Kindle版もあります。
本書は、漫才に対する分析が鋭すぎて、「石田教授」とも
呼ばれている石田明さんが「漫才論」について語り尽くした一冊です。
「漫才か漫才じゃないかの違いは何か?」といった【漫才論】から、
「なぜM-1ではネタ選びを間違えてしまうのか?」といった【M-1論】まで、
漫才やM-1にまつわる疑問に「答え」を出していきます。
読むだけで漫才の見方が一気に「深化」する新たな漫才バイブルです。
【本書の内容】
・「偶然の立ち話」が漫才の原点
・結局、「ベタが最強」「アホが才能」
・ワイン理論──「くだらない」と言われるボケは強い
・M-1は「じゃんけん」大会から「何でもあり」大会へ
・令和ロマンに授けた「漫才身体論」
・賞レースで「ネタ選び」を間違えるワケ
・なぜM-1で「歌ネタ」は評価されにくいのか?
・「システム漫才」の意外な落とし穴
・YouTube・サブスク全盛期に「舞台」に立つ意味 …etc.
2023年のM-1を制した令和ロマンは、M-1で評価される漫才の「傾向と対策」を研究し尽くして、難しいとされる決勝でのトップバッターからの優勝を成し遂げました。
僕は「なぜ『さや香』は決勝で『見せ算』という難解なネタをやったのだろう?千載一遇のチャンスだったのに……」と疑問でもあったんですよね。
笑い飯が『鳥人』という圧倒的な1本目の後、決勝でまさかの『チンポジ』ネタで敗れたときのことも思い出しました。
それはそれで、M-1の歴史に「爪あと」を残した、とも言えますが。
令和ロマンの漫才はすごく面白かったのですが、優勝後に語られた「M-1攻略法」を考えた、というエピソードには、ちょっと白けた気分にもなったのです。
南海キャンディーズの山里亮太さんも、著書で、「M-1で受けるネタを作るために、研究ノートをつくり、舞台でのお客さんの反応を確認しながら試行錯誤していった」と書かれています。
そうせざるを得ないほど、M-1が「高偏差値化」しているとしても、お笑いのネタづくりが受験対策みたいになっている舞台裏を、あえて観客に見せる必要があるのだろうか?とも僕は思うのです。
石田明さんのNON STYLEも、令和ロマンも面白い。
この本のなかで、石田さんが明かしている「面白い漫才をつくるために、M-1という舞台で結果を出すために、どんなことを考え、試行錯誤してきたのか」という話もすごく面白い。
僕もそういう「舞台裏の話」は大好きなのですが、いち観客、視聴者としては「マジシャンが種明かしをしている話」のような感じもするのです。作家やお笑いマニアが語るのならともかく、パフォーマーにそれをやられると、素直に笑いにくくなる、そんな気もします。
M-1という大会がなかったら、きっと今ほど多様な漫才は生まれていなかったでしょう。そういう意味では、M-1は漫才を劇的に覚醒させた。しかしM-1は同時に、漫才師たちに重い重い呪いをかけるものでもありました。
この呪いは1年に1組、チャンピオンになった者にしか解けない。しかも頂点に限りなく近づいた者ほど、呪いは強くなる。そして頂点に立てぬまま、結成15年のラストイヤーを終えてもなお解けない──という恐ろしい呪いです。
かつてはNON STYLEもその1組だったわけですが、ほんまにとんでもなく恐ろしい。でも、とんでもなく魅力的な大会やと思います。
最近のM-1はなぜ「コント師」が活躍しているのか? どうして準決勝でウケても決勝でウケないコンビがいるのか? 関東勢もしくは吉本所属以外の優勝者が増えているのはなぜか? ……こういったM-1にまつわる疑問にも、本書の中で答えていきます。
本物のM-1チャンピオンがこれらの「疑問」に答えてくれるのだから、本当にすごい。
石田さんは、かなり実践的なところもわかりやすく解説しておられます。
漫才は2人の掛け合いで進んでいきます。そしてそれが自然に響くようにするには、6の声量の振りには7、もしくは5で応えるという具合に、声のトーンをやや上げるか、やや下げるのが基本です。
上げるか下げるかは、振りを受ける側の「関心の強さ」によります。振られた話に関心を示す場合は上げる、無関心を示す場合は下げる。実際の会話もよく観察してみると、基本的にはこうやって進んでいるはずです。
声のトーンをうまく調整して自分の関心を示しつつ、「振り」から「受け」へと乗り換え、また次の「振り」にパスする……こうやって、お客さんの耳に響く音のバランスをとることで、自然で聞き心地のいい漫才になります。ただでさえ漫才には、ボケ・ツッコミという変な会話、違和感満載の要素が差し込まれます。そうした会話に至る手前の部分で、聞き手に違和感を抱かせてしまったら、肝心のボケとツッコミのところで笑えなくなってしまいます。
漫才を見ていて、「なんかぎこちないな」と思ったことはないでしょうか。こういう漫才師は、うまく声量がコントロールできていない可能性が高いです。特に若手のうちは、まだこうした声のトーン、音のバランス調整に慣れていないため、どうしても「作り物」感が漂いがちです。逆に経験豊富な漫才師、たとえばナイツの2人はお互いがずっと寄り添っているような声量なので、ずっと心地よく聴いていられます。
漫才の面白さは、ネタの面白さ、斬新さだけではなく、「聞き心地の良さ」や「適切な声量を選択し、それをステージでやれる技術」という「演者としての基礎的な技術」の積み重ねが大事なのです。
日頃、周りから面白いと言われている人でも、そのまま舞台に立ったら、知らない人たちを笑わせるのは至難の業です。
どんなに面白いネタでも、見せ方で失敗してしまうことは少なくないのです。
石田さんは、「(観客や審査員にとって)初見のネタのほうが新鮮さがあって有利」だとも仰っています。ただ、「やり慣れていない分ブラッシュアップされていない」し、実際の舞台では「あのネタを見たい!」というお客さんもいるし、毎回新しいネタを作るのは現実的には難しい、とも仰っていますが。
また、関西と関東の漫才の違いについて、こんな話もされています(「言葉(方言)のイントネーションや聞き手が受ける「強さ(圧力)」の違いについての説明のあとで)。
他に関西勢と関東勢とで違うと思うのは、「力点の置きどころ」です。
関東勢は、どちらかというと「手段」を考えることに力点を置いている。傾向と対策を練り、「どうしたらお客さんを笑わせられるか」という合理的思考に長けている人が多いように見えます。
それに対して関西勢は「笑ってもらえるネタを作ること」よりも、「面白い漫才師になること」にこだわる職人気質の漫才師が多いと思います。専門用語でいうと「人(にん:芸人の持っている人間性やキャラクター)を見せようとする」わけです。
「卵かけご飯」にたとえると、関東勢は「大根おろしとラー油入り卵かけご飯」というように趣向を凝らしたもので勝負しているようなものです。
一方、関西勢は、「白米、卵、醤油」という王道の卵かけご飯を「エサにこだわった平飼い鶏の新鮮卵と、ピカピカの米、そのためだけに作られた醤油」みたいにして、どれだけ美味しく出せるかにかけているという感じです。
先ほどもいったように、関西には「なんでやねん!」という普遍的なパワーワードがあるけども、関東にはそれがない。だから関東勢は手段で売れるほうへと行きがちやと見ることもできるでしょう。
これは「傾向」であって、すべての漫才師にあてはまるわけじゃない、と石田さんは付け加えています。
実際、石田さん自身は関西の出身ですが「手段」にこだわって結果を出してきたと思っているそうですし。
確かに、関西の漫才師・芸人さんは、自分が「面白い人」になることを目指していて、関東の人は自分のキャラクターよりも「面白いネタ」を演じることを重視しているという傾向はあるのかもしれません。
関西は破天荒というか「無頼派」みたいな芸人さんが多いイメージだし、「面白い人間になる」ことを目指しているほうが、司会者などの「漫才以外での仕事」でも成功しやすそうです。
ただ、最近は「破滅型」「無頼派」芸人は、存在が難しくなってはいるのでしょうね。
霜降り明星の粗品さんは、どこまでがこの人の「本当」で、どこからが「演出」なんだろう?と思わせる人で、そこが魅力でもあります。
横山やすしさんを子供の頃に見てきた僕としては、ああいう人が生きていけるのも「芸能界らしさ」のような気もするのですが、いろんな暗部をクリーンに(しようと)してきたのが、これまでの芸能界の歴史なのです。
M-1の決勝を観ていると、「あんまり面白くないな、なんでこれで決勝に出てこられたのだろう?組織票とか人気芸人だからという主催者の忖度とかあるのか?」と思うことってないですか?
石田さんは、M-1の「準決勝」と「決勝」についても書いておられます。
同じ「舞台に立って漫才をする」でも、寄席の舞台とM-1のような賞レースとではかなり違います。寄席では、早い話「より多くの人にウケること」が正義ですが、賞レースでは必ずしもそうではありません。
特に、現在最大の賞レースであるM-1ともなると、万人に通じる「ウケ」よりもっとコアなものを求めるお笑いファンが一定数、見ています。いうなれば「普通のタイ料理よりパクチー増しのほうが好き」な人た血ですね。
M-1は準決勝を勝ち上がるのが一番難しいんですが、それは、準決勝の会場にコアなお笑いファンが多い環境だからやと思います。
M-1は、万人受けを求められる寄席で爆笑をとってきたような人たちが、むしろ苦戦する世界。特に僕らが挑戦していたころは、その傾向が強かったと思います。
だからといって、準決勝でバコーンとウケたコンビが決勝でもウケるかといったら、そうでもありません。なぜなら、回戦が進むごとに増えてきた「パクチー勢」が決勝では一気に減って、客層がふたたび寄席のそれに近くなるからです。
尖ったことばかりやっていると、準決勝までは勝ち上がれても、決勝で大きくスベる可能性がある。コアなお笑いファンを納得させつつ、ベタな笑いもとれないといけないんです。
石田さんの言葉を読んでいると、M-1で優勝するというのは、どんなに「面白い」漫才師であっても、M-1に合わせた「傾向と対策」みたいなものをちゃんとやっておかないと、結果を出すのは難しいのだろうな、とも感じるのです。
テツandトモさんがM-1決勝に出たときに、審査員の立川談志さんから「お前ら、ここに出てくるやつらじゃないよ。もういいよ」と言われたのを思い出しました。
それは「つまらない」という意味ではなくて、「2人が輝く、重宝される場所はここじゃないよ」ということだったようです。
M-1は、漫才師の人生を大きく変えてしまう力があるけれど、だからこそ、M-1だけがすべてじゃない。
正直、僕も、M-1を観るときはけっこう緊張し、集中しているのですが、毎週、バラエティ番組をあんなに集中して観ていたら身が持ちません。年に一度の大舞台だからこそ、なのです。
イギリスの元首相、ウインストン・チャーチルは「ダービー馬の馬主になることは一国の宰相になるより難しい」と言ったそうですが、M-1チャンピオンになるのも、それと同じくらい、あるいはそれ以上に難しい。
相方の井上さんとの関係などもかなり率直に書かれていて、「M-1チャンピオンの『その後』」としても興味深く読みました。
漫才を「やりたい人」は、ぜひ読んでおくべき本だと思います。
あんまり考えずに、楽しく観たい、という人には、この本を薦めるのをちょっと迷うなあ、すごく面白いけど、だからこそ。










