琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】学歴狂の詩 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

あまりの面白さに一気読み!
受験生も、かつて受験生だった人も、
みんな読むべき異形の青春記。
――森見登美彦さん (京大卒小説家)

ものすごくキモくて、ありえないほど懐かしい。
――ベテランちさん (東大医学部YouTuber)


なぜ我々は〈学歴〉に囚われるのか?
京大卒エリートから転落した奇才が放つ、笑いと狂気の学歴ノンフィクション!

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がくれき-きょう【学歴狂】
〔名〕東大文一原理主義者、数学ブンブン丸、極限坊主、非リア王など、
偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち。
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僕が大学に入学した直後、各地からやってきた同級生たちが、僕の家に集まって、まだぎこちない雰囲気の飲み会をしたことがあったのです。
今となっては、「ぼっち」もひとつのライフスタイルとして認められつつある(というか、とくに構われず放置されている)のですが、時は1980年代の終わり。
バブル経済華やかなりし頃でみんなちょっと大学生活に浮かれていましたし、学生が少ない地方の国公立大学の医学部なので、「やっぱりなるべく仲良くしておかないとな……」と、たぶんみんな(僕も)思っていたのでしょう。

その中で、みんなの高校時代の学生生活や模試での成績の話になり、「そういえば、〇〇君、成績優秀者リストで名前見たことあった!」という人が出てきたのです。
家にあった予備校の模試の成績優秀者リスト(そんなのを保管していることそのものが「未練」ではあるのでしょうけど)を見て、「おっ、ここに名前が!」みたいな話で、けっこう大勢の人が盛り上がっていました。

僕もそれを保存しているくらいなので、自分の名前が載っていれば見るし嬉しいのは間違いないのですが、こうして地方の大学、しかもみんな同じ大学に入って、とりあえずゴールしてしまっているのに、高校時代の成績を比べることに意味ないだろ、どうせ俺たちはみんな「同じ大学」それも「国公立医学部の末端」のような大学なんだから、と、心のなかで「なんだかなあ」と思っていました。

申し添えておきますが、僕は自分の母校が大好きですし、良い大学だったと思います。天然ぼっちな僕がこうしてなんとか生きていられるのも大学時代の人間関係のおかげです。

ただ、僕のなかでは、大学受験の結果は「なんとか最低ライン」くらいで、「もうちょっと高校時代に頑張っていればよかったのかなあ」とも思っていました。
そもそも「医学部じゃなければ、もっと『有名な』大学に行けたかも」というのもありましたし。
僕は自分を「受験の負け組、少なくとも自分で自分に期待していたほどの成果を出せなかった人間」だと思っていたのです。
とはいえ、「惨敗」でもないし、周りはみんなけっこう喜んでくれている。
どれだけ自己評価が高い、傲慢な人間だったのか、って話なんですけどね。
山月記』で虎になった李徴が、僕の心の中にいた。
ただ、僕は李徴にもなりきれず、自分をうまくなだめすかして、なんとか生き延びてしまった。

模試の成績優秀者リストでワイワイやっている同級生をみて、話に相槌を打ちながら、僕は虚しさを感じていました。
受験のゴールがみんな同じ「所詮このくらいの場所」なんだから、もう、プロセスはどうだってよくないか?東大理3とかならともかく。

この『学歴狂の詩』、進学校・全寮制男子校出身で、トップグループには入れず、なんとか平均から少し上くらいの成績で、早くここを出たいなあ、と思いながら過ごしてきた僕には、すごく刺さりました。

進学校には、いるんですよ。
とんでもなく勉強するヤツとか、『大学への数学』を楽しそうに読む同級生とかが。
そして、「生徒を東大・京大・医学部に受からせるのが正義だと思っている先生」も。

ただ、この年齢になってあらためて考えてみると、そういう「受験・学歴至上主義」はイビツなものではあるけれど、甲子園に出るために野球ばっかりやっている高校生とかだって、「極端」で「過剰」であり、われわれは勉強の世界で甲子園を目指すしかなかった、というだけなんですよね。

著者の佐川恭一さんは、「田舎の神童」から名門進学校に行き、一浪して京都大学の文学部を卒業されています。
卒業後、一般企業に就職後、会社をやめて作家として身を立てておられるのです。
その佐川さんが、神童期から高校・大学時代に出会った「学歴狂」たちのことを書いたのがこの本なのですが、僕自身も「学歴厨」の端くれなので、「ああ、こんな感じの同級生、いたなあ!」なんて学生時代を思い出しながら読みました。

学歴狂は「勉強ばかりしていて、青春がなかった」わけじゃなくて、学歴狂なりの青春みたいなものがあったのです。
「青春」なんて、他者は美化しがちだけれど、スポーツでも勉強でも文科系でも、高い次元を目指すほど、当事者にとってはある種の「妄執に取りつかれている時期」でしかない。

進学校に来るヤツなんて、みんな地元では成績優秀者で、ちやほやされて中学や高校に入ってきて、そこでほとんどの人が「世の中には、もっとすごいやつがゴロゴロいる」ことに打ちのめされるものではあります(もちろん僕もそうでした)。


著者が、高校時代の同級生のなかで「唯一無二レベルの天才」と評する濱慎平さん(仮名)について、こんなふうに書いています。

 濱は数学でも大学受験レベルで使えるのかわからない独自の解法を編み出すので、ノートを見せてもらってもわからないことが多かった。一度、濱が黒板に書いた解法を数学教師がまったく理解できないことがあり、教師が「すまん濱、これ説明してくれるか」と頼み込んだことがある。濱本人の解説によってぼちぼちそれを理解できる生徒が現れ始め、私たちの間ではだんだん「なるほど」という空気が広がってったが、教師はなんと、その授業が終わる頃にもまだ理解できず、「もうダメだ、先生ほんとにわかんないぞ。もうみなさんの方が賢いのかもな……」と寂しそうにつぶやいて教室を出て行った。
 恐ろしいのは、濱本人は物理も数学も「どちらかというと苦手」という認識だったことである。濱が本当に得意なのは日本史と世界史だった。濱は重度の歴史オタクで、彼にとって歴史を勉強することは一般人がドラクエをやるレベルの息抜きだった。物理や数学をやって疲れると、日本史や世界史をやって「休む」のである。つまり、意図せずしてすべての活動時間を受験勉強にあてることができたのだ、濱は誰もが認める東大理3レベルの人間だったわけだが、本人は京大文学部で歴史を研究したいと言っていた。

 そうして高3になった頃、濱は受験勉強に飽きたような雰囲気を醸し出し始めた。私が鮮明に覚えているのは、生物の『リードα』という問題集を授業中に解いていた時のことだ。濱は猛スピードで問題を解きながら、心底うんざりしたといった様子で、「こんなんもう手の運動やん……」とつぶやいたのだ。濱と席が近かった私はそれを聞いて、「て、手の運動……」と思った。もはや濱にとって、大学受験において汗をかいて頭を働かせなければならない問題はなくなりつつあったのだ。私は戦慄し、他の友人らにこのことを伝えた。するとみんな感銘を受けて、「なるほどな、問題解くのが単なる手の運動になるぐらい全教科を身体になじませて、自動化せなアカンということや」と唸った。そして難問にぶつかった時、その言葉を思い出して勇気づけられもした。しかし4年間、あるいは中学からの7年間受験勉強だけに集中し続けた私の経験からすると、濱の領域は神域である。努力だけで達することは不可能な場所があることを、私は思い知らされた。


僕はこれを読んで、マンガ家・高橋留美子先生のこんな伝説を思い出しました。

fujipon.hatenablog.com


高橋留美子さんの担当編集者だった、有藤智文さんからみた「マンガ家・高橋留美子」さんの話。

 とにかく高橋先生は、本物のプロフェッショナル。四六時中マンガのことを考えながら、メジャーなフィールドで優れた作品を極めてスピーディーに作り上げる。マンガが本当に好きで一所懸命だから、『うる星』はアニメ版も盛り上がって、別のファン層も生まれていったんですけど、そちらのほうは基本的にノータッチでした。
 もちろん天才ですけど、それ以上に努力家なんですよね。もう、仕事を休むのが大嫌いな人で。この間、『1ポンドの福音』を単行本にまとめるために、『ヤングサンデー』で完結まで集中連載したんですけど、その時も『少年サンデー』の『犬夜叉』の週刊連載を休まなかった。『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)。


僕も「勉強の世界」「研究の世界」で、いろんな人をみてきましたが、「がんばってやっている人」は、「それをやるのが楽しくてやらずにいられない人」にはかなわないというか、「次元が違う」のです。

逆に「ものすごく努力していて、やっていることが間違っているようには見えないのに、その努力が成績に反映されない人」の話も出てきます。
著者は「努力のやり方が悪い」と一蹴するのではなく、「なぜなのかわからない」「才能とか、向き不向きというのはあるのだろう」と述べています。

アヤトリや昼寝が最大の価値を有する世界であれば、『ドラえもん』の野比のび太は不世出の天才なわけで、そういうのはもう「運」や「時代との相性」の領域なのかもしれません。
「やりたいこと」と「できること」が合致するのかどうかも。

著者は、書ける範囲で、これまで出会ってきた「受験狂」たちの「その後」についても紹介しています。著者は1985年生まれなので、最終結果が出たわけではないけれど、40歳くらいになれば、ある程度人生の方向性とか天井はみえてきますよね。

この本のなかでいちばん僕の印象に残ったのは『神戸大学志望を貫いた<足るを知る男>本田』という項でした。

著者の高校では、「東大!京大!医学部!」を目指すのが当然、というクラスの雰囲気のなか、同級生の本田さんは、ずっと「神戸大学志望」を貫いたそうです。
東大、京大は明らかに無理だろう、という成績の者でも、模試などの志望校では、ファイティングポーズを見せて、E判定とかを食らっていくなかで、本田さんはブレず、最上位ではないもののそれなりの努力でそれなりの成績を残して、見事に神戸大学に合格しました。
著者は、そんな足に地がついた、本田さんの生きざまに畏敬の念を持っていたそうです。

 だが、そんな本田と数年前に二人で話した時、本田は自分の人生を「つねに無目的に過ごしてきた」と悔いる様子を見せていた。いわく、「自分は若い頃本当に何かに本気になれたことがない。それが今でも心残りだ」というのである。私は本田の生き方は、あらゆる過剰さを嫌う本田流の、いわば筋の通ったものだと思っていたが、ここに来てその生き方に疑問を感じ始めたというのだ。佐川(著者)や他の友人が限界まで自分を追い込んでいた時に、自分はずっとほどほどでやってきた、本当になりたいものもやりたいこともなかった。だから親戚での集まりなどがある時には、甥っこたちにも「ちゃんと考えて生きていかんと、おじさんみたいになるぞ」と言って諭しているらしい。私はその話を聞いた時、やはりやるだけやったという経験が人生のどこかでは必要なのかもしれない、と自分を肯定したくなったのと同時に、外部に一切翻弄されない強い本田像が崩れる複雑な気持ちを感じてもいた。
 もちろん、本田が本当にそう思っていたかはわからない。本田は私を目の前にして、「お前は無理して京大なんか行くから人格が歪んだんちゃうか?」と言えてしまうタイプの人間ではないからである。本田は中学時代に出会った頃から一貫して変わらず、物腰のやわらかい人格者なのだ。


ああ、本田さん、あなたは僕ですか……と思わずにはいられませんでした。
安定、とか他者や世間からの評価、親の希望とかに影響されて、とくに自分で絶対にこれをやりたい、ということもなく、限界まで自分を追い込むこともなく、他者からみれば「それなりにうまくいっているように見える」人生を送ってきたけれど、本人にとっては「別にこれ、自分じゃなくても、もっとうまくやれる人がいるよな……」「自分に向いた仕事が他にあったんじゃないかな」という「なんか違う感じ」を抱き続けている。
でも、それなりの収入や社会的な評価を捨ててまで、新しいことをやる勇気も、やりたいこともない。
そうこうしているうちに、どんどん年を重ねてしまう。たぶん、もうそんなに遠くないうちに死ぬ。

その一方で、僕が本当にやりたいことをやっていたら、才能の無さや「それが本当はそこまで好きじゃないこと」に気づき、挫折していた可能性もあります(というか、その可能性が高かったと思います)。

結局、完璧な人生なんてないし、「もしもボックス」がない世界では、自分の選択を正解にするしかない、のかもしれません。
それが理屈ではわかっていても、僕はずっと自分を納得させられない。
たぶん、「限界まで努力することができない、というのが、その人の限界」なんですよね。そう、わかったようなことは言えるんだけど。

この文章を読んで、「学歴狂」たちの世界に懐かしさや興味を持ったのであれば、ぜひ、この本を読んでみてください。分厚くもないし、読みやすいし、滅法面白いです。そして、僕にとっては、懐かしくて、すごく切なかった。


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