- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/11/10
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内容紹介
今だから全部明かす! 平成時代の秘密のプロ野球史
「私が長嶋批判を続けた本当の理由」「日本シリーズでイチロー攻略した言葉の力」「阪神監督就任は人生最大の後悔」など、あんなことからこんなことまで、ノムさんが本音で平成時代のプロ野球を振り返る
年号が平成になったとき、僕はまだ学生で、「将来、昭和生まれ」なんて若者にバカにされるのだろうなあ、と思った記憶があります。
あと、昭和が長く続き、今上天皇が即位された年齢を考えると、平成はそんなに長くは続かないかもしれないなあ、と。
もう、平成も30年。
天皇陛下の退位も近づいてきていますが、職場にも平成生まれの人たちがだいぶ増えてきて、「平成」がひとつの時代となったことをあらためて思い知らされます。
僕の子どもたちも「平成生まれ」ですし。
太平洋戦争後、日本のプロ野球がセ・リーグとパ・リーグに分かれて再スタートをきったのが昭和25(1950)年で、平成になった1989年は、ちょうど40年目にあたるそうです。それからだいたい30年ですから、日本で二リーグ制になってからのプロ野球史の半分近くは平成に入ってから、ということになりますね。
野村監督は、この本の冒頭に、平成元年のこの事件を紹介しています。
その平成のプロ野球は、あるピッチャーの、こういう発言からはじまった。
「巨人は(最下位の)ロッテより弱い」
巨人と近鉄バファローズの対決となった平成元年の日本シリーズは、近鉄がいきなり三連勝。球団史上初の日本一に王手をかけた。試合後のヒーローインタビューで、その発言は飛び出した。
お立ち台に上がったのは、近鉄の先発・加藤哲郎。加藤は6回3分の1を投げ、巨人打線を3安打無失点に抑えて勝利投手となった。会心のピッチングで高揚していたこともあったのだろう、「巨人はロッテより弱い」と口にしたという。
この出来事は私も憶えている。
「バカじゃないか?」
正直、思った。
加藤の気持ちは理解できた。巨人コンプレックスである。当時はセ・リーグのほうが人気ははるかに高かった。まして近鉄なんて、いくらがんばってもお客さんは来てくれないし、マスコミにもほとんど取り上げられない。南海ホークス時代、私もその悲哀を嫌というほど味わった。セ・リーグ、なかでも圧倒的な人気を誇る巨人に対して積み重なったうらみつらみ、コンプレックスが、加藤をしてそのような言葉をほとばしらせたに違いないと思った。
ところが……じつは加藤は「巨人はロッテより弱い」あどとは発言していないのだという。お立ち台で彼が口にしたのは、正確にはこういう言葉だった。
「(巨人打線は)たいしたことなかった。打たれそうな気はしなかった」
「シーズン中のほうがよほどしんどかった。相手も強いし」
この発言が、翌日の全国紙(読売新聞だったという)に以下のような内容となって載ったのである。
「いまの巨人ならロッテのほうが強い。このチームに負けたら西武、オリックスに申し訳ない」
僕も憶えている「巨人はロッテより弱い」は、実際は加藤投手の言葉を記者が「超訳」したものだったのです。
これを読むと、加藤投手の元の発言も、ビッグマウスというか、けっこう相手をバカにしているものではありますが。
いまだったら、きっと「加藤投手はそんなことは言っていない」という検証記事がネットに出てくることになるのでしょうね。
いまから30年前は、まだ「巨人がプロ野球の中心」だった時代であり、「巨人コンプレックス」が、いまよりもずっと強かったことも伝わってきます。
相手が巨人でなければ、そして、近鉄が3連勝後、このヒーローインタビューを挟んで4連敗しなければ、この加藤投手の言葉も、ここまで歴史に刻まれることはなかったのでしょうけど。
ちなみに、野村克也さんが、ヤクルトスワローズの監督に就任したのは平成2年でした。
野村さんは、平成序盤のプロ野球は「最強西武 vs 野村ID」の図式だったと述べています。
自分で言うのか!と思いつつも、たしかにそうだよなあ、と。
野村監督は、平成5年に巨人の監督に復帰した長嶋茂雄さんを徹底的に批判しましたが、そこには長嶋さんの監督適性への疑問とともに、こんな戦略もあったそうです。
長嶋が復帰したと聞いて私が思ったのは、こういうことだ。
「選手がかわいそうだなあ」
選手たちは、長嶋監督から野球の何を学べるというのか。一度、バッティング指導をしているのをうしろから見たことがあったが、口から発せられるのは「ガーッと行け!」「パーッと行け!」。「ガー」「バー」「グイッ」という擬音がやたら多かった。これで通じたのは中畑清くらいではないか。理論も何もなく、感覚だけなのだ。
このように、長嶋の復帰に批判的な私ではあったが、決まったのであれば”利用”してやろうと考えた。ヤクルトの監督だった私は、メディアを通じて、長嶋に対して挑発的な発言を繰り返した。
「あんなカンピューター野球に負けてたまるか」「あれだけの戦力で勝てないのは何か問題があるんじゃないか?」「審判はみんな巨人贔屓」……。
その第一の目的は、長嶋を挑発し、冷静さを失わせることだったが、もうひとつ大きな狙いがあった。メディアの注目を集めるためである。ヤクルトは東京を本拠地にしているがゆえ、巨人人気の陰に隠れてしまい、観客動員も芳しくなかった。「何かいい方法はないか」と相馬社長に相談された私は言った。
「長嶋人気、巨人人気を利用しましょう」
「どういうふうに?」
「ヤクルトファンはアンチ巨人のはず、私が長嶋批判、巨人批判をバンバンやります。そうすれば喜んで神宮にも来てくれるでしょう」
私が長嶋攻撃、巨人攻撃をすればメディアは飛びつくに違いない。そうすればおのずとヤクルトが取り上げられる機会も増える。そうすれば、プロ野球全体のためにもなる……私はそれを狙ったのだ。
たしかに、野村監督の発言はメディアで大きく取り上げられたのですが、これって「炎上商法」みたいなものではありますよね。
この新書のなかで、野村さんは「長嶋が私の言葉を真に受けて、その後関係がぎくしゃくしたのだけは誤算だった」と書いているのですが、そりゃ、最初から打ち合わせてやったのでもなければ、後だしで「プロ野球を盛り上げるため」とか言われても、ぎくしゃくするよね……
野村さんは、ヤクルトで監督として大きな成果をあげたあと、三顧の礼で低迷していた阪神タイガースの監督として迎えられます。
阪神監督時代を振り返って。
「三年後に『阪神は変わったな』といわれるチームをつくりたい」
記者会見で私は述べた。それなりに自信もあった。ヤクルトの九年間で、弱いチームを強くする方法論を確立できたと感じたからだ。
しかし……三年連続の最下位。それが現実だった。
正直、思い出すのもイヤな三年間だった。ヤクルトと違って、とにかく選手たちが私の話をまともに聞かない。メディアやタニマチに甘やかされ、たいした実力もないのに自分はスターだと勘違いしていた。全面協力を約束したはずの球団も、私の希望するような補強をしてくれない。弱くても客が来るから、選手も球団も本気で強くなろうとしない。そして、伴わない結果の責任はすべて監督に着せられる……。まさしく四面楚歌の三年間だった。「人生で後悔していることはあるか」と訊かれたら、「阪神の監督を引き受けたこと」と答えるだろう。
「人には向いているチームと向いていないチームがあるのだな……」
自分自身つくづく思い知らされたし、阪神というチームにも申し訳なかったと思う。
どんな名監督でも、相性とか、タイミングって、やっぱりあるんですよね。阪神はこのあと、星野仙一監督のもとで優勝するのですが、その下地をつくったのは、三年連続最下位だった野村監督時代でした。
僕もこの時期の阪神をみていて、野村さんがダメになったのか、阪神というチームがよっぽどダメだったんか……と思っていたんですよね。
躍進を遂げて、今年こそ優勝だ!と言われていたチームが同じ監督なのにいきなり低迷する、ということも少なからずあって(最近では2016年のオリックスの森脇監督とか)、名監督というのは、自分だけの力でなれるものではないようです。
ちなみに、野村克也さんは、その後、楽天の監督として、また手腕を発揮しています。
黒田博樹投手の背番号「15」が永久欠番となったことに対して、「永久欠番も安っぽくなったものだ……もっと実績を残している選手も大勢いるのに……たとえば私とか」
なんて仰っているのをみると、「お元気そうで何より」みたいな気分になってしまうのが、野村さんという人の面倒くさいところであり、面白いところでもありますよね。
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