琥珀色の戯言

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【映画感想】クリード 炎の宿敵 ☆☆☆☆

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ロッキー(シルヴェスター・スタローン)の指導を受け、ついに世界チャンピオンになったアドニス(マイケル・B・ジョーダン)に、リングで父アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子ヴィクターが挑戦状をたたきつける。ロッキーの反対を押し切り、父のリベンジを誓い試合に臨んだアドニスだったが……


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 2019年、映画館での2作目。
 平日の夕方の回で、観客は10人くらいでした。


 でもさあ、スタローンが出てくる『ロッキー』シリーズなんて、みんな似たようなものだろ?
 僕もそう思いつつ、なんとなく「見届ける」気分ではあったのです。
 観ていても、ロッキー・バルボアには思い入れがあっても、アドニスクリードには、「ふーん、ヘビー級の世界チャンピオンって、そんなに簡単になれちゃうんだ……」というような、素っ気ない感情しか持てなくて。
 前半は、このシリーズで繰り返される物語の、あまりの「御都合主義」っぷりに、「あーはいはい」という気分でした。

 WBCのヘビー級チャンピオンなんて、そんなに簡単になれるものではないし、いくらパワーがあっても、粗削りな技術のない選手にあっさりやられるようなものじゃないだろう、と思うんですけどね。

 アドニスがどんなに厳しいトレーニングを積んでも、ドラゴ親子の30余年の屈辱の人生を想像すると、「一時的かつ短期間だしなあ……」という気がするんですよ。
 今の世の中って、どん底からボクシングで這い上がる、みたいな生々しいストーリーは、かえって受け入れられないのかもしれませんよね。
 もちろん、アドニスの側にも、さまざまな葛藤があるんだろうけれど、アドニスにはロッキーやドラゴ親子のような「怨念」みたいなものが感じられない。
 この『クリード 炎の宿敵』って、「怨念なき時代に、人は何を理由に戦うのか?」というのがテーマのようにも思われます。

 そして、主人公・クリードのドラマの「薄さ」を、ロッキーやドラゴ(親)の、この30年間の歴史の重さみたいなものがうまくカバーしていて、『ロッキー4』をリアルタイムで観た僕にとっては、たまらない作品になっているのです。

 20年くらい前は、「何を演じてもスタローン」と、今の木村拓哉さんみたいなことを言われていたシルベスタ・スタローンさんが、今の僕にとっては、「スタローンは、そのままそこに立っているだけでいい、許す!」という存在なんですよ。高倉健さんも、ファンにとってはこういう感じだったのではなかろうか。
 「誰をやってもその役者さん自身にしかならない」というのは、徹底的に続けることができれば、なんだか尊くなってくる。
 もちろん、誰にでもできることではないけれど。


 これまでも何度か書いてきたのですが、『ロッキー』の世界というのは、同時代を生きてきた僕にとっては、「フィクション以上のもの」になっているのです。

 アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアフィラデルフィア美術館の正面玄関階段は、「ロッキー・ステップ」と呼ばれており、多くの観光客がロッキーの真似をしてこの階段を駆け上っています。
 その階段の下には、ロッキーの銅像も置かれ、絶好の撮影スポットになっているそうです。

 劇中で、ある人物が言うのです。
「ヘビー級のチャンピオンの名前を、何人言える? ベルトを得るだけじゃなくて、チャンピオンにはドラマが必要なんだ」と。
 モハメド・アリマイク・タイソンジョージ・フォアマン……そうそう、東京ドームでタイソンを倒した、バスター・ダグラスなんて人もいたな……あれ?
 「世界最強の人間の有力候補」でさえ、歴代のなかで、ボクシングファンではない僕がすぐに思い出せるのは、このくらい。
 いや、正直なところ、世界でいちばん有名なボクサーって、『ロッキー・バルボア』ではなかろうか。
 フィクションでありながら、ロッキーは、多くの人を勇気づけ、束の間であったとしても、「俺もやってやる!」という気分にしてきたのです。
 映画『ロッキー』シリーズみたいなボクシングの実戦を僕は観たことがありません。ボクシングじゃないけど、『PRIDE.21』でのドン・フライ vs 高山善廣は、それに近かった。
 『ロッキー』はボクシングを題材にした映画だけれど、フィクションである『ロッキー』がボクシングの世界に実際以上の「逆境からの脱出」とか「希望」みたいなイメージを植え付け、ボクシングという競技を変えてしまったのです。


 僕が『ロッキー4』もリアルタイムで観ています。まだ学生の頃に。
 1985年公開の『ロッキー4』って、映画としてはたしかに面白いのですが、「アメリカとソ連の国と国との代理戦争」的に描かれていて、当時の僕は「反共産主義プロパガンダ映画」みたいだなあ、と斜に構えて観ていました。
 あれだけ「アメリカ対ソ連」を前面に打ち出されると、日本人である僕としては、「まあアメリカも大概だよなあ」とか思っていたのです。
 30数年前の『ロッキー4』では、国の威信をかけてのボクシングだったのが、今作では、きわめて個人的な動機や家族の問題がテーマになっていて、これはまさに、ベルリンの壁崩壊以降の世界、日本でいえば「平成という時代に、昭和から変わったこと」を描いているようでした。
 いまや、個人の家族の問題は国家のイデオロギーよりも重い。

 ドラゴのこの30年間のことを思うと、大変だったろうな、と思うし、ああいう試合に負けること、の恐ろしさも想像してしまうのです。英雄が生まれると、堕ちた偶像も出来上がる。
 それだけに、今作でのドラゴとロッキーを見届けて、ちょっと救われた気がしたのです。
 人と人との関係、とくに一度こじれたり疎遠になった身近な人との関係を変えることは、ときに、チャンピオンベルトを獲るよりも難しい。
 そういうのって、もしかしたら、自分で「もうこれはダメだ」と思い込んでいるだけ、ということも多いのかもしれませんね。


 『ロッキー4』を観た人にとっては、「あのアメリカ万歳映画『ロッキー4』が、実は凄い人間ドラマの前フリだったように錯覚してしまう映画」だと思います。
 おそらく、1985年には、誰もこんなふうにドラマが続いていくとは考えていなかったでしょうけど。


Creed II (Score & Music from the Original Motion Picture)

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ロッキー4 (字幕版)

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