
ルパン三世と仲間たちは、彼らに刺客を送り続けてきた黒幕の正体と隠された莫大な財宝を暴き出すため、世界地図に存在しない島を目指す。しかし島に近づいたとき、乗っていた飛行機が何者かに狙撃され、撃墜されてしまう。一行が不時着したその島は、朽ち果てた兵器や核ミサイルが山のように積まれ、かつて兵器として使われ捨てられた“ゴミ人間”たちが徘徊する、まるで世界の終わりのような場所だった。霧に覆われたその島には、24時間以内に死をもたらす毒が充満し、逃げ場はない。島を支配する謎の男ムオムは“不老不死”を掲げ、選別と排除によって世界の支配をもくろんでいた。銃も刀も通じない“死なない敵”を前に、ルパンは過去と誇り、そして盗人としての矜持を懸け、知略を尽くした戦いに挑む。
2025年映画館での鑑賞9作目。公開初週の日曜日の昼食どきの回でした。
行きつけの地方の郊外型の劇場やショッピングモールのシネコンとは違う、街の中心部のシネコンではありましたが、観客は100人くらいでかなりにぎわっていたのです。
公開館が比較的絞られているとはいえ、そして都会の映画館とはいえ、『ルパン三世の久しぶりの劇場用新作』というのは、けっこう期待されているし、根強いファンが多いのだな、と感じました。
事前にネットでこの『不死身の血族』の評判を確認したのですが、久しぶりの新作2Dルパン映画にもかかわらず、否定的な感想が多い印象でした。
ちなみに僕は、小池健監督の『LUPIN THE IIIRD』シリーズはほとんど観たことがありません。
とりあえず、今回の映画の前日譚で、Amazonプライムビデオ他で配信され、WOWWOWでも放映された『LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン』は最低限「予習」しておいたほうがいい、ということだったので、これは前日に鑑賞しました。
いちおう、この映画の冒頭にも「これまでの小池健監督の『LUPIN THE IIIRD』シリーズ」の概略は映像で紹介されるのですが、たしかに、『銭形と2人のルパン』くらいは観ておいたほうが、この作品に入り込みやすいと思います。
そこまでの流れを知らないと、「なぜルパンがこの島に来ることになったのか?」の経緯がよくわからないし、「こんな危ないところにわざわざ来る必要があったのか?」とか思ってしまいそうです。
いや、『銭形と2人のルパン』を観ていても、「偽ルパンって何なの?」という疑問は残りますし、なんかすっきりしない話ではあるんですけどね。
『銭形と2人のルパン』が54分くらい、この映画が90分ちょっとくらいですから、わざわざ配信サービスと映画に分けなくても、うまく編集して2時間くらいにまとめて1本の映画にするべきだったのでは、とも思います。
営業上の理由はいろいろあるのでしょうけど、わざわざ2本に分けて、しかも、前半は配信、後半は劇場用映画、なんて、下調べをせずに「久しぶりのアニメのルパンの新作だ!」と映画館に来た人たちをバカにしているのではないか、と言いたくなります。
この映画は、1978年に公開されたルパン映画の第1作『ルパンVS複製人間』と、小池監督がこれまで描いてきたハードボイルドな若き日のルパンと仲間たちの物語をつなぐ作品になっているのです。
この映画単体(あるいは、『銭形と2人のルパン』とのセット)で観ても、全然わからない、ということはないし、ハードボイルドアクション映画として、それなりには楽しめます。
とはいえ、いろんな「つながり」「伏線」的なものを詰め込んだために、この作品だけを観ると、なにか消化不良なんですよね。
『スター・ウォーズ』のエピソード4(最初に公開された作品)くらいの知名度がある作品ならともかく、何度もテレビ放映されているとはいえ、ルパン映画第2作の『カリオストロの城』に比べれば現在の知名度は低く、観たことがある人も少ないであろう、半世紀近く前に公開された映画とのつながりをみせられても、ピンとこないんですよ。
僕は『ルパンVS複製人間』を若い頃に何度か観ていますし、当時は、「2人のルパン」とか「いきなりルパンが処刑される」というのは斬新な設定ではあったのですが、2025年の感覚では『ルパンVS複製人間』は、「好事家しか顧みない古典」だし、わざわざそこにつなげなくても……というくらいの存在でしかありません。
監督としては、「テレビシリーズの『LUPIN THE IIIRD』から、ようやくここに繋げられた」のかもしれませんが、「テレビシリーズに配信に、今回の映画まで追いかけてきたのに、『本当の闘いはこれからだ!』みたいなオチってどうなの?」と思った人や、予備知識なしで「ルパンの新作」という理由でみて、「何このルパン一味がひたすらピンチになりつづけて、ルパンが名探偵コナンになって解決する話……」と置いてけぼりになった人が多かったのではなかろうか。
僕は年齢的にもこれまでのルパン三世シリーズの歴史を知っていますし、ネットでのこの映画の評判も知っていたので、「思っていたよりは、ずっと『観られる映画』だな」と、ハードルを下げたがゆえの好感もあったんですけどね。
それに、一ファンとして、こういうときに、映画を観て支えることで、今後もルパン三世シリーズが続いてほしい、とも思っています。
新作映画(あるいは配信作品)が作られ続けることが大事で、こうして打席に立ち続けられれば、またヒットを打つときがくるかもしれないし。
まあ、「推し活」みたいなものですよね、昔からのルパン三世を観てきた人間にとっては。
『ルパン三世』の映像作品に関しては『カリオストロの城』があまりにも名作であったがゆえに、原作者のモンキー・パンチさんが抱いていた「ルパン一味像」と、『カリオストロ』で「宮崎駿監督が、自分好みの監督作品を撮るために、ルパン三世のキャラクターを使った『未来少年コナン』的なルパン三世」のギャップが常に問題になってきました。
本来は『カリオストロ』のルパンのほうが「アナザーワールド」だったのに、あの映画が大傑作であったがゆえに、その後のルパン一味のキャラクター像は、『カリオストロ』に寄せられることになってしまった。
モンキー・パンチさんも「あれは宮崎駿監督のルパン三世」だと、どこかで仰っていた記憶があります。
その後のルパン三世の映画は、原作に近いハードボイルド路線では「こんなの(僕が知っている『カリオストロの城』の)『ルパン三世』じゃない!」と否定され、それならばと「優しくてコミカルな泥棒」のルパン三世を描くと「『カリオストロ』の劣化コピー、縮小再生産」と観客を落胆させてきたのです。
じゃあもう、どうすればいいんだ、って話ですよね。
作るほうも大変だろうと思います。
この作品への評価はひとまず置いて、小池健監督がここまでやり遂げたのは、本当にすごい。
キャラクターの絵が違うし、「とっつあ~ん」も「ふーじこちゃ~ん」もない。ルパン一味はずっと不気味な連中に押されっぱなしで、化学物質で次第に弱っているはずなのに、ぐったりしてもう五感も働かない……という状況から、何の説明もなく次のシーンではけっこう動けるようになっていて、「どうなってるの?」と腑に落ちない。
この映画を観ていて、痛感したのは「声優さんたちの力」でした。
「こんなのルパンじゃない!」と言いたくなるのですが、栗田寛一さん、大塚明夫さん、浪川大輔さん、沢城みゆきさん、山寺宏一さんのキャラクターボイスがあれば「でもやっぱりこれは『ルパン三世』だな」と思うし、彼らの新しい声が聴けるだけでも、この映画にはそれなりの価値がある(そのうち、山寺宏一さんがひとりで全部声をあてる『ルパン三世』とかになるかもしれませんけど)。
もしこの映画で、ハードボイルドな世界観への変化を強調するために、ルパンたちの声優を替えていたら、僕は思いつくかぎりの罵詈雑言を浴びせていました。
とはいえ、「新しさ」と「お約束の遵守」が同時に求められる『ルパン三世』の新作というのは、今後も製作者にとっては鬼門であり続けそうです。
これは「宮崎駿の呪い」というべきか。
でも、『カリオストロの城』がなかったら、ルパン三世のシリーズそのものが、もう終わっていたかもしれません。
とりあえず『ルパンVS複製人間』をもう一度観てみたくはなりました。
そんなに面白くはないし、不満点も多いけれど、今後のために、それなりにヒットしてほしい、というのは、僕のワガママなのはわかってはいるのですが。
これだけコンプライアンスに厳しくなった世の中では、これまでの『ルパン三世』をやりにくいところもあるだろうし。








