Kindle版もあります。
累計2700万本超『ぷよぷよ』、累計120万部超『はぁって言うゲーム』日本ボードゲーム大賞2024・投票部門大賞『あいうえバトル』……。 「面白さ」で日本中を動かしてきたゲーム作家が、初めて語りつくす「頭の中×全人生」。
「いいアイデアが出ない」で諦めていませんか?
創作は、「アイデア一発」で生まれない。1000の駄案を抱え、捨てずに育てていく。
誰かに褒められたかった。ちょっと寂しかった。演技が下手すぎた。
そんな“くだらない感情”から、名作は生まれる。
僕は作家やゲームデザイナー、コピーライターなどの「創造する仕事」をしている人が書いた本を読むのが好きです。
自分自身が、あまり創造性を求められない仕事(というか、「僕が思いついた最高の治療」みたいなのを勝手にやったら責任を問われますよね)を普段やっているので、「なにかを創ること」「みんなを楽しませる仕事」への憧れをずっと持っています。
この米光一成さんの『ゲーム作家の全思考』を読んでいて、以前読んだ有名なコピーライターの本を思い出しました。
この本のなかに、こんな言葉があるのです。
そして、この節の最後に、ひとつだけ言わせてください。これは人から聞いた言葉なのですが、とても好きな言葉なので紹介します。
最後には、たくさん書いた人が勝つ。
いわゆる「クリエイティブな仕事」って、天才的な一瞬のひらめきとか、すぐに「正解」を見つけ出す能力が求められると僕はずっと思っていました。
ところが、実際に「創造性」が求められる業界で活躍している人たちの話を読んでみると、ほとんどの人が「手数」「ひとつひとつの質にこだわるよりも、アイデアをとにかく多く、いろんな角度から出していくこと」の重要性を指摘しているのです。
この本の著者の米光一成さんは、こう仰っています。
ゲームづくりの講座でときどき言うのは「1000個考えて、そのうち100個メモして、そのうち10個を実際につくってみて、最終的に1個が残る」。
これ、1000個考えてって言うと「1000個」を「たくさん」の意味だと思われる。でも、ほんとうに1000個、いやそれ以上考えている。と言うと、また信じてもらえないというか、そんなにたくさんどうやって、という反応が多く、実感として受け止めてもらえない。
これには、実は抜け道がある。それは、「いいアイデア」を求めないということだ。
アイデアというと、「いいアイデア」のことだと思ってしまう人が多い。だから、1000個も考えるのは「膨大」だと思ってしまう。だが、ぼくは「いいアイデア」を求めてない。むしろ「ダメなアイデア」のほうがいい。「くだらないアイデア」のほうがいい。
だから、アイデアというよりも、妄想とか夢想とか、そう名付けたほうがいいかもしれない。いや、むしろ駄案だ。駄案こそが、ぼくにとって大切なものだ。いいアイデアは無理でも、妄想のひとつやふたつ、誰もが、いつも脳内に浮かんでいるのではないか。
「1000個考えて」と言うと、「そんなにたくさんのアイデアから、何をつくるかどうやって選ぶんですか? 基準は?」と聞かれる。選ばない。基準などない。アイデアにボツはない。そもそも、アイデアは、ボツにするかしないかというようなものではない。アイデアを孤立単独の存在だと思っていないからだ。
アイデアは、森のように存在する。
「森のように」って、いったいどういうこと?
そんな疑問を持った人は、ぜひ、この本を手にとってみていただきたいと思います。
そういえば、コラムニストの小田嶋隆さんも、著書のなかでこんな話をされていました。
アイディアの場合は、もっと極端だ。
ネタは、出し続けることで生まれる。
ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。
三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。
三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。
つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。
ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。
最新の家庭用ゲーム機にも移植されつづけている『ぷよぷよ』から、ボードゲームのベストセラー『はぁって言うゲーム』まで、「ゲーム」というものをつくりつづけている米光さん。
米光さんは、ハード性能の進化に沿ってグラフィックやサウンドを豪華にし、ボリュームを増やしたゲームではなく、「対人コミュニケーション」を円滑にするボードゲーム制作に惹かれていったのです。
僕も子どもの頃はボードゲーム大好きだったのですが、最近は「時間がない」「一緒にやる相手がいない」ということで、すっかりボードゲームには疎遠になってしまいましたが、機会があったらやってみたい、とはずっと思っているのです。
米光さんは、自らの経験に基づき、ゲーム制作の要点について、印象に残る言葉を書いておられます。
「ゲームなんてアイデア一発で、それがあればあとはきっとつくれるでしょう」と思っている人がたまにいる。ゲームなんていいかげんにつくって、いいかげんに出しているだろうと思ってるようなのだ。ナメているのである。
(中略)
そのなかで一番困るのは、終盤のブラッシュアップの期間を想定してくれない場合である。プロトタイプをつくったら、もうすぐ製造して商品が出せると思っている。そうではない。プロトタイプを遊んでみて、そこからブラッシュアップしていくことで、ゲームの面白さが伝わるようになる。遊びやすく、楽しくなる。にもかかわらず、「これでいいでしょ」と判断する。
たとえば、プロトタイプで遊んでいるときに、ある人が、ルールを勘違いしてこういう行動を取ったのでここを直そう」と提案すると、「いや、あの人以外は勘違いしなかったのだからいいでしょう。それにあの人も説明すればすぐ分かったんだから」と返ってくる。だが、実際に商品化したときには、そうやって勘違いを訂正してくれる「制作者」は遊びの場にいない。
だから、可能な限り勘違いが生じないようにブラッシュアップして、遊びやすくするのだ。それを理解してくれない相手だと、たとえば「前半、盛り上がりが少なかったので改善しましょう」と提案すると「最初はしょうがないでしょう。その後すぐに盛り上がったんだからいいでしょう」と返ってくる。だが前半で盛り上がらずに遊ぶのをやめてしまうかもしれない。そうなるといくら後半がおもしろいとしても、それは遊ばれないかもしれないのだ。
遊ぶ側の都合ではなく、つくる側の都合を優先して「こんなもんでいいだろ」と商品化してしまう。そして、おもしろさに欠けるゲームを出して、「ゲームってそんなに楽しくないな」と思わせる一因になってしまう。
ゲームに対する愛がないというか、遊び人のことを考えていない。売れる商品としか考えていない。いやいや、つまらないものは売れない。大ヒットするゲームをつくるコツは知らないが、すくなくともおもしろいゲームじゃないと大ヒットしない。
コンテンツ(ゲームや小説、ブログなど)をつくる側は、どうしても自己採点が甘くなりがちです。
自分はこんなに苦労してつくったんだから、最初はつまらなくてもどうしても必要な説明の段階で、あとで面白くなってくるから、「こんなにグラフィックが綺麗なんだから、とか、ロード時間が少しくらい長くても我慢してくれるよね」とか。
実際、遊ぶ側は「制作者の苦労に思いを馳せ、敵に遭うたびに何秒も待たされてもストレスを感じない」なんてことはありえません。自分の身内がつくったゲームだったら、我慢するかもしれませんが(本当は、身内ならなおさら、「このロード時間は気になる」って言うべきなのか)。
「ブラッシュアップ」「ゲームバランスの調整」「説明不足やわかりにくさの解消」って、ものすごく重要なポイントなのだけれど、コストもかかるし、「できたんだったら、早く世に出したい」と考える人は多いのです。
本当は「そこから」がすごく大事なのに。
僕もこれまで、「アイデアは良いし、すごく面白くなりそうなのに、なんかもったいないなあ」というコンテンツをたくさん体験してきました。
もちろん、なんでもかんでも磨けば珠になるわけではなく、石はどんなに磨いても石、ということも少なからずありますけど。
米光さんは、『テトリス』に衝撃を受け、遊びながら思いついたことをメモしていったそうです。
『テトリス』、すごい。よくできている。スキがない。『テトリス』に続くゲームを作ろうとすると、『テトリス』に近づいていく。『テトリス』になってしまう。
じゃあ、どうすればいい。
プレイヤーが操作するのは、器用にアニメーションするキャラクターではなく、味もそっけもない硬いブロックだ。まっすぐ一直線にならべば消える。幾何学的なおもしろさ。そういった硬質なイメージ、ソリッドさが『テトリス』の魅力だ。
そのソリッドさに衝撃を受け、大好きになったのだ。
だからこそ、「ソリッド」を捨てるべきだ。
背筋に電流が走った(ように感じた)。
『テトリス』の一番重要な「ソリッド」を反転させることで、『テトリス』の二番煎じから脱出できる。ソリッドを反転させてソフトにしよう。やわらかな落ちゲーをつくろうと考えた。
A4に書いていたキーワード群の意図が、オセロの後半戦のようにバタバタと反転する。そう決断したときに、脳裏にあるキャラクターが浮かび上がっていた。
相手のいちばんの長所を分析して、あえてその反対を目指す。
こうして生まれたのが『ぷよぷよ』だったのです。
現在(2025年)では、この2つのゲームが『ぷよぷよテトリス2』として、同じパッケージに収録され、『テトリス』と『ぷよぷよ』で対戦もできるようになっています。
最近大流行した『スイカゲーム』は「ブロックの大きさが違う落ちゲー」というのがブレイクスルーだったのかもしれません。
「誰でも思いつきそうなこと」は、「発想の技術」を持っていないと、なかなか思いつかないし、それをうまく形にもできないのです。
「ものをつくる人」、「他者にサービスをする仕事をしている人」には、アイデアの生み出し方から、それを形にするため、他者にスムースに受け取ってもらうまでの方法が、シンプルに、わかりやすく書かれています。
シンプルすぎて「具体的にはどうすればいいんだ」みたいなことも言いたくなってしまうのですが、「すぐに役に立つわけではないけれど、今後の物の見かた、考え方に影響を与えてくれる本だと思います。











