琥珀色の戯言

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【読書感想】荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

◆内容紹介◆
世界の16の国と地域で翻訳刊行されるなど、いまや古典となった『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)から10年。
だが、ある時、『漫画術』を読んで漫画家になった人もいるとしたら、「もうちょっと深い話も伝えておかなければならないのではないか」と、荒木は考えた。
ジョジョの奇妙な冒険』シリーズをはじめとした荒木作品に登場する名悪役たちの魅力とリアリティはどのように生まれるのか?
漫画の王道を歩み続けるために必要なことは?
いまだ語られなかった、漫画家・荒木飛呂彦の「企業秘密」を掘り下げた、新・漫画術。


 話題になった『荒木飛呂彦の漫画術』から、もう10年になるのか……
 

fujipon.hatenadiary.com


 この『新・漫画術』では、前著『漫画術』で挙げられていた、(1)「キャラクター」 (2)「ストーリー」 (3)「世界観」 (4)「テーマ」という「基本四大構造」を基盤に、この10年間で荒木先生がアップデートしてきたこと、自作の導入部でどのような点を意識して物語をはじめていったのか、などについて、かなり具体的に書かれています。

『新・漫画術』は『漫画術』の内容のステップアップというより、駆け出しの漫画家が仕事をしていく上で、「こういうことを考えた方が、いい作品にたどり着けるんじゃないかな」という話が中心になります。特にじっくり語りたいのは、敵キャラ(悪役)の作り方についてです。悪役については『漫画術』でもエッセンス的なことを述べましたが、今回はそれを大幅に補強し、実践編で魅力的な敵キャラの作り方を丁寧に説明していきます。
 悪役は、漫画をヒットさせるために欠かせない最重要ポイントのひとつです。編集者が「この漫画、なんか足りないんだよね」と言うときは、90パーセント以上の確率で「悪役が立っていない」のだと思います。僕と編集者の打ち合わせもほとんどが悪役についての話で、「ストーリーはいいんですけど、この悪役はちょろいんじゃないですか」「なんだか普通で、弱すぎますよ」などと指摘されたりします。人気がある漫画には必ず強烈な悪役がいますし、魅力的な悪役がいることは名作に欠かせない条件と言えるでしょう。なぜなら、すべての物語は「主人公 vs. 悪役」という構成になっているからです。


 僕はこれを読みながら、いま観ているTVアニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』3rd season』に出てくる、レグルス・コルニアスという敵役のことを思い出していました。このレグルス、言うこともやることも僕にはとにかく不快なんですよ。自分の欲望を満たすためには他者のことなどお構いなしで、自分の言いなりになるのが当然のことだと思っている。喋りかたも嫌味ったらしいし。もうこんなやつ、見るのも不快だから、さっさとぶちのめしてくれ……

 でも、ここまで憎らしい、早くいなくなってほしい「敵」を描けるのって、それはそれですごいことだな、とも思うのです。
 そいつが倒されることによって、読者がカタルシスを得られるようなキャラクターって、なかなかいない。
 描く側としては、「本当はいい人なんじゃないか」と感じさせるとか、「読者・視聴者に愛される、それなりに動機が理解される悪役」にしたい、という欲求もあるはずなので。
 単に「悪いことばかりするヤツ」だと、チンピラやゲームのザコキャラみたいなもので、倒すことが「作業」になってしまう。
 「徹底的に悪くて強い人間」を描くのはかなり難しいのです。

 荒木先生の作品でいえば、第3部のディオは僕の記憶にずっと残っている悪役で、ディオの時間を止められるスタンド『ザ・ワールド』に、「こんなの勝てるわけないだろ。どうやったら倒せるんだ?」とゾクゾクしたのを思い出します。
 すごかったのは、空条承太郎が『ザ・ワールド』の存在を理解し、それに対抗していくプロセスが、納得いく形で描かれていたことでした。

 荒木先生も、この本のなかで、「敵がつまらないミスをしたり、偶然起こった幸運のおかげだったりで、主人公が勝つような作品は読者を興醒めさせる」と仰っています。
 漫画、アニメ、実写映画も大ヒットした『DEATH NOTE』は、まさに「キラ(夜神月)が最新の注意を払い、隙なくやり遂げようとしていたこと」を、『L』が「そんなやり方があったのか!」という叡智を駆使して食い止めようとする「頭脳戦」で、僕も痺れました。

 ラオウがひたすら強くて妥協しないからこそ、ケンシロウとの闘いはドラマチックだったのです。
 不思議なもので、己の道を貫く悪役は、多くの読者・視聴者に支持され、人気キャラクターになることも多いのです。

 『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルのように「カッコよさで支持される敵役」もいます。

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の有名な文章、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」のように、物語の主人公、「正義の味方」はある程度「読者に共感されやすい人物」として描かれることが多いのですが、「悪役」は、「悪」だからこそ行動や考え方が制限されにくいし、作者にとっては、キャラクターの個性を出せる「腕の見せどころ」になるのでしょう。


 荒木先生は、長年第一線で活躍されていて、「時代の変化」についても書いておられます。

 昔の漫画やテレビドラマを見返して、「昔はあんなに面白かったのに、前みたいに熱中できないな」と感じたことはないでしょうか。「ああいう時代、あったよね」という懐かしさはあるけれども、「なんだか古くさいなあ」と興ざめになってしまう……。たとえば昔の悪役には、財閥の息子が親の権力を利用して主人公に襲いかかっていくというパターンがよくありました。当時、その敵キャラはすごく憎々しげで、「こんなヤツに負けるな!」と主人公を応援していた人が多かったはずです。しかし、現代の日本社会においては「財閥の息子なんて普通の学校にいるのかな」ということも含めて、そういう悪役にはリアリティーが感じられなくなってしまっています。
 時代の変化ということで言えば、『ジョジョ』の連載が始まったころの日本は、社会全体がイケイケで上がっていく、とても勢いに満ちた時代でした。それが2000年代から、音楽でも少し病んだ感じの曲が売れ線になってきて、「いい音楽なんだけど、聴いていてちょっと苦痛だな、リラックスできないから仕事中にかけたくないな」というものが増えていきました。そのころから、人間の異常性や変わった部分をテーマにした作品がヒットするようになった気がします。それはたぶん時代性から来ている流れで、そういう時代に生まれ育った漫画家に少なからぬ影響を与えているはずです。
 もしも今、ディオ(DIO)や吉良吉影を描くとしたら、彼らがなぜあそこまでの悪になったのか、その生い立ちや家族関係のようなところをもっと深く掘り下げるのではないかと思います。特に吉良はけっこうかわいそうな人で、ああいう歪んだ人格になった背景には、きっとなんらかの理由があるはずなのです。ただ、そういう哀しい部分を入れると、漫画のテイストが暗く湿った感じになりますし、読者が「仗助、行け!」と素直に思えなくなってしまうと考えて、連載当時はあえて省いたということです。


 大量殺人鬼とか権力で他者を苛烈に支配するような人は、少なくとも近代以降の世界では「悪」だと思うのですが、昔のスポ根漫画の主人公の親とかも、2024年の感覚でいえば、「許せない毒親」になるはずです。「同僚がまだ残業しているのに手伝う素振りもなく定時に退社する人」なんて、20世紀の終わりくらいまでは「空気が読めない、職場の和を乱す厄介者」扱いされていた記憶があります。

 毎日を生きていると、世の中あんまり変わらないなあ、と思うことも多いけれど、客観的にみれば、いろんな「常識」は変化し続けているのです。

 ギャグを描く漫画家は作家生命が短い、と言われますが、加齢に伴う感情の鈍化だけでなく、「笑えるかどうかの判断基準」というのは「泣ける」ものよりも、変化のスピードが早く、アップデートしていくのが難しいのかもしれません。
 ずっと人気漫画家でいる、というのは、大変なことなのです。


 荒木先生は、「ウケる」「売れる」ということと、創作者としてのスタンスについて、こんなふうに述べています。

 確かに、「こうすればウケる」という誘惑は強力で、変種者から「あの漫画はこれでヒットしているから、そういうのを描いてみたら」と言われたときどうするかは、なかなか難しいところです。特に、『少年ジャンプ』は人気がある名作だらけですし、読者アンケートや部数というデータを突きつけられると、なかなか抵抗しにくいと言えます。僕も自分の漫画がそんなにウケていないときは、「ちょっと取り入れないと行けないのかな」と、ぐらつきかけたことがありました。
 たとえば、『ジョジョ』の読者アンケートがあまりよくなかったころ、編集者から「他の漫画で、キャラクターが生き返ったときのあの回の人気がすごかったから、『ジョジョ』でもやろう」と提案されたことがありました。人気があるキャラクターが生き返ると、読者は「あいつが帰ってきた!」と嬉しいもので、その気持ちはよくわかります。一瞬、「やりたいな」と思いましたが、先祖からのつながりを描いている『ジョジョ』でそれをやったら、話がむちゃくちゃになってしまうでしょう。また、僕の好きなゾンビ映画では、生き返ると価値観や哲学が逆転して、自分の愛するものを殺さなければいけ無くなってしまうので、「やっぱり一度死んだ人間が生き返るのはよくないよな」と考え直しました。生き返らせることはしないけれど、その分、人間が生きるとは、死ぬとはどういうことかを『ジョジョ』という漫画でちゃんと描こうと、改めて心に決めたのです。それで人気が出ずに連載が終わる可能性もありましたが、ブレなかったことは結果的に正解だったと思います。
「最近ウケてないから、テコ入れで世間でヒットしている◯◯みたいなキャラクターを入れなきゃ」と気持ちが揺れたり、編集者から「もっと売れ線を狙え」と言われたりしたら、「それは今描こうとしている漫画にハマるのかな」と検討してみることをお薦めします。だいたいの場合、「ハマらない」ことの方が多いんじゃないかと思いますが、そういうときは、自信を持って自分が描こうとしている漫画をきちんと描ききるべきなのです。ウケないのはむしろ描きたいことを深く描いていないからであってブレずにどんどん突き詰めていく方がよい、というのが僕の考えです。プロとして「売れないといけない」というプレッシャーはありますが、「こんな地味で不細工なキャラクターが世の中に受け入れられるんだろうか?」と不安に思っても、その漫画の「基本四大構造」がちゃんと融合していれば、意外と大丈夫なものです。
 でも、ヒットするかしないかなんて、売れている漫画家が本当にわかって描いているかと言えば、そんなことないんじゃないかな……と、僕は思っています。


 荒木先生の「ウケ狙いのために、自分の描きたい漫画がブレてはいけない」というのは、漫画に限らず、あらゆる創作にあてはまりそうです。
 その一方で、自分の適性というのは、自分で「これが向いている」と思っているものとは異なる、ということも少なからずあるのです。
 荒木先生は、漫画家として大きな成功を収め続けている人なので、その言葉にはすごく説得力があるのだけれど、その荒木先生でも、「売れている漫画家だって、ヒットするかしないかなんて、本当にわかって描いているわけではない」と仰っています。
 もちろん、「これならウケる可能性、売れる可能性が高い」というくらいの「嗅覚」はあると思うのですが、「絶対に売れる漫画を描く、ウケる創作物をつくるための方程式」は、存在しない。

 僕はこうして20年以上もネットに文章を書いていますが、個人サイトとかブログとかのジャンル全体の栄枯盛衰が基盤にあるとしても、自分で「これは多くの人に読んでもらえるはず、だと期待して公開したものが、まったく読まれなかったり、思いつきをさっとメモしただけのような文章に大きな反響があったりすることが多々ありました。
 同じような内容を以前書いたときにはノーリアクションでも、時間が経って少し書き直して公開すると、驚くほど読まれたこともあります。

 「時代を問わない名作」も、もちろん存在するのかもしれませんが、ある程度「打率」みたいなものは上げられても(ただ、それも経験とともに右肩上がり、というわけではなくて、加齢とともに自分の感覚と世間の評価がズレていくこともあります)、「何がバズる(流行する)かなんて、何年やってもわからないなあ。狙ってヒットを打つのは難しい(無理だ)なあ」というのが実感です。


 2007年の4月発行の『QJ(クイック・ジャパン)・vol.71』で、高橋先生の特集が組まれていました。
 この『QJ』には、「トップを走り続ける最強の少年マンガ家~高橋留美子・15000字インタビュー」という記事がありました。取材・文は渋谷直角さん。

 それともう一つ感じたことは、「人気を取ること」へのコダワリだ。唐沢俊一氏が、デビュー直後の高橋留美子にファンレターを送ったという。「これからどんどん売れてくると、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お身体にはご注意下さい」といった内容だった。すると高橋留美子からの返事はこうだ。「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対に潰れないからご安心ください」。(月刊『創』2006年11月号より)


高橋留美子「すげえ、私(笑)。つうか、こえ~(笑)。全然忘れてますね(笑)。そうか、そんなことも書いていたか……。でもね、間違いないです。やっぱりね、私はマンガは売れた方が良いと思うんです。それはイコール楽しい、面白いってことじゃないか、っていうのがあってね。わかる人がわかってくれればいいとか、同人誌じゃないと描けないネタがあるとか、そういうのは嫌なんですよ。そうじゃなく、自分がすごい描きたいものを一般誌で描いて、大勢に読んでもらったほうがいいじゃん、っていうのはすごい思ってたし、今でも変わってない」


どんなジャンルにでも、「規格外の怪物」みたいな人はいるのだなあ、と思います。
荒木飛呂彦先生も、「努力する、試行錯誤しながら自分の強みを磨き、アップデートを続けることができる怪物」なんですよね。


fujipon.hatenablog.com

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