Kindle版もあります。
「天才は天才を知る」。レジェンドが迫る巨大な才能の秘密。
AIの登場以降、大きく変貌する将棋界。そこに現れた若き天才・藤井聡太。
14歳2ヵ月・史上最年少のプロデビュー後、衝撃の29連勝から始まり、史上最年少でのタイトル獲得など、次々と記録を塗り替えていく彼のすごさとは? 人間はどこまで強くなるのか?
その謎を、史上最年少名人位獲得の記録を持つレジェンドが、自らの経験を交えながら、さまざまな角度から解き明かすとともに、多士済々の頭脳集団が切磋琢磨し、進化しつづける将棋の魅力を伝える。
ああ、また藤井聡太さんに関する本か……と思ったのですが、著者が谷川浩司十七世名人というのを知って、手に取りました。
僕は小学生の頃に将棋を知って、けっこうハマっていた時期があったのですが、谷川さんは当時の将棋界の「若き天才」であり、大スターでした。
僕は羽生善治さんと同世代なのですが、羽生さんにとっても、谷川さんは目標であり、長年の好敵手なのです。
本書では、藤井聡太という巨大な才能の謎に迫ることを通して、トップ棋士の持つ能力を明らかにするとともに、新たな時代を迎えつつある将棋の現在と未来を展望した。
強さの本質はどこにあるのか。メンタルはどれほど強靭か。藤井将棋の魅力は何に由来するのか、AIとの関係は。そして将棋はどこへ向かうのか──。
藤井さんと私には、いくつかの共通点がある。まず中学生でプロ棋士になった(中学生棋士は史上五人)。ともに詰将棋を愛好し、創作もする。鉄道好きということも付け加えておこう。
従って、私の過去の記録や体験と比較することも多くなるが、その差を見ることによっても彼の才能の突出ぶりがわかるのではないかと思う。もしかしたら私の持つ史上最年少名人の記録21歳3か月が、藤井さんによって更新されるかもしれない。
もちろん、藤井将棋はいまも進化しつつある。現時点での私なりの藤井聡太論を展開していきたい。
天才は天才を知る。
藤井聡太さんはすごい!と、手放しで称賛するだけではなく、同じ将棋の世界で生きてきた谷川さんは、「プロ棋士」という概念の変化や、AIと人間の棋士との共存、という流れについても語っておられます。
極度の集中力はもちろん藤井さんの類まれなる才能だが、同時に対極そのものに集中力を求めるようになった時代背景も指摘しておかなければならない。
昭和の時代、つまり私たちの二十代の頃までは、午前中は先輩棋士が対局者同士で雑談をしながら盤に向かっていた。将棋会館の大広間では六局、十二人の棋士が将棋を指している。いまでは想像できない風景だろうが、自分の対局そっちのけで他の対局を見に行ったり、顔を合わせるのが数ヵ月ぶりとなると、世間話が始まったりしていた。
いまと比べれば、タイトル戦にも緩やかなところがあった。二日制ならば一日目は、時間調整とは言わないまでも、封じ手(持ち時間の不公平をなくすため、一日目の最後の指し手を手番側が紙に書いて封をする方法)の局面は駒がぶつかって深刻な局面にならないよう穏やかな手を選ぶ。そんな鷹揚な雰囲気があった。
それが平成に入ってから変わってきた。局面がゆっくり進むことは変わらなくても、一時間なら一時間、序盤からお互いが真剣に濃い時間を過ごすようになる。
二十代の頃、私もタイトル戦の一日目は時々控え室に行ったりして一息入れていたものだが、二十代になってからは、もはやそうした空気ではなくなってきた。対局がはじまる前から誰も声を発しない。それだけ序盤の一手一手がおろそかにできなくなっていったということである。
谷川さんは、藤井聡太さんの「時間配分のうまさ」を指摘しています。
将棋では、レベルが上がるにしたがって、対局時の持ち時間が増えていくのです。
名人戦のタイトルをかけた対局では、それぞれの持ち時間が9時間の2日制です。
将棋盤の前で9時間、なんて、ちょっと想像しただけで、僕だったらスマートフォンをいじりたくなるのではないかと思うのですが(もちろん、いまのプロ棋士の対局では、電子機器は持ち込み禁止です)、それでも持ち時間が足りなくなるくらい「読む」のがプロの世界なのです。
谷川さんが若手だったころは、序盤はのどかに世間話などをしていたこともあったそうなのですが、いまはもう終盤は研究が進んできていて、序盤から中盤にいかにリードを奪っておくか、が大事になってきているのです。
長時間、気を抜かずに考え続ける能力が求められ、棋士たちは、より「アスリート化」しています。
将棋のルールは変わらなくても、棋士たちの「意識」は平成の間に、大きく変わっていきました。
谷川さんは、トップ棋士として、その流れのなかで生きてきたのです。
現在のトップ棋士の研究量を見ると、将棋もアスリートたちの厳しさに追い付いてきたとも言える。だがこれからの棋士は、十代、二十代はストイックに将棋だけに打ち込めたとしても、三十代以降、同じようには続けられないのではないか、とも想像する。
「若き天才、藤井聡太」「AIとともに育った新世代」というイメージで、いま、2021年の僕は自分の子どもくらいの年齢の藤井さんをみているのですが、谷川さんは、将棋の世界の大きな流れのなかで、「藤井聡太という天才」をこう語っておられます。
メディアは当初、藤井さんの強さを将棋ソフトの活用と関連付けて報じた。しかし、私や師匠の杉本さんを含む多くの棋士が、その見立てを明確に否定している。
例えば、藤井さんの強さとAIの関係について尋ねられた羽生さんは、こう答えている。
「いや、ほかの棋士たちも使っていますから。多分それは大きな要素ではないですね。藤井さんが仮にコンピュータを使っていなくても、強くなったのことは間違いありません」(山中伸弥、羽生善治『人間の未来、AIの未来』)
あるいは、棋聖戦で藤井さんに敗れた渡辺さん(渡辺明・現名人(2021年))の発言。
「将棋は、結局のところ最終盤の力が大きい。いくらAIがすごいといっても、いくら研究を深めても、最後は終盤力がモノを言いますから。彼の強みとAIは、ほぼ関係ないでしょう。結局のところ、中盤や終盤の力で勝っているわけですから」と話し、さらに、
「むしろAIが関係しているのは、私が勝った第三局です。ああいった全部の変化を網羅していく将棋は、AIを使わないと無理ですから」(2020年9月号『文藝春秋』)
そして、当の藤井さん自身もそれを認めている。
「序中盤の形勢判断などで力になった部分は大きいとは思います。考える候補手、拾う手が若干増えたかなという印象はあります。ただ、はっきりと違いを感じるものでもないです。(略)コンピュータの影響で良くなった部分はありますけど、それだけではないとも思います」
藤井さんの強さは、これまで見てきたように、最善手を求める探求心と集中力、詰将棋で培った終盤力と閃き、局面の急所を捉える力、何事にも動じない平常心と勝負術など、極めてアナログ的なものだ。将棋ソフトを使い始めたのはプロデビューする直前であり、彼の本質的な強さとAIは関係がないと言っていい。
今後、将棋ソフトによって育てられた「AIネイティブ世代」が台頭してくるだろう。藤井さんは彼らとどういう対戦を見せてくれるだろうか。
いま、藤井さんは「AI時代の若き天才」とみなされているけれど、これから、どんどん「コンピュータで将棋を指すのが当たり前で、盤と駒にほとんど触れたことがない」新しい世代の棋士たちが登場してくるはずです。
谷川さんや藤井さんに近い人たちの話を読んでいると、藤井さんは、まだ「人間くさい将棋」の要素を色濃く持った棋士であり、近い将来、古い将棋の伝統を受け継いだ存在」として、次世代の棋士たちの標的にされるのではないか、とも思えてくるのです。
藤井聡太という棋士自身もまだ完成されていないし、将棋は、もっと「進化」していく。
いまや、AIは「ライバル」ではなく、「人間がもっと強くなるため、将棋ソフトに近づくためのツール」になっているのです。
そのゴールに「将棋は一手目からこう指せば必ず勝てる」という「答え」があるのかどうかはわかりませんが、一度使った新しい戦法は、すぐにコンピュータで解析され、研究され尽くしてしまう時代にトップであり続けるというのは、大変なことですよね。
藤井聡太さん以後は、棋士が現役でいられる時間も短くなっていくのかもしれません。
僕が生きているあいだに、将棋の「答え」は、出るのだろうか?