Kindle版もあります。
web3、メタバース、そしてNFT。
最先端テクノロジーは、私たちの社会、経済、個人の在り方にどのような変革をもたらすのか?
米国MITにてメディアラボ所長を務め、デジタルアーキテクト、ベンチャーキャピタリスト、起業家として活動する伊藤穰一が見通す、最先端テクノロジーがもたらす驚きの未来。
著者の伊藤穰一(いとう・じょういち)さんの経歴や肩書きをみると「すごい人なんだなあ!」と感心してしまいます。その一方で、すでに50歳を迎え、これまでのインターネットの歴史をみてきた僕にとっては、「どこかで何度もこういう『インターネットの希望』を語る人をみてきたなあ」と感じる内容でもあったのです。
予言者と詐欺師は紙一重。
結局、人は「理想よりもお金のにおいがするところ」に集まるのではないか、とも思いますし。
先日、久しぶりに近所のTSUTAYAに行ったのですが、ビジネス本のエリアに「NFT」コーナーがあって驚きました。というか、僕自身、この本を読むまで、「NFT」を全く理解していなかったのです。仮想通貨も、値上がりしているときには「すごく儲かる投資」ともてはやされ、現在(2022年6月20日)のように暴落している時期には「既存の国が発行している通貨に比べると不安材料が多すぎる。税金も高いし……」と考えてしまいますし。
3つ目に紹介するのが、NFTです。デジタルアーティストのNFTアートが約75億円もの高額で落札された、という2021年のニュースはご存じの方も多いと思います。これを契機に、日本でもNFTに対する関心が一気に高まりました。
ただこの時点では、NFTが何なのか、よく理解されていなかったことも事実でしょう。NFTは、Non Fungible Tokenの頭文字。日本語にすると、「代替できない価値を持つトークン」となります。これまで、デジタルデータはコピーできるから、代替可能と思われていたのですが、ブロックチェーンの技術を使うことで、デジタルでありながら、代替できない。つまり、唯一無二な価値を持ちえるものが登場したということです。アート作品だけではなく、唯一の価値を持つものをNFT化する試みは、今後、確実に増えていくでしょう。
現実には、お金に換算できない価値も数多く存在します。NFTという仕組みを使えば、それらを1つの価値として扱うことができる。人の思いや情熱、信仰心、あるいは日々の善行、学位といった非金銭的な価値を可視化することも可能ということです。
僕は書店で「こんなに『NFT』についての本が出ているのか」と驚いたのですが、その多くは「ビジネスとして、お金儲けの手段としての『NFT』」について書かれたものでした。
そういう内容のほうが売れるのでしょうけど、この新書の著者は、web3という新しい潮流による、「世界のパラダイムシフト」「新しい生き方の理念」を熱く語っているのです。
「トークン」って、そもそも何なんだ?というレベルの理解度だと、とっつきにくいかもしれませんが、ある程度インターネットの知識がある(つもり)の僕くらいの世代にとっては、ちょうどいい入門書になっていると思います。
web3には多くの要素がありますが、特に注目したいのは、ブロックチェーンという新しい技術が登場したことによって、インターネットが進化する間に忘れ去られてしまっていた、「非中央集権的」という方向性をふたたび目指すことになったという点です。
(中略:ネット上の情報を「読む」ことが中心のWeb1.0、個人が「書く」「情報発信する」ことによる集合知が注目されたWeb2.0についての説明が入ります)
そして生まれたのが、web3のムーブメントです。web3を支えるブロックチェーンという仕組みによって、さまざまな非中央集権的な試みが行われています。
そのなかで、ここでは「DAO(ダオ)」に触れておきましょう。皆さんにとって特にインパクトが大きく、新しい組織形態によってガバナンス、仕事、働き方のかたちを根底から変える可能性があるものです。
DAOとは、「Decentralized Autonomous Organization=分散型自立組織」です。この形態の組織では、「経営者→従業員」といった上意下達ではなく、何事もメンバー全員参加のもとで直接民主主義的に決められます。会社組織に取って変わるだけでなく、地方行政、さらには国の行政でも、このまったく新しいDAO的ガバナンスがとられる日がくるかもしれません。
とりあえず、この本を読むと、「NFT」「DAO」の「理念」はわかったような気がします。
ただ、DAOで「みんなが自分の得意なことを持ち寄り、フラットな関係で、問題を解決していく」というのを読みながら、「でも、それってプロジェクトの途中で、気まぐれなメンバーが『やっぱり俺、抜けるよ』って言ったらどうなるんだろう?」とか僕は考えてしまうのです。
2009年にWeb2.0への悲観を語った、梅田望夫さんの『日本のWebは「残念」』という言葉や、『セカンドライフ』がもてはやされ、急激に忘れられていったことも、思い出さずにはいられませんでした。
著者のような「意識が高い人たち」にとっては、web3やDAOは「人類の未来にあるべき姿」なのかもしれませんが、結局「お金儲けの手段」として消費されていくだけなのではないか、という気がするのです。
誹謗中傷や下世話な興味が飛び交う世界で、インターネットの理想が実現する日は来るのだろうか?
「お金儲けの手段」にならないと、みんなに認知され、普及しないのも事実なんですよね。
問題は、理想は素晴らしくても、それを実際に扱うのは「これまでと同じ人間」だということではないかと。
インターネットは、結果的に、「能力が高い人」「自己アピールが上手い人」に富や人気をさらに集中させる道具になっていると僕は感じています。
DAOって、「教祖」が参加者のお金や知識や意欲を搾取するだけのオンラインサロン化してしまいそうです。
「できる人、やる気がある人が報われる社会」というのは、正しいのかもしれないけれど、そこは「楽園」なのだろうか。
2021年ごろから急に流行りだしたNFTは、購入して価値が上がったら転売するという投機対象として見られているところが大きいようです。しかし今後、大事になってくるのは、むしろ所有者が転売せずに持ち続ける、長期的な価値を持つNFTです。
たとえば僕はジャニーズ事務所の顧問を務めているのですが、2022年、ジャニーズ事務所は、コンサートチケットの一部をNFT化する挑戦をはじめます。
ジャニーズは、もともとファンコミュニティとの結束が強い事務所です。ファンには支払ったお金以上の価値を常に感じてもらうことが理念です。ファンコミュニティはどことなくDAOっぽい雰囲気もあります。
チケットのNFT化は、利便性などにおいて、よりファンに喜んでもらえるのではないかということでトライすることになりました。
ジャニーズのコンサートは非常に人気があるため、チケット販売は抽選です。しかし不当に転売されたり、転売防止のために家族や友人の間ですら譲渡できなかったりと、人気が高いがゆえに、チケットの管理は、実は常に頭の痛い問題でした。
そこでチケットのNFT化の初期段階としてジャニーズ事務所は、ジャニーズJr.の出演する5月の公演において「ジャニーズジュニア情報局」に入会している家族や友人の範囲ならばチケットの譲渡をOKとしました。
NFTチケットならば、譲渡OKとしても転売目的の人に不当利用される心配はありません。NFTチケットはブロックチェーンに紐づいているため、「誰が入手し、誰に譲渡されたのか」が記録されます。ただし本物のファンなら、たとえ譲渡することがあっても、万が一のことが起こったときだけでしょう。
となると「よくチケットを買うが、毎回、譲渡している」という明らかに怪しい履歴を残している人は転売目的、つまり「偽物のファン」と見なすようにあらかじめプログラムをして対策を施すことができるのです。そう考えると、NFTチケットとは、「ファンの真贋」を証明するもの、といってもいいかもしれません。
また、チケットは、ファンにとってはかけがえのない「思い出の品」です。
こういう著者が実際に関わっている事例をみると、ブロックチェーンという技術は、すでに実用化されていて、「デジタルであっても、所有する価値」が生まれ、「同じものを所有している人たちのコミュニティ形成」が進んできているのです。
僕自身は、これまでの「インターネットの理想の挫折の歴史」をみてきたこともあり、そんなにうまくいかないだろう、著者のような「意識の高い先行者集団」は、人類のごく一握りなのだから、と懐疑的ではあります。
それでも、「NFTは儲かる!」みたいな本や宣伝文句を妄信しないためには、こういう「先駆者が理念・理想を語ったもの」に、まずは触れておいたほうが良いのではないか、とは思うのです。