Kindle版もあります。
☆2025年本屋大賞受賞作☆
【第8回未来屋小説大賞】
【第1回あの本、読みました?大賞】一緒に生きよう。あなたがいると、きっとおいしい。
やさしくも、せつない。この物語は、心にそっと寄り添ってくれる。最愛の弟が急死した。29歳の誕生日を祝ったばかりだった。姉の野宮薫子は遺志に従い弟の元恋人・小野寺せつなと会うことになる。無愛想なせつなに憤る薫子だったが、疲労がたたりその場で倒れてしまう。
実は離婚をきっかけに荒んだ生活を送っていた薫子。家まで送り届けてくれたせつなに振る舞われたのは、それまでの彼女の態度からは想像もしなかったような優しい手料理だった。久しぶりの温かな食事に身体がほぐれていく。そんな薫子にせつなは家事代行サービス会社『カフネ』の仕事を手伝わないかと提案する。食べることは生きること。二人の「家事代行」が出会う人びとの暮らしを整え、そして心を救っていく。
2025年本屋大賞受賞作。
『本屋大賞』のサイトで順位と獲得した点数を確認すると、この『カフネ』が581.5点、2位の『アルプス席の母』が353点、3位『小説』が345点だったので、頭ひとつ抜けた支持を集めていたようです。僕は受賞決定後に読みました。
最愛の弟を亡くし、配偶者には突然の離婚を切り出された中年女性が、無愛想で料理上手な弟の元恋人との出会いをきっかけに、「再生」していく、という物語です。
近年の『本屋大賞』は、生きづらさ、とくに女性の生きづらさやLGBTQ(セクシャルマイノリティ)、毒親、児童虐待などをテーマにした作品がノミネート、受賞することが多いな、と思っていました。
もちろんそれは「現代的なテーマ」ではあるのですが、中年男性としては、なんだか置いてけぼりにされている感じもあったのです。
2022年の『同志少女よ、敵を撃て』(これがもう3年前なのか……)や2024年の『成瀬は天下を取りにいく』などの社会派・戦記ものや元気が出る青春小説などの大賞受賞には内心、快哉を叫んでもいました。なんかこう、もっと「ハラハラしたり、ワクワクしたり、元気が出たりする本」が評価されてもいいのに。
そういう「直木賞からは外れるようなミーハーな読書」が評価されるのが『本屋大賞』の独自性だとも思います。
何年か前までは「ノミネート作を全部読む」という企画的なことをやっていたのですが、最近は「せめて大賞受賞作くらいは読もう」というのが実情です。
おお、今年は「いつものノミネート作家」じゃない人が受賞したんだな、と思いつつ、この『カフネ』を手に取りました。
個人的には、主人公の女性の「他人からは、『それでもあなたは恵まれている』と言われそうな立場」での、漠然とした不満や不安が、身近な人の死や配偶者との離別で顕在化してくるところは、同じくらいの「中年の危機世代」として、共感できるのと同時に、「なんかめんどくさそうな人だなあ」とも思いました。
主人公の弟の元恋人である、小野寺せつな、という女性に関しても、料理の手際の良さや所作の美しさ、生き方の筋の通し方など魅力的ではあったのです。
弟と付き合っている人、として両親に挨拶に来たときに、せつなが料理を仕事にしていると聞いて、「つくったものを食べてみたい」という弟の両親とのこんなやりとりがあるのです。
「おつまみ程度でいいのよ。お父さんも公隆さんも飲むでしょうから、何かお酒に合うものをお願いできる? 小野寺さん」
「かまいませんが、三千円いただきますよ」
この時の父と母の顔について、のちに春彦は「鳩が豆鉄砲食らうってああいう顔のことなんだね」とおかしそうに語った。
「え、何のこと? 三千円?」
「それが私の時給なので。本当は交通費もいただくんですけど、ご挨拶にうかがった身ですから、今回はおまけしておきます」
こういうのを読むと、「こんなTogetter(トゥギャッター)で『プロに対して失礼な対応をする恋人の両親まとめ』にされそうなリアクションをとる人、現実にいるわけないだろ、もしいたら、単なるネット脳で、会社で上司にいちいち『それってあなたの感想ですよね』とか言って嫌われるタイプじゃないか?」と、ちょっとしらけてしまうんですよ。いやまあ、これはこれで、理由らしきものも後で開示はされるんですが。
両親のほうも、挨拶しにきた子どもの恋人に「何か料理を作ってみろ」なんて言わないだろ、お前は海原雄山か!って。
僕は自分自身が食べ物にそれほど興味がないこともあって、「美味しいものを食べたら、丁寧な日常生活を送れば、すべて解決!」みたいな「『美味しんぼ』的世界観」の作品を見かけるたびに「そんなに簡単にいくわけないだろ」とツッコミを入れたくなるのです。その一方で、ひとりの生活者としては、「精神的に疲弊しているから、部屋が片付かない」という状況は、「部屋を外的な力(業者とかも含む)によって片付けることによって、精神的にもリセットできる面がある」のも実感しています。
悩み事があって、不安に苛まれて眠れない、という人も、睡眠薬を適切に使って、半ば強制的にでも眠ることができれば、悩みや不安が緩和されることが多いのです。
物事の因果関係というのは、当事者の思い込みで、実際は環境を整えることで解決に近づくこともあります。
この小説、家事代行、料理や整頓の描写がとても整っていて、読んでいてすごく落ち着くんですよ。
ただ、小説として物語らしくしよう、という意図なのか、謎解き的な要素が入っているのですが、それに関しては「それはあまりにご都合主義というか、やさしい世界すぎないか?」とも思いました。
人は、みんなそれぞれ事情を抱えていて、余裕がなくて、悪意がなくてもうまくいかないことはある。
でも、なんかもうどうしようもない悪意、みたいなものも存在するのです。
この小説に関しては、露骨な差別とか虐待みたいなものではなくて、「ごく普通に生きているように見える人たちの、ごく普通に見えるから、見られたいという思いがあるからこその行き詰まりや葛藤」が丁寧に描かれている、とは感じました。
あと、ラストは正直、蛇足というか、そこまでやらなくてもいいのではないか、それって、あなたが他人からされて負担に感じていたことではないのか、というのが率直な後味でした。
「それが『善意』だからこそ、他者に押し付けるのは危険だ」と、この作品のなかで、著者が自らを戒めるように繰り返していたはずなのに、どうしてこうなった。
生きづらさ、とくに女性の生きづらさやLGBTQ(セクシャルマイノリティ)、毒親、児童虐待、依存のフルコースに、「食べ物」+「ていねいな暮らし」。
AIに「『本屋大賞』を獲れそうな社会問題をごった煮にした小説を書いて」とリクエストしたら、『カフネ』が出てきそう。
なんだか批判めいたことばかり書きましたが、個人的には「ベストではないが、グッド」で、僕みたいな中年男こそ、「こういう小説が支持され、『本屋大賞』に選ばれる現実」を直視しなければならないのかな、とも思っています。










