Kindle版もあります。
《概要》
かつて本屋は「帰り道にふらっと寄る」場所だった。だが、いつのまにか町から本屋の姿はなくなり、「わざわざ行く」場所になってしまっている。いったいいつから、どのようにして、本屋は消えていったのか?
本書では、出版社・取次・書店をめぐる取引関係、定価販売といった出版流通の基本構造を整理した上で、戦後の書店が歩んだ闘争の歴史をテーマごとにたどる。
公正取引委員会との攻防、郊外型複合書店からモール内大型書店への移り変わり、鉄道会社系書店の登場、図書館での新刊書籍の貸出、ネット書店の台頭――。
膨大なデータの分析からは、書店が直面してきた苦境と、それに抗い続けた闘争の歴史が見えてくる。「書店がつぶれていく」という問題の根幹を明らかにする一冊。
「リアル書店の危機」「Amazonをはじめとするネット書店の影響や電子書籍の普及で『町の本屋さん』が無くなってしまう」
そんなふうに2000年代の前半から叫ばれ続けてきたけれど、結局、町の書店はどんどん潰れていきました。
ただ、ずっと「危ない」と言われ続けてきたわりには、紙の本を売る書店は「絶滅」していないのも事実なのです。
この本、20世紀、主に太平洋戦争後に「書店」という業種が一般的なものとなって以来、どのようにして、商いを続けてきたのかが、さまざまなデータとともに綴られています。
読んでいて痛感したのは、「結局のところ、本、とくに書籍(単行本)だけの売り上げで町の本屋が食べていけた時代はほとんど(まったく、と言っていいかもしれません)なかった、ということなのです。
書店はよく売れるが品薄の本を高く売ることも、売れない在庫の安売りもできない。
スーパーでは、日照りが続き農作物が不作になれば、野菜や果物の値段は上がる。余るほど豊作なら価格は下がる。「需要と供給のバランスで価格が決まる」。これが書店では通用しない。本を1冊売ったときに価格の何%が書店に入ってくるのかというマージン(取り分粗利率。出版業界での言い方は「正味」)もおおむね定価の22%前後と一応決まっている。
書店の取り分は日本では2割強、アメリカでは30~50%、フランスでは書店と流通業者で51%、仕入から一定期間内なら無制限に返品可であるなど日本と近い商習慣のスペインのような国と比べても、日本は圧倒的に書店の利幅が小さい。これが苦境の根本原因のひとつだ。
再販契約がないアメリカでは本の割引も珍しくないから、実際は定価の30~50%も利益が出ないことも多い。とはいえ割り引いても経営が成り立つよう、需給に合わせて売価を書店が自ら決めている。売れない本や客寄せしたい本は、安売りで顧客を引き付けられる。
もともと日本の書店の取り分(利益率)は低く抑えられ、薄利多売、にしたくても小規模な書店には欲しい本が十分に配られないのです。
日本中どこでも、大きな書店でも小さな書店でも同一価格、というのは買う側にとっては「良心的」ではあるけれど、売る側にとっては、ただでさえ利幅が小さいのに価格決定の自由度が低く、他店との差別化も難しい。
町の書店は、ブームになった全集をセットで売ったり、文房具を売ったり、雑誌ブーム時には雑誌の利益で潤ったり、CDやDVDレンタルの店になったり、マンガのレンタルをはじめたり、トレーディングカードやゲームソフトを取り扱ったりと、「書籍(単行本)以外の稼げる商品の利益によって」生き延びてきました。
思い返すと、村上春樹さんの大ベストセラー『ノルウェイの森』で、主人公・ワタナベと仲良くなるミドリという女の子の実家は町の小さな書店で、ずっと経営が厳しくて、両親が亡くなったときに閉店し、店を売ったというエピソードがありました。
『ノルウェイの森』の単行本が上梓されたのは1987年で、当時高校生だった僕も話題に乗り遅れまいと読んだのですが、1980年代の半ばから、すでに家族経営の「町の本屋」は厳しい状況に置かれていたのです。
Amazonやネット書店以前から、「町の本屋」は儲からなかった。
ネット書店の前には、TSUTAYAをはじめとする「CD、ビデオ(DVD)レンタルとの複合店」が町の書店を駆逐していき、TSUTAYAを書店文化の破壊者として嫌う人も多かったのですが、この「通史」を読むと、当時ですら、TSUTAYAのようなやり方でないと、書店を維持するのが難しい状況だったことがわかります。
書店には「人が集まる場所」というイメージがあり、以前はデパートの上のほうの階に大きな書店が入っていましたし、今でもほとんどのショッピングモールには書店があります。
そして、これまでは、さまざまな商材と「抱き合わせる」ことで薄利でもなんとかやってきた比較的大きな書店でさえ、NetflixやAmazonプライムビデオなど、ネットでの動画配信でDVDレンタルをする人は激減し、ゲームやCDもダウンロードで買う人が多くなった時代に「次の収入源」が見つからずに苦慮しているのです。
コーヒーショップと提携したり、子ども向けの絵本コーナーを拡充したり、文具コーナーを充実させたりしているけれど、DVDレンタルのような決定打にはなっていません。TSUTAYAなどは、レンタル業が斜陽化してしまったために「本を売ることに回帰している」ようにも見えます。
出版業界をめぐるクリシェ(決まり文句)には、誤りや疑問符が付くものが多い。
日本の紙の出版市場のピークは1990年代半ばで、その後は減少傾向がつづく。本が売れない理由として、1990年代から2000年代にはマンガ喫茶、ブックオフをはじめとする新古書店、公共図書館の増加などが語られ、2000年以降はインターネットの影響、2010年代以降はスマートフォンの登場が「犯人捜し」の標的になってきた(いまやマンガ喫茶は激減、ブックオフは本よりもトレーディングカードゲームなどを主たる収益源にしているが)。
しかし出版市場が最盛期に向かおうとししていた1980年代後半から、すでに町の本屋は年間千店単位でつぶれはじめている。1990年代後半に「紙の本の売上が減ってきた」のはまちがいないが、町の本屋の退場は、それだけでは説明がつかない。
「本が売れなくなったから専業書店ではむずかしくなり、文具や雑貨などとの兼業の重要度合いが増している」とも言われるが、1950年代の東京都野書店組合の調査では兼業書店が半数弱。書店団体である日書連(日本書店商業組合連合会)の調査では、1980年代前半を除けば1960年代前半を除けば1960年代から2010年代後半まではほぼずっと兼業書店の割合が多い。それもそのはずで「むかしは何もしなくても本が売れ、本屋が儲かった」と言われるが、実際には平均的な中小書店は1960年代後半の調査ですでに赤字だった。本屋は小売業ワーストクラスの利益率のうえ本の値段が安く、まともな商売として成り立っていなかった(「小売業」とは商品を仕入れて消費者に売る事業のこと。どれだけ規模が大きくても「小売り」と呼ぶ)。
この本では、町の中小書店のデータだけではなく、その経営難に影響を与えてきたとされる「駅の売店や雑誌を売るスタンド」「コンビニエンスストアでの本や雑誌の販売」「書店の大型化」「図書館」「ネット書店」などについて、その栄枯盛衰を丁寧に追っています。
これまでの先入観や記憶の改変を過去からのデータを積み重ねていくことで検証していく、ピケティの『21世紀の資本』の町の本屋版みたいな内容だなあ、と思いながら読みました。
コンビニやブックオフやTSUTAYAが、わかりやすい「敵」として語られてきたけれど、「利益率も経営の自由度も低く、競争を避けて業界内での抜け駆けができないように、内輪での抗争ばかり繰り返してきた」ことが、日本の書店が慢性的に経営難になってしまった根本的な原因なのでしょう。
とはいえ、1人の本好きとしては、その結果として「造形も含めて『良い本』が、安価に、さまざまな場所で同じ価格で買える」という恩恵を受けてきたのも事実なんですよね。
「本は安すぎる!値上げしてもっと書店は稼げ!」なんて、買う側としては言えない。
そもそも、本の価値というのは、原価がいくらだから、というようなわかりやすい数字にすることが難しい。
本は「文化」だから、「学びになる『良いもの』だから」というイメージは「商材」としての本の立場を面倒なものにしているのかもしれません。
この本の後半に、ネット書店についての章があるのですが、僕はネット書店が生まれてからここまで成長してくるまでをリアルタイムで見てきたはずなのに、すでにこの四半世紀(25年)くらいの記憶が薄れてきていることを認識させられました。
Amazonが日本に進出してきたのは2000年で、1990年代後半からすでにさまざまなネット書店が立ち上げられており、Amazonは「最後発」でした。
Amazonというアメリカからの「黒船」の圧倒的な力に、日本のネット書店は一蹴された、勝ち目はなかった、というのは現在から逆算しての「歴史」でしかなくて、ネット書店の黎明期には、Amazonは「絶対的な存在」ではなかったし、日本のネット書店にも「勝ち筋」はあったのです。
国内ネット書店関係者からは「本の値段が安い上に書店マージンはあまりに低く、ネットショッピングでのクレジットカード決済の手数料は8%以上、送料も400~500円しか取れない。これで高額なシステム投資をカバーするのはムリ。オンライン書店は収益性が悪すぎる」と言われていた。本が安く、書店の粗利が低いことが、ここでも負の影響をもたらした。
もっともAmazonもアメリカ本国では2001年まで赤字がつづいており、「Amazonは米国では大胆な割引販売で伸ばしているが、日本は定価販売。上陸したところで恐るるに足らず」などと語る出版業界人も少なくなかった。
Amazonがネット書店として(いや、超巨大小売り企業として、と言うべきでしょうね)君臨している2025年からみれば「見通しが甘かった」と感じるのですが、当時はそう考える人が多かったのです。
結果的にAmazonは「送料無料」「注文された本のすみやかな配送」「カスタマーレビュー」などで顧客の心をつかみ、その一方で、その画期的なサービスを実現するために、宅配業者や物流センターのスタッフを酷使し、徹底的な効率化をはかったことが問題視されてもいます。
著者は「Amazonの上陸から3年で勝負は決した」と述べています。
「送料無料」は、買い手としてはものすごい魅力だったわけですが、客観的にみれば、配送の準備をし、自宅に届けるにはコストがかかるのが当然です。
では、Amazonは、当時、どのように「送料無料」を実現したのか?
Amazonも無条件で「送料無料」だったわけではない。2000年の日本進出時には買い上げ金額1500円未満の場合は送料300円を徴収しており、買い上げ金額や期間が限定された施策だった。年会費3900円を払うと何度でも送料無料で基本的に翌日お届けになるAmazonプライムは、アメリカでは2005年、日本では2007年に始まる。
とはいえ、Amazonはなぜ送料無料が(恒常的にではないにしても)実現できたのか。キャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC、現金循環期間)が大幅なマイナスだったからだ。ロバート・スペクター『アマゾン・ドット・コム』(日経BP社、2000年)の記述によれば、アメリカでAmazonは書籍が入荷から平均18日後には売れ、その2日後にはクレジット会社から入金がある。一方、サプライヤー(仕入れ先の出版社や卸)への支払は53日後で、CCCがマイナス33日間、つまり財務会計(帳簿)上は「赤字」でも、会社から現金が出て行く速度よりも、入ってくる速度が上回っている。このようなCCCであれば、手元現金(実際に使えるお金)はふくれていく。そして現金がなくならないかぎり、会社はつぶれない。「現金が入ってくる量×速度」が「現金が出ていく量×速度」に追いつかれて資金が尽きる前に事業の黒字化を達成するか、新たに資金調達ができれば帳尻は合う。1990年代中盤から米国を中心にウェブサイトを運営する企業の株式が投機の対象となった「ドットコムバブル」は2000年春にはじけ、Amazonも株式市場からの資金調達がむずかしくなった。しかし赤字で株安のAmazonが耐えられたのは、このマイナスのCCCの構造があった上で、徹底してコストを切りつめたからだ。2001年第4四半期決算でAmazonは黒字転換して株式市場からの評価を急上昇させ資金調達を果たし、積極的な投資に打って出ていく。
対して日本のほかの書店では同様のCCC実現は困難で、小規模な書店業者は株式や銀行からの資金調達はできず、日本市場に上場している大規模書店や取次がバブル崩壊後の市況で「ドットコム企業」扱いを受けてAmazon並みの資金調達をするのは不可能だった。
それって、いわゆる「自転車操業」なのでは……と驚いてしまったのですが、Amazonも初期はかなり大きな賭けをして「送料無料」を実現し、日本市場で決着をつけたことがわかります。
ただでさえ「薄利」なのに、「送料無料」なんてありえない。
「ありえないこと」を実現してみせたからこそ、Amazonは「勝った」のです。
買う側も、子どもの頃に通っていた「町の本屋さん」へのノスタルジーは持ち続けているけれど、みんながその感傷を大事にしてずっとそこで買っていれば、多くの書店はつぶれずに済んだのかもしれません。
過去の思い出はあっても、顧客は、「安いほう、早いほう、品ぞろえが良いほう」に流れてしまうのが現実だし、それがリアルな消費行動なのでしょう。
僕などは、最近はTSUTAYAの閑散としたレンタルコーナーを見ると「せつなくなる」ようになりました。
「なんとかがんばれよ、TSUTAYA」と本のコーナーの片隅で愛をさけんでいます(声には出しませんが)。
少し前まで、「町の本屋が潰れて、みんな同じような品揃えのTSUTAYAだけになりやがって!」と内心悪態をついていたというのに。










