琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【映画感想】シン・ウルトラマン ☆☆☆☆ (ネタバレ感想です)

謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が次々に現れ、その存在が日常となった日本。通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府は禍威獣対策の専従組織・通称「禍特対(カトクタイ)」を設立する。田村君男(西島秀俊)を班長に、さまざまな分野のスペシャリストから成るメンバーが任務に当たる中、銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため、禍特対には分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)と組む。


shin-ultraman.jp


2022年10作目の映画館での鑑賞です。
公開から3週間経った平日の夕方の回を観ました。観客は僕も含めて5人。


観た翌日に書いているのですが、この感想は公開されない可能性も高いので、全力ネタバレで書きます。


(本当にネタバレですからね!)


 さて、この『シン・ウルトラマン』なのですが、僕は2022年3月の終わりに、大分の『庵野秀明展』に行き、庵野監督(この『シン・ウルトラマン』では、庵野さんは脚本および総監修で、監督は、庵野さんの長年の盟友である樋口真嗣さん)の『ウルトラマン』シリーズへの思いを目の当たりにしていたのです。


fujipon.hatenablog.com


『シン・ウルトラマン』にカラータイマーが無い理由も、『庵野秀明展』で、初代ウルトラマンをデザインした成田亨さんが本来こうしたかった、というウルトラマンを受け継いだから、なんですよね。


www.huffingtonpost.jp


 この『シン・ウルトラマン』、1966年7月から放映された初代ウルトラマンの全話を凝縮し、『ウルトラセブン』の印象的なシーンを取り入れたベスト盤的なつくり、というか『スタンド・バイ・ミーウルトラマン』みたいな感じでした。
 
 BGMといい、怪獣とウルトラマンがあえて「格闘」するシーンといい、スペシウム光線を最初に出すとき、ちょっともったいぶってあのポーズをとるところとか、ウルトラマン(神永)が山本耕史さんが演じるメフィラス(星人?)と団地の公園や居酒屋のカウンターで人類の今後について議論するシーンとか、僕の『ウルトラマンの記憶』や「自分自身の子どもの頃にみた光景」が次々と思い浮かんでくる映画なんですよ。いつちゃぶ台が出てくるか楽しみにしていたのに!

 「昭和の『ウルトラマン』を観たことがない世代」の人たちに、これって伝わるのだろうか……」と心配でもあったのですが。

 当時の子どもたちにとって「強い怪獣」の代名詞だった『ゼットン』が、あんな形で「復活」してきて、デザインも原作が活かされていることに、けっこう感動もしたのです。

 まあしかし、冷静に考えてみれば、ゾーフィー(?)とか、ウルトラの星の人たちの自作自演感もあって、それが「ずっと正義の味方だと信じてきたウルトラマン一族」に、ちょっと裏切られたような気がしたのも事実です。
 あれゼットンっていうより「使徒」だろ、ロンギヌスの槍の代わりがウルトラマンかよ!みたいなことも、つい考えてしまいました。

 最初のほうで、「巨大人型兵器」として「ウルトラマン」と名づけられたのですが、今の時代だと、「巨大人型兵器」が出現したら、公式に『エヴァンゲリオン』って、呼ばれそうですよね。
 ウルトラマンにひたすら憧れた男が、ウルトラマンよりも時代に愛される人型巨大兵器を創造した、ということそのものがドラマだよなあ。
 そして、その男は『ウルトラマン』に恩返しをするために帰ってきた。
 
 「バディ」とか「仲間」を強調する割には、その「仲間としての信頼が高まっていくシーン」がほとんどなく、「なんでこの人たちは、きっかけもなく、こんなに信頼しあうことができるのだろう?」と、「なろう小説」の主人公がモテまくるのを観ているときのような違和感はあるのです。

 僕は長年『ウルトラマン』を観てきたので、過去のシリーズの科特隊の絆やモロボシ・ダンとアンヌのシーンを思い出して脳内で補完していたのですが、そういう下地がない人にとっては、「なんだかいろいろと強引な展開だな」と思われてしまいそうな気がします。
 とはいえ、そういうのを時間をかけて丁寧に描くような映画は最近は流行らない、というのも事実で、『シン・エヴァンゲリオン』も、庵野作品とは思えないほど「説明的なセリフが多用された作品」だったんですよね。

 人間の感情の動きを丁寧に描くよりは、山本耕史さんの怪しさと底知れなさが入り混じった「メフィラス」の怪演や、巨大長澤まさみ!(もうちょっと下からのアングル来い!と思ったのは僕だけではないはず。長澤さん潔いほどいろんな仕事をやる人ですよね)など、印象的なシーンをパッチワークのように唐突にでもつなぎ合わせていくというのは、ちょっと「ジブリっぽいつくり」でもあります。

 個人的には、メフィラス撤退から対ゼットン戦の展開は、あまりにも強引な気はしましたし、もうちょっとウルトラマンの強さやいろんな怪獣との闘い(格闘)のシーンを観たかった、とは思います。
 終盤のあわただしさは、途中で予算が尽きたか、公開日に間に合わなくなりそうだったのか?と言いたくはなりますが。
 
 とはいえ、ウルトラマンのフォルムというか、機能美は本当にデザインとして素晴らしくて、思わず見惚れてしまうのです。
 『シン・ゴジラ』でも、僕がいちばん印象に残ったのは『ゴジラの強さと孤高の美しさ」だったんですよね。

 ヒーローは、圧倒的に強くて、あきらめなくて、人々が見惚れる存在である。
 そういう「庵野総監督・樋口監督の美学」が貫かれている作品です。
 米津玄師さんの主題歌『M八七』もすごく良かった、というか、あの米津さんでさえも、ウルトラマンの主題歌を依頼されて、子供の頃のことを思い出しながら、高揚感に抱かれてこの曲を作ったのではないか、と僕は感じたのです。
 いつも「俯瞰」した目線で曲をつくっているようにみえる米津さんが、『M八七』は「自分の気持ち、ヒーローへの憧れに流されるままにつくった」のではなかろうか。
ウルトラマン』は、みんなを子どもの頃の自分にしてしまう。

 この『シン・ウルトラマン』を観ると、また、過去のテレビシリーズの『ウルトラマン』を観返してみたくなるのです。
 この作品に関しては、いろいろ言いたいところはあっても、そういう気持ちにさせてくれただけで、「傑作」だと僕は思います。

 あと、好きだったのは、ゾーフィに「人間のどこがそんなに好きになったんだ?」と問われたウルトラマンが、「……わからない」と答えた場面です。
 僕も半世紀生きてきて痛感しているのは、「結局のところ、好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。その理由なんて、後付けでしかない」ということなんですよ。
 これは、オタクが生きづらい時代も、ひたすらオタクであり続けた、特撮やアニメを愛し続けた庵野秀明という人の心の声だったのではなかろうか。理由が言葉で説明できるようなものは、たぶん、本物の「好き」じゃないんだ。


fujipon.hatenadiary.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター