界で仕事が途絶えることがないのだろう。


 だから、ダウンタウンは、松本人志さんはずっと最前線に居続けられるのだな、と納得させられる話です。
 そして、多くの場合、「面白いことを思いつく」のと「それを面白くパフォーマンスする」という能力は両立しないのだ、ということもわかります。
 

 Netflix、hulu、AmazonなどのSVOD(定額制動画配信サービス)やAbemaTVの現状について。

 SMAPの解散によって所属事務所を退社した稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾が三日間にわたって生出演した『72時間ホンネテレビ』、元ボクシング世界王者の亀田興毅が一般人の挑戦を受けて戦う『亀田興毅に勝ったら1000万円』など、いくつかの番組は世間でも大きな話題になった。
 これらの動画配信サービスは、いずれ地上波テレビを脅かす存在になるのではないか、という議論もある。だが、個人的には、それは問題の立て方が間違っているのではないかという気がする。なぜなら、「テレビ」とは、はじめからそれらを含んでいるものではないかと思うからだ。
 そもそも、SMAP亀田興毅も、地上波テレビで注目されて人気が出たタイプの有名人である。彼らが出演したAbemaTVの番組が注目されたのは、世間に対する影響力の大きいテレビという場所で、彼らがすでに認知されていたからだ。
 AbemaTVで配信されている番組では、地上波テレビと変わりのない顔ぶれのタレントが出ているし、制作スタッフも地上波テレビと同じである。
 地上波のテレビ番組に携わってきた出演者やスタッフがそのまま流れてきているだけなのだ。これは、テレビ朝日がかかわっている事業だからそうなっているというだけではないと思う。
 そもそも、いまの日本で広く支持される動画コンテンツをつくるためには、地上波テレビのスタッフの制作力に頼る以外の選択肢がないのである。
 インターネットテレビで「地上波テレビのようなもの」をつくるには、地上波テレビのノウハウを生かすしかない。「いまはユーチューバーが人気があるから、ユーチューバーをスタッフは出演者として起用していこう」などということにはなっていない。
 AbemaTVにかぎらず、ほかの動画配信サービスでも事情は同じである。Amazonプライム・ビデオで配信されているバラエティ系のコンテンツを制作しているのも地上波テレビのスタッフである。
 いわば、日本の動画配信サービスは「地上波テレビ」という大いなる母の血を引いた子どものようなものだ。これらがテレビを脅かすというのは、そもそもありえないことなのではないか。

 
 アメリカでは、ハリウッドの有名監督や役者たちが、制作費が潤沢で表現への規制も緩やかな動画配信サービスにどんどん参入しているのです。
 日本でも、同じことが起こってくる可能性は高いのではないかと僕は考えています。
 でも、テレビと同じ制作者が、同じフォーマットで作ったオリジナル動画だと、結局、「テレビと同じ」になってしまいそうではありますよね。
 著者は、ユーチューバーはインターネットテレビで起用されない、と仰っていますが、ユーチューバーの人気動画はテレビ番組と比べると、10分や20分というような、かなり短く凝縮されたコンテンツであり、彼らの側も現在の「エロや暴言で差別化しようとしがちなインターネットテレビ」に魅力を感じていないようにみえるんですよね。
 僕自身は、今の人間の生活習慣や情報の取り入れ方を考えると、テレビ番組は30分でも「長い」のではないか、という気がしているのです。
 その一方で、テレビの制作者やプロの芸人さんはやっぱり「高いレベルでしのぎを削ってきた人たち」なので、ネットという媒体に本気で取り組めば、大概のユーチューバーなんてひとたまりもないのではないか、とも思います。

 『みなさんのおかげでした』や『めちゃイケ』が終わったのは、とんねるずナインティナインが飽きられた、というだけではなく、もっと大きな時代の変化の象徴なのかもしれませんね。


アクセスカウンター