Kindle版もあります。
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あのジョージ・ソロスを大儲けさせた〝伝説のコンサル〟初の著書
ヘッジファンドが見すえる
中国の衰退、そして日本復活資産運用業界の〝黒子〟に徹してきた私が、なぜ初めて本を書くことにしたのか。
それは、日本の方々に伝えたいメッセージがあるからです。
ひとことで言えば、日本は今、数十年に一度のチャンスを迎えているということです。東西冷戦後の世界秩序を支えてきた「新自由主義」が崩壊し、勝者と敗者がひっくり返る〝ゲームチェンジ〞が起きているのだ――。マネーの奔流を30年近く見てきたコンサルタントによる初の著書。
「ヘッジファンド」「ジョージ・ソロスを大儲けさせた〝伝説のコンサル〟」「日本の復活」
この新書がAmazonの売上ランキングの上位になっているのをみて、僕は「ああ、また『日本すごい教』の狂信者向けの本が売れているのか……」と辟易したのです。
太平洋戦争後の、いわゆる「平和教育」を子どもの頃に受け、小林よしのりさんの『戦争論』に直撃され、「韓国や中国の『ヘイト本』のブームや西欧の移民問題、ソ連の崩壊、日本経済の「高度成長とバブル最盛期」から「失われた30年」を体験してきた僕は、結局のところ「右往左往したまま、半世紀くらい生きてしまった」ような気がします。
そういう党派性みたいなものをのらりくらりと避けながら生きられるのは、日本人だったから、なのかもしれませんが。
いきなり少し脱線してしまいましたが、この本、他国を貶めることによって、「日本はこんなにすごい」とかいう内容ではありません。
著者は、自らの仕事を「ヘッジファンドをはじめとするプロの資産運用者に助言をするコンサルタント」だと冒頭で説明しています。
その助言の内容も、学術論文のような世界各国(著者の場合は日本経済と政治が専門なので)の経済情勢とリスク要因の分析、そして今後の予測を金儲けのプロ相手に説明する、というもので、高額の報酬が得られるようです。
僕はこれを読み、「大きなお金を動かす専門家を相手にするコンサルタント」の凄みを感じ、僕が日頃よく目にしている「今なら無料!」とYouTubeで煽っている「投資必勝法、みたいなものをアピールしている人たちとはレベルが違うな」と思ったのです。
もちろん、情報は「ないよりあったほうがマシ」ではあるけれど、本当のお金持ちは、「選び抜かれた情報を、ちゃんとお金を出して買っている」し、その情報も「〇〇を買え!」みたいな短絡的なものではなくて、マクロな視点で世界情勢を分析し、それをもとに投資の方針を決めているのです。
著者は、日本では、性的マイノリティであったことも含め、「生きづらさ」を感じて、大手銀行をやめてアメリカで活動をしている人なので、「アメリカびいき」「アメリカからみた歴史観」であります。
とはいえ、「経済」という観点から、アメリカは第二次世界大戦後の覇権国家として、日本をどのような存在と考え、扱ってきたのかを「アメリカ側から」、あるいは「投資をする立場」からみていくというのは、すごく新鮮な気がしました。
著者の場合は、日本の企業で仕事をしていた経験もあり、日本社会もある程度理解したうえで、アメリカで長年仕事をされてきたので、最初から「新自由主義の子」ではなかった、というのも、この本の「伝わりやすさ」につながっていると思います。
今、私たちはアメリカにおけるトランプ現象、イギリスにおけるブレグジット、欧州における極右や自国中心主義の台頭、米中対立、ウクライナ戦争など、多くの混乱を目のあたりにしています。こうした激変は単発の事象がランダムに発生している結果なのでしょうか?
私はこれらの現象には共通の背景があると考えています。それは「新自由主義への反乱」です。
東西冷戦後の世界秩序を支えてきたのは、新自由主義的な世界観でした。本書で意味する新自由主義については第1章でより詳しく述べますが、端的に言うと、1930年代以降、世界システムの支配的な世界観となった「大きな政府」への挑戦として始まり、1991年のソ連崩壊を機に、新しく世界標準システムとして受け入れられるようになった「小さな政府」の価値観を指します。
政府の意思決定や役割を縮小し、市場原理、民間企業や各個人の意思、判断、選択をより重要視するものです。たとえば、各国政府の裁量が大きい通商政策の代わりに、ルールベースの貿易を促進するためにWTO(世界貿易機関)が作られたのは1995年です。それは新自由主義的な価値観を現実化するためのメカニズムでした。
また、新自由主義は、性別、人種、国籍など属性の異なる各個人が、市場を通じて、世界中から自由に参加するシステムを目指すので、より平等で民主的な世界を目指す価値観でもあります。マイノリティの尊厳、権利、機会の尊重も1990年代以降、急速に浸透しました。
ところが今、新自由主義に対し、世界各地で強烈な反発が巻き起こっています。新自由主義の世界観は信認を失い、既存システムが大きく揺らぎ、機能しなくなっているのです。それを理解すると、トランプ現象やブレグジットだけでなく、米中対立やウクライナ戦争を紡ぐ共通項が見えてきます。
そうした現象が病気の症状だとすれば、それを一つ一つ個別に追うよりも、病根を見つける方が的確な対処と効果的な選択が可能になります。その病根こそが、それまで世界の行動規範となってきた新自由主義的価値観の崩落なのです。
著者は、第2次世界大戦後のアメリカは、覇権国家、「カジノのオーナー」として、他国を有利なテーブルに座らせたり、勝てないルールを接待したりして、自らの地位を脅かされないようにしてきたと述べています。
アメリカとソ連との冷戦期には、ソ連の脅威に対抗するために、アメリカも社会保障や公的扶助を重視した「大きな政府」を志向し、ソ連への防波堤として日本を優遇したのです。
そして、ソ連の崩壊後、勝者として新自由主義「小さな政府」に向かったアメリカは、あまりに勝たせすぎた日本を抑える政策をとりました。
それに対して、「10人のうち1人をクビにして残りの者で生産性を上げていく」よりも、「みんなの給料を下げてでも、10人全員の雇用を守る道を選んだ」日本は、なかなか生産性を上げることができず、「失われた30年」と呼ばれる、世界の経済成長に取り残された時代を迎えたのです。
この時期の日本と韓国を比較すると、大きな政府時代(冷戦下)の貯金が大きかった日本は、みんなで少しずつ貧しくなることで耐えられたけれど、韓国は時代の変化に耐えられず、1997年12月3日には国際通貨基金 (IMF) からの資金支援を受けることになりました。そのことによって、韓国は「新自由主義への劇的な転換」を行わざるをえなくなったのです。
僕は日本経済成長が停滞していた時代にもどかしさは感じていたものの、弱者切り捨てよりも、雇用の安定や「それなりの生活」を選んだ日本の政策が、間違っているとも思えなかったのです。
それは、僕自身が日本のなかで、そんなに経済的に逼迫していない層にいたからなのかもしれませんが。
著者は、日本で大手銀行に勤務していた時の経験とともに、「日本人がイメージしている新自由主義」と「アメリカの実際の新自由主義」について、こんなふうに述べています。
バブル期の銀行のビジネスモデルが間違っていたことは多くの人が認めるでしょうが、私は銀行が「悪い」と言っているのではありません。私にとっては、個人の価値観の問題でした。1990年代後半になると金融危機が発生し、私の所属していた銀行も大変なことになります。その中で必死に戦った人生も一つの生き方ですし、自分にはできない凄いことだなと思います。ただ私はそれをしたくなかっただけです。
このポイントは新自由主義を理解する上で非常に重要です。新自由主義というと、冷たく自己責任として突き放すイメージを持つ方も多いかもしれません。特に私が生きてきた国際金融市場の世界はまさにその通りです。
しかし新自由主義が浸透した社会では、どの道を選択するにせよ、選択そのものの自由度が非常に高いのです。これは日本における自己責任論とは大きく異なる点です。日本の自己責任論の場合、社会による個人への同調圧力が高いことが特徴です。そして何かが上手くいかないと、「だから言ったでしょう、自己責任ですよ」と冷たく突き放します。
アメリカにおける個人の選択のイメージをザックリいうと、「あなたの好きなように生きてみなよ、どの道、社会が責任を取ってくれるもんじゃないし」となります。どの社会にも伝統的、宗教的な価値観に基づく同調圧力はあります。新自由主義は、そうした個人への「介入」を含めて自由選択を尊重する世界観です。
私が大手都銀を辞めて単身留学するという選択をした時、それはかなり難しく、リスクの高いものでした。渡米を相談した私の友人がそのことを母親に話した時、こう言われたそうです。「あんた騙されているのよ。斎藤君が銀行辞めるわけないじゃない」、と。
弱肉強食、格差社会、自己責任……
「新自由主義」に、僕はすぐにこんな四字熟語を頭に思い浮かべてしまいます。
「困っている人」を政府が助けない、決められた枠からはみ出す者を「自己責任」と突き放す社会。
でも、それは日本人の解釈で、アメリカでは「もともと、社会保障や世間なんてアテにできないんだから、周りに流されずに、自分の好きなように生きていい」という「救済と他者の肯定」の思想でもあるのです。
とはいえ、アメリカでも近年はあまりの格差の広がりに学生たちが社会主義に魅力を感じ、行き過ぎた格差への疑問も噴出しています。
ソ連の崩壊をみて、経済成長を味わったら、民主主義の国に変わっていくだろう、という中国への希望的観測は、外れているどころか、中国は新たな覇権国家として、アメリカへの挑戦の意思を示しています(中国の現在とこれからには急速な高齢化など大きな問題があり、アメリカのアナリストには今後の中国経済について、あるいは投資先として悲観的にみている人が多いそうですが)。
ここで一つ、アメリカの人材コンサルティング業界で有名なアネクドート(小話)をご紹介します。CEOとCIOの会話という設定で、CEOがまずこう切り出します。
「うちの会社でも社員のリスキリングをやっていかないと、新しいビジネスの流れについていけなくなるぞ」
これにCIOが問い返します。
「でも、会社でお金をかけて知識や技術をつけさせた後、他社に引き抜かれたらどうするのですか?」
CEOの返答はこうです。
「新しい時代に対応できない社員がこのまま居座り続ける方がもっと大問題だろう」
これが、まさに金融危機以降の日本企業です。名目GDP成長率が6%程度で成長することを前提にしたキャッシュフローを勘案して賃金を設定した社員は、名目GDP成長がゼロ程度になれば、不良資産、つまりゾンビ社員と化します。それでも日本企業は社会の求めに応じ、ゾンビ社員を雇用し続けたのです。
しかし30年の時を経て、企業を圧迫してきた大きな重しが外れ始めています。新自由主義の賞賛する大胆で迅速な企業判断とは真逆のアプローチですが、30年が経過し、ゾンビ社員のほとんどは退職し、企業はようやく身軽になったのです。
「失われた30年」とは、ゾンビ社員が退職するまで待った30年だと換言できます。そしてそこまで待ったことで、次のチャートが示すように、日本は絶対的な人手不足時代に突入しています。
著者は、日本のサービス業は「過剰なおもてなし」で生産性が低かったけれど、だからこそ、今後の人手不足時代には、効率化やITの導入などで、大きく生産性が向上する余地がある、とも述べています。
新自由主義のもと、すでに効率化を突き詰めてきた他国に比べて、雇用を守ることを優先し、その分、みんなで停滞を受け入れてきたのが日本という国でした。
それが、30年という時間の経過で、「世代交代」「雇用を守ってほしいという社会からの求めに応えるために、雇われ続けてきた生産性を下げるベテランたちの退場」が起こり、大きな転換点を迎えようとしているのです。
ひとつの会社で勤め上げるのが当たり前、の時代に入社した、60代、50代に比べると、いまの20代は「キャリアアップのために、あるいは、働きやすさを求めて転職するのが常識」になっています。
もう、時計の針が、戻ることはない。
読んでいると、「なるほど、世界の経済を経時的に広い視野でみている人は、こんなふうに考えているのか」と、僕もドバイのブルジュ・ハリファの展望台に一緒に入れてもらったような気分になりました。
こういう知見を、どのように現実の投資に落とし込むか、というのが、投資家の仕事なのでしょう。
それと同時に、いまの僕に見えている世界は「大企業の若者の賃金はすごく上がっているというニュースは目にするけれど、目の前にあるのは値上がりし続けるモノやサービス、そして、上がらない自分の給料だけ、であることに悲しくなります。
マクロでの日本経済が良くなっても、それが自分の幸せにつながらなかったら、周りが浮かれている分、かえってつらく感じるかもしれないなあ。










