琥珀色の戯言

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【読書感想】京アニ事件 ☆☆☆

京アニ事件 (948) (平凡社新書)

京アニ事件 (948) (平凡社新書)


Kindle版もあります。

京アニ事件 (平凡社新書0948)

京アニ事件 (平凡社新書0948)

2019年7月18日──。
日本を代表するアニメ制作会社である、京都アニメーション」のスタジオに火が放たれた。
結果的に36名が死亡するという、史上最悪の放火殺人事件となった「京アニ事件」。
この事件があらわにしたこととは何だったのか。
アニメ史を専門とする研究者が、独自の視点から事件の深層を読み解く。


 2019年7月18日に起こった「京都アニメーション放火殺人事件」から、もう1年が経つんですね。
 いや、「もう1年」なのか、「まだ1年」なのか……
 先日、犯人が退院し、逮捕された、というニュースがありました。
 36人の自分の仕事を一生懸命やっていただけの人たちの命が奪われ、自分の思い込みにとらわれて奪った側の人間は、まだ生きている。
 正直、世の中って理不尽だよな、と考えずにいられないところもあるのです。


fujipon.hatenablog.com


 この本は「アニメ史を専門とする研究者」が、自らの視点で、あの事件について語ったものです。
 内容的には、「犯人側」については、ほとんど書かれておらず(犯人の思考回路は理解困難、ということなのでしょうし、それは誠実な態度であるとは思います)、『京都アニメーション』というアニメ制作会社の成り立ちや、「なぜ、唯一無二のアニメ制作会社として多くのファンを得ることができたのか?」、そして、『京アニ』の知名度がアニメファン以外では低いという事実を思い知らされたことなどが書かれているのです。

 京アニ事件のような場合、事件当時者(被害者、容疑者)、その家族など関係者と、ジャーナリストという二極での問い直しがなされ、そこに法曹関係者がもう一つの軸を引くのが一般的な形だったと思う。今回私は、標的となったアニメの、それも制作者ではなく研究者という立場から、これまでとは異なる視点と切り口で、事件を捉える一断面を提示したかった。
 つまり、アニメ制作スタジオが標的になったこの事件は、過去から現在に至る日本のアニメ制作事情や、アニメに関係する事件史などを前提として考察しなければ見えてこない事象も少なからずある。
 加えて、その研究者の立場から、京都アニメーションやアニメ界について、いくつかの課題や提言を添えて、今後に供することができれればと考えた。

 どちらかといえば「事件についての分析や解説」というより、アニメの研究者として、この事件に際してさまざまな取材を受けたり、意見を求められたりした著者自身の体験についてページが多く割かれている印象です。
 あと、今回の事件に関して「ファンのアニメ制作スタッフへの思い入れ」と「実名報道の是非」についても、逡巡とともに述べられています。
 率直なところ、「放火殺人事件」という本丸のまわりをグルグルと回っているだけで、とくに目新しい論考もなけれれば、隠れていた事実が指摘されているわけでもない、という、ものすごくもどかしい内容なんですよ、これ。読んでいて、「こんな話が読みたいわけじゃないのになあ……」と、考えずにはいられませんでした。著者としては、取材ラッシュに巻き込まれ、「今の世の中では、あの宮崎勤事件のときのような、『アニメファンバッシング』が起きなかったこと」に感慨深い気持ちになったのかもしれませんが、雑誌の3回くらいの連載記事で済む内容を、強引に一冊の新書にしてしまったようにも感じるのです。

 事件後3日経つと、件数は減ったものの、報道機関から私への取材は続いていた。ただし、事件の様相や被害状況が明らかになってきたため、取材内容も変化してきていた。
 ある通信社の記者とは、電話でかなり長くやりとりしたが、その中で、現在の日本のアニメ業界で京アニはどのように理解されているのか、という話題になった。これは、今回の事件報道で盛んにに使われた「京アニ・クオリティ」というキーワードに象徴されるような、高い技術力や独創性といったことよりも、そうした京アニがアニメ業界全体からどのように見られていたのか、という視点が含まれている。この質問を出したマスコミは、意外に少なかった。
 私は、「京アニは独立国」と答えた。京アニの作品がどれほど注目され、ヒットしたとしても、それがアニメ業界全体に影響を及ぼす度合いは低く、いわば「孤高の存在」であって、それはスタジオジブリに近い、という見立てである。


 このような「京アニ」の特徴が、あの事件が起こった要因なのか?という問いに関しては、読んでもよくわからないんですよね。京アニがアニメの原作を募集していて、実際に何作か応募作をアニメ化していたということや、京都の比較的閑静な住宅街にあったため、凶行に及ぶ側としては、人目につかずに実行しやすかった、というのはあるかもしれません。
 その日、偶然玄関のロックがかかっていなかったことや(テレビ局の取材の予定が入っていたため、と言われていますが、著者も「それならば、取材が来たときにロックを解除すればよかったのではないか」と指摘しています)、火の勢いが犯人が想定していたよりもずっと激しく、犯人自身も重いやけどを負ってしまったことなど、悪しき想定外が重なってしまった面もあるのです。

 それに、このような「自分の作品が『盗用された』と思い込んで抗議をしてくる人」というのは、創作をする人や会社にとっては、珍しい存在ではないようです。
 もちろん、これまでは、こんな痛ましい放火事件を起こしてしまう人はいなかったわけですが、むしろ起こらなかったことが幸運だった、とも考えられます。

 容疑者の素性は、事件発生直後からの報道機関による取材で、その生い立ちや事件前までの生活状況について報道されている。
 それらによると、容疑者は1978年、埼玉県浦和市(現・さいたま市)で生まれた。両親のほか、兄、妹との5人家族だが、容疑者が小滑降低学年の頃に両親は離婚し、父と兄妹との4人家族となった。一家の生活は裕福ではなく、むしろ苦しかったようだが、小学生時代は周囲に特に印象を残すような少年ではなく、定時制高校に進学、そして在学中に埼玉県庁文書課で非常勤職員として勤め始めた。
 しかし、容疑者が21歳の頃、父親が自殺し、一家は離散する。容疑者はその後、コンビニのアルバイトなど職を転々とし、2008年12月、茨城県常総市雇用促進住宅に入る。
 2012年6月、容疑者はコンビニで強盗事件を起こし、逮捕される。同年9月に懲役3年6か月の実刑判決を受けた。
 2016年初めに刑務所を出所し、さいたま市浦和区の更生保護施設に一時居住した後、同年7月には、京アニ事件を起こすまで住んでいた同市見沼区のアパートに移った。
 そして、事件4日前の7月14日、アパートの隣室の住人とトラブルを起こしている。容疑者が突然、自室で大きな叫び声を出し、隣人の玄関ドアをたたいてきた。隣人が容疑者の部屋を訪ねると、容疑者から胸ぐらをつかまれた上に髪を引っ張られ、「殺すぞ。自分には失う物はない」と迫ってきたという。
 翌日、容疑者は新幹線で京都入りし、その3日後に事件は起きた。


 容疑者は事件後に集中治療室で重いやけどの治療を受けていた際に「こんなに人に優しくしてもらったのは初めてだ」と言っていたそうです。
 とはいえ、どのような境遇にあったとしても、あんなことをして許されるはずがない。
 亡くなった人たちが、彼を不幸にしたわけでもない。

 でも、こんな事件、どうやって防げばいいのだろうか?一度犯罪をおかしたら、もう二度と社会復帰できないように、刑務所に隔離しておくとか、AIで「犯罪リスクの高い人」を見つけて社会から排除する、というような非現実的な手段しか僕には思いつかないのです。

 この事件に感じる、あるいは、この本に感じる「もどかしさ」というのは「じゃあ、どうすればよかったんだ?」という問いへの答えが、どうしても見つからないことに起因しているのではないでしょうか。

 逆にいえば、この本は、「事件についてわかったようなことを言ったり、被害者側や容疑者の気持ちや立場を勝手に『代弁』しようとせず、自分が体験したことだけを誠実に書いた文章」だとも言えますね……


 

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