琥珀色の戯言

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【読書感想】組織不正はいつも正しい ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

組織不正は、いつでも、どこでも、どの組織でも、誰にでも起こりうる。なぜなら、組織不正とは、その組織においていつも「正しい」という判断において行われるものだからだ。組織不正を行わない方が得策と言えるにもかかわらず、組織不正に手を染めてしまう企業が少なくないのはなぜか。燃費不正、不正会計、品質不正、軍事転用不正の例を中心に、気鋭の経営学者が組織をめぐる「正しさ」に着目し、最新の研究成果を踏まえて考察。


 企業や組織(団体)の不正って、報道などでそれを知る側からすると「なんでこんな酷いことが常態化していたんだ!」「そんなことをやっても、バレたら大問題になるリスクのほうが高いのはわかりきっているのに」と思いますよね。

 『組織不正はいつも正しい』というこの新書を書店で見かけて、僕は「は?」と引っかかったのです。
 これはある意味「釣りタイトル」ではあるのですが、世の中の「不正」の多くは、当事者たちにとっては、悪意からではなく、「もっと効率的にやって成果を出したい」とか「上司に責められたくない」という、やむにやまれぬ理由からきているのです。
 あるいは、当事者にとっては「当たり前にやっていたことで、それが不正だなんて、思ってもみなかった」ということも少なくありません。

 少しだけ研究の話をすると、組織不正についての最近の研究では、「多くの人は無関心のまま不正をする」と言われています。
 それ以前の研究では、不正をしようとする人は大変注意深い人物で、不正をしようとする機会をうかがい、積極的に行うものと考えられていました。つまり、「不正のトライアングル」(人間が不正に手を染める動機を「機会」「動機(プレッシャー)」「正当化」という三つの要素で説明したもの)で考えられているような人物です。このような人物は、周囲にはなじまずに、孤立している場合も多いと考えられています。
 このような風変わりな人物が不正を行うことから(あるいは、それが組織的に拡大して組織不正に至ると考えられたことから)、組織不正とはまれなものであり(めったに起こらないものであり)、常識とはかけ離れたものであると思われてきたのです。
 しかし、私が研究において参考にしている社会学者のドナルド・パルマーは、このような見方では組織不正がここまでなくならない理由を説明できないとしています。そのため、パルマーは、これとは正反対の人物像を仮定し、むしろ不正には消極的な人物が不正を犯すことで、それが組織全体を含む組織不正へと拡大するのだと説明しています。
 つまり、多くの人は不正に無関心なことが多く、不正をしようとも考えておらず、そのため積極的に不正をしようとする意思もない、というのです。このような人物は、不正をしようとする様子もないため、孤立しているどころか、むしろ周囲に溶け込んでいるものとされます。


 一昔前、コンピュータを扱える人間がごく一部だったり、不正をチェックするシステムが未熟だったりした時代ならともかく、現在の、ある程度コンプライアンスが意識されている組織で、ひとりのアウトローだけの力で大きな不正を行うことは難しそうです。

 著者は、2016年以降に相次いで問題となった、自動車メーカー(三菱自動車とスズキ)の燃費不正問題について、ひとつの章をさいて詳説しています。
 両者は、燃費の測定において、国が定めた「惰行法」ではなく、独自の検査法を使用していたのです。

 これまでに述べたように、惰行法とは試験自動車によって実際に試験路を走る方法のことを指しています。しかし、実際に試験路を走るということは、その日の風や気温などの自然環境の影響を受けやすいことを意味しています。その点において、惰行法は困難なものであったと指摘されています。
 実際に、三菱自動車の記者会見(2016年5月11日付け)では、風や気温が変化しやすいわが国において惰行法を使用することが難しく、それを加味してタイにおいて測定を行っていたとされています。わざわざタイまで行かなければ測定ができない状態というのは、三菱自動車にとっては余分なコストがかかってしまいます。でも、そうせざるを得なかったのです。
 さらに、調査報告書においても、三菱自動車が惰行法を使用していなかったのは「よほどの条件が整わない限り不可能であった」ためであり、「惰行法が非常に手間の掛かる面倒な走行抵抗測定方法であると認識されていた」とも説明されています。このように惰行法は、より良い燃費を求めようとすればかえって自社の燃費が求められなくなるという意味で逆効果でもあったのです。
 スズキの場合にも、このような惰行法の難しさが記者会見で述べられていました。スズキも、試験場自体が海に近い丘の上にあったため、風の影響を強く受けていました。そのため、惰行法が非常に困難となっていました。
 さらに、惰行法を使わなかったのは、燃費をより良く見せるためではなく、あくまで正確に測定するためだったと説明されたのです。


 両社は、試験結果を捏造した、というわけではなく、三菱自動車アメリカで使われていた「コーストダウン法」を参考に測定方法を開発し、スズキは「装置毎等の積み上げ」という、タイヤ、ブレーキ、ホイールベアリング、サスペンションなどの部品ごとに抵抗値を求めて、それらを合計することで車全体の走行抵抗を算出する、という方法をとっていました。

 国が決めた測定法に従っていなかった、という点では「違法」ではありますが、「惰行法」はかなり難しい測定法であり、スズキの記者会見では「自然界の外で安定した結果が出ず、ばらつきが大きくて現場は苦労していた」という発言もありました。
 また、三菱自動車アメリカ、スズキはヨーロッパへの出荷を行うために、現地で正しいとされている測定法に合わせた、という面もあるのです。

 こんな面倒な測定法をつくり、使ってきたのには、「日本の消費者に燃費を良く見せるために、都合のいい(良い数字が出やすい)測定法だった」からではないか、と著者は指摘しています。当時、同一車種であれば、アメリカの燃費基準よりも日本のJC08モードのほうが燃費値がかなり良くなった(良い数字になった)そうです。

 国側としては、測定方法として面倒でも、燃費を良く見せることができる独自の測定方法を続けて、日本車を日本で売りやすくしたかった。
 でも、メーカー側としては、惰行法はあまりにも負担が大きすぎた。

 ただし、著者は、これを「悪いこと」だと断じることはなく、世界各国で、それぞれ独自の燃費基準を設けているのだから、日本独自の基準があることそのものは問題ではない、と述べています。
 国(国土交通省)も、メーカーも、それぞれの立場から、国内の自動車産業の繁栄や燃費を測定するためのコスト改善において「正しいこと」をしようとして、外部からは「不正」とみなされる結果となってしまったのです。

 こうしてまとめられたものを読む立場からすれば、もうちょっとお互いに歩み寄ることもできたんじゃないかな……とも思うのですが、立場やメンツなどもあって、そう簡単ではないのでしょうね。


 著者は、東芝の不正会計について、他の研究者の論文の一部を紹介しています。

 もしも、個人が多額の利益を得ようとした不正会計であれば非難されてしかるべきとも考えられますが、東芝が行ったのはむしろ映像事業ほか事業ごとの利益を守ることによって会社を存続させようというもっともらしい理由だったのです。
 このような不正会計を、アメリカ型不正会計(利益追求)と日本型不正会計(会社存続)として比べられているのが澤邉紀生先生です。ここでは、澤邉先生の論文から一部を引用してみたいと思います。

 アメリカ型不正会計の私利追求という動機、旧来の日本型不正会計のお家を守るという気持は、ともに不正によってそれを上回る利益を得ようとしたという意味で合理的である。しかし、東芝では、会社としても個人としても、誰も大きな利益を得ることがないにも関わらず不正が行われた。通常ならば、善良な市民である優秀な東芝の従業員が、なぜこのような不正に長くにわたって染まってしまったのか、その背後にある構造が現代社会における会計の力を物語っている。
 東芝問題の本質を理解するヒントは、会計不正によって得られた利益の小ささにある。2015年7月に公表された第三者委員会報告書によれば、会計操作によってかさ上げされた利益は1500億円程度である。7年間の累積で約1500億円であるから、1年あたり220億円である。同期間の1年の売上高が6兆円あまりであるから、会計操作によってかさ上げされた利益額はその0.3%にしか過ぎない。純利益が約2000億円あるから、1割弱の比率である。1500億円という金額も、2200億円という金額も決して小さなものではない。しかし、東芝というブランドを毀損してまで得られる利益としては小さすぎる。実際に、会計操作の影響を除外して東芝の財務分析を行なっても、全体として大きな違いはない。会計操作をしてもしなくても、東芝全体としての財務状態に大きな違いはなかったのである。


 澤邉先生が述べられているのは、アメリカ型不正会計も日本型不正会計もどちらも合理的であるものの、日本型不正会計は会社を存続させるという組織合理的な不正会計であるということです。
 それは私利私欲の追求ではなく、会社を存続させるという「正しい」目的の下で、どの会社でも「起こりうる」不正会計であったことを意味しています。


 東芝の会計不正や、保険会社の高齢者への強引な契約、ビッグモーターの修理費を上げるための入庫車の破壊などをみていると、「組織のため」という大義名分があれば、「自分自身にちょっとした利益がある」というだけで、不正を「会社のために、自分の成績を上げるために必要なことなんだ」と正当化できる人は、かなり多いような気がします。

 そんな会社、辞めちまえ!と第三者としては思うのです。
 でも、その内部の雰囲気に飲み込まれてしまうと、そして、環境を変えることのハードルの高さを想像してしまって、人は、案外簡単に流されてしまう。


 著者が挙げた事例のなかには、「軍事転用不正の疑い」として警視庁公安部の捜査を受けたものの、最終的には検事が起訴を取り消すことになった、大川原化工機の事例もとりあげられています。
 メディアから情報を受け取る側は、「起訴された」「逮捕された」という時点で、「有罪」と認識しがちなのですが、この事件の詳細を読むと、「有罪前提」の「人質司法」とまで言われる日本の司法に不安を感じずにはいられなくなります。
 失われた会社の信用と、勾留されていた人たちの時間は、「無罪」になったから、国家への賠償請求が認められたからといって返ってはこない。
 「逮捕された」というのは興味津々で読んでも「起訴されなかった」「無罪になった」ところまでフォローしている人は、そんなに多くはありませんし。


 もっと自分自身をしっかり持って、自分がやっていることを俯瞰して生きなくてはなあ、と思うのですが、実際に、その巨大な波に飲み込まれてしまったら、どうしようもないのかもしれません。「普遍的な正しさ」よりも「組織の正しさ」のほうを優先しないと生きられない、生きづらいことがあまりにも多いから。
 ナチスの蛮行に関わった末端の人たちも、あの時代、あの環境下でなければ、ほとんどの人は、あんなことをしなかったはずだから。


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