琥珀色の戯言

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【読書感想】この人たちについての14万字ちょっと ☆☆☆☆

この人たちについての14万字ちょっと

この人たちについての14万字ちょっと


Kindle版もあります。

インタビュー×ルポルタージュ×評論で表現者たちを描く、新たな作家論


「基準は、ただ一つ。インタビューの最初の質問で声が震えてしまいそうなひとに限る、とした」。作家・重松清の人選、取材、執筆による最前線を走り続ける表現者たちの「背骨」に迫った極上の人物ノンフィクション&作家論。季刊文芸誌「en-taxi」に連載された、伊集院 静、池澤夏樹浦沢直樹鈴木成一是枝裕和いとうせいこう山田太一赤川次郎酒井順子の9人を収録。創作の秘密、根っこ、生の言葉……。表現者を読みとくヒントも満載。表現者の素顔はこんなにも魅力的だ。


 季刊の文芸誌『en-taxi』に連載されている、重松清さんが、さまざまな「表現者」との対峙を描いた連載の書籍化です。
 『en-taxi』って、最初の頃は、けっこう目を通していたような記憶があるのだけれど、最近は読んでいなかったからなあ……
 

 この本を手に取ってみたのは、ここに出てくる9人のうち、過半数以上に僕も興味があったから、なんですよね。
 そして、重松さんが「相手のプロモーションの一環のようなインタビューにはしたくない」と書いておられるのを読んで、名手・重松清は、どんなアプローチをしてくるのだろう、という興味も持ちました。
 

 けっこうマニアックというか、重松さん自身がすぐれた表現者であるために、緊張感があるというか、剣豪同士の勝負みたいな内容になっているところもあります。
 ただ、率直に言うと、相手から「これまでのインタビューでは無かった面」を引き出そうとするあまり、「なんかこう、作り物っぽいな」と感じるところもありました。
 上手すぎる、というのも、ちょっと困ったものなのかもしれません。
 吉田豪さんが「相手の予備知識を徹底的に頭に入れておいて、相手にそれをぶつけることによって、言葉を引き出す」というタイプなのに比べて、重松さんは、「予備知識は持っているのだけれど、それを手駒としてチラチラと出しながら、相手の反応をみて、内面を推測していく」というタイプだと思いました。
 重松さんは、その作家の「言葉」よりも、「行動」を好んで描いているようにも見えます。


 とりあえず、「表現者うしの、静かな対局」のような本なんですよね、これ。
 僕のように、対談相手9人のうちの半分以上に興味がある人ならば、かなり楽しめるのではないでしょうか。


「作家同士のプライベートな会話を、盗み聞きしているような感じがする部分」も、少なからずありますし。
 漫画家・浦沢直樹さんの回より。

浦沢直樹僕は絶対に最終回を考えてから話を始めますから、最終回のイメージに向かってるんですよ。全何巻のボリューム感で、こういう感じで終わる、というイメージで話を進めてる。
 

重松清レッドゾーンの話に戻ると、描きはじめる前に作品の頂点が見えてしまうようなものですよね。それって、逆にキツくないですか?


浦沢:一番最初が一番面白いんです。針が振り切れた瞬間、金字塔のようなものが立ってる。あとは自分がこれを崩さずに最後まで届けられるかどうか。黄金の水を手ですくって満杯にしてるんです。指の隙間から水がポタポタ垂れてるんだけど、なんとかそれを最後までこぼさずに運んで行きたくて。


重松:ただ、最初の時点ではどうなるかわからないまま始めて、育っていく物語はありませんか? あるいは外から持ち込まれた話に乗ってみたえら、意外とどんどん面白くなっていった、とか。


浦沢:……最初に針が振り切れていないと、やっぱり始めないかな。いまの話で言うなら『Happy!』がそうですよ。編集部から、『YAWARA!』のあともスポーツものをリクエストされて、でも、そのとき「これは育っても二割バッターにしかならないよ」と宣言しましたから。「いい作品に仕上げることはできるけど、それが金字塔になって、世間を揺さぶるようなものにはならない」と。


 そうか、浦沢さんにとっては、こんな感じなのか……と。
 多くの作家は、ここまで全体像がみえている状態で仕事をしているわけではないと思うのですが、浦沢さんは、こんな「悩み」も吐露されています。

浦沢:僕自身は「同志」のつもりでいるマンガ家から「あいつはメジャーだから」「浦沢は違う世界の人間だから」と思われているんじゃないかと胸を締めつけられてしまうような感じがあって……

 「売れる」というのは、それはそれで辛いものなのだな、と。
 「売れている」というだけで、「俗だ」とか「大衆に迎合している」というようなレッテルが貼られることもありますしね。
 いや、浦沢さんを「違う世界の人間」だと思いたい、他のマンガ家の気持ちも、わかるんだけど。
「どのくらい作品がヒットするか」まで確信したうえで描いている人と比べられても、困るよなあ。



 個人的には、赤川次郎さんの回が、いちばん印象的だったんですよ。
 僕が中学校時代、女子の間で大流行りだった赤川次郎の「軽さ」を文学少年としては軽蔑し、あいつら「故バルター」に小説のことなんか、わかるものか!と、わけのわからない敵愾心を抱いていた僕としては(で、その「違い」をみせるために読んでいたのが西村京太郎だったというのは、今から考えてみると大変微笑ましくもありますが)、この本での赤川次郎さんの話を読んで、ものすごく意外だったんですよね。

赤川次郎みんなで木登りをしたり、川で遊んだり、野球をしたり……というのをしてこなかったんですよ。生まれたのは博多の中州ですから。昔はそうでもなかったけど、いまでは歓楽街のど真ん中です。


重松清ただ、都会の子には都会の子の、ガキ大将が君臨する世界があったと思うんですが。


赤川:僕はずっと一人で遊んでたんですよ。小さな頃からマンガを描いて、本を読んで、一人の世界に閉じこもっていて、それでちっとも寂しくなかった。好きなものだけあれば、もうそれで充分に幸せで、みんなと一緒になにかをやって面倒くさい思いをするぐらいなら、一人でいるほうが気が楽なんです。

 あるいは、イーデス・ハンソンさんとの対話では、自らの十二年間におよびサラリーマン生活を振り返って――。
<とにかく全員で行く会社の慰安旅行に行かないとか、運動会とか野球大会に出ないというだけで何か言われますからね><組織の中にいるんだから、協調してくれないと困ると、僕なんかもずいぶんいわれました。ほんとにつまんないことだけれども、欠席のところに丸をつけるというのはちょっと勇気が要りますね。僕は自分でやりたいことがたくさんあったし、休みの日は自分で使いたいと思ったから、何をいわれようと、ひたすら仕事だけちゃんとしていればいいと思って、出なかったんです。五、六年たったら、さすがにみんな何も言わなくなりましたけれどもね>
 徹底して、「個」なのだ。
 時としてそれが「孤」になってしまうことも恐れない。
 そして、「個」は残念ながら/当然ながら、無力である。力を持たないからこそ、赤川さんの物語は、常に「個」の側に寄り添う。

 僕は訊いた。
「お父さんのことを、まだ小説ではお書きになっていませんよね」
 すると、赤川さんは「まだ」を打ち消すように、すぐさま「僕は私小説は書きませんから」と返した。「もともと僕にとっては、小説を読むのも書くのも現実逃避だったんだから、現実と関わり合いのない世界を書かないと、逃避にならないでしょう?」

 赤川さん、あなたも「こっち側」の人だったんですか……
 いや、当時、いまから30年前くらいって、今よりもさらに「飲み会とか、会社仲間での休日のイベントに出ない人」への風当たりって強かったと思うんですよ。
 そんな中、自分の生き方を貫いていたのだなあ。
「軽い」っていうより、かなりの硬骨漢だったのです、赤川さん。
 それこそ、僕もまた、「売れている」というだけで、作者に偏見を持っていた人間のひとり、だったです。

 この赤川さんの話を読んでいて、僕は村上春樹さんのことを思いだしてしまいました。
「個」であることへのこだわりと、父親との葛藤。
 僕が生きている時代を代表する二人の人気作家には、けっこう、共通点がありそうなのです。
 

 この9人の作家、そして、重松清さんのファンにとっては、たまらない一冊だと思います。
 これを読んで興味を持たれた方は、ぜひ。


流星ワゴン (講談社文庫)

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赤ヘル1975 (講談社文庫)

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その日のまえに (文春文庫)

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