琥珀色の戯言

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【読書感想】続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

 アジア・太平洋戦争で約230万人の軍人・軍属を喪った日本。死者の6割は戦闘ではなく戦病死による。この大量死の背景には、無理ある軍拡、「正面装備」以外の軽視、下位兵士に犠牲を強いる構造、兵士たちの生活・衣食住の無視があった。
 進まない機械化、パン食をめぐる精神論、先進的と言われた海軍の住環境無視……全面戦争に拡大する日中戦争以降、それらは露呈していく。
 本書は帝国陸海軍の歴史を追い、兵士たちの体験を通し、日本軍の本質を描く。


 太平洋戦争の実態を検証し、「日本軍」のイメージと実態の乖離を新書で広い範囲の人に伝えた『日本軍兵士』の続編です。

fujipon.hatenadiary.com

 アジア・太平洋戦争でのアメリカ軍の戦死者数は9万2000人から10万人とされているそうです。
 日本人の310万人の戦没者の大部分は、サイパン島陥落(1944年7月)後の絶望的抗戦期の死没者だと前著『日本軍兵士』で著者は指摘しています。


『日本軍兵士』には、このように書かれていました。

 岩手県は年次別の陸海軍の戦死者数を公表している唯一の県である(ただし月別の戦死者数は不明)。岩手県編『援護の記録』から、1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを割り出してみると87.6%という数字が得られる。この数字を軍人・軍属の総戦没者数230万人に当てはめてみると、1944年1月1日以降の戦没者は約201万人になる。民間人の戦没者数約80万人の大部分は戦局の推移をみれば絶望的抗戦期のものである。これを加算すると1944年以降の軍人・軍属、一般民間人の戦没者数は281万人であり、全戦没者のなかで1944年以降の戦没者が占める割合は実に91%に達する。日本政府、軍部、そして昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされたのである。


「あの戦争(太平洋戦争)で日本の帝国主義精神主義は連合国(主にアメリカ)の経済力に負けた。負けたのだから、戦死者が出るのは致し方ない、彼らは「日本のために」犠牲になったのだ」

戦争をやれば、戦死者は出ますし、大きな戦争になれば、それが増えるのは当然です。
しかしながら、太平洋戦争で命を落とした日本人は戦う前に飢えや病気で命を落としています。
勝ち目がない状況で戦争を長引かせたため、たくさんの民間人が犠牲になりました。
当時の人たちだって、本当に竹槍でB29を落とせると思ってはいなかったはずです。


diamond.jp


2025年7月20日の夜、石破茂首相が参議院選挙後のラジオで「大戦の日本軍死者の6割が病死や餓死」と言及したことが話題になっていました。

mainichi.jp


石破首相も、この『日本軍兵士』を読んだのかもしれませんね。
この『続・日本軍兵士』は、前著の『日本軍兵士』(2018年)から7年をかけて上梓されました。
著者は、かなり苦労して集めた当時の客観的・統計的なデータと関係者の証言をすりあわせて、「あの戦争」で、どのように日本軍と日本国民が消耗し、追い詰められていったのかを記録しているのです。

書店で見かけたときには「前著が売れて話題になったから、二番煎じの続刊を出したんだな」と思ったのですが、前著からさらに詳細な当時のデータが集められていて圧倒されました。

ただ、前著の『日本軍兵士』に「著者がいちばん伝えたかったこと」は凝縮されているようにも感じました。
前著が太平洋戦争時の日本軍兵士についての教科書とするならば、この『続・日本軍兵士』は「資料集」のような位置づけなのかな、と。


この本では、明治以降の帝国陸海軍の歴史と兵士たちの装備や食事、疾病対策などが紹介されています。

日本軍に対する僕のイメージは、乏しい食料で飢えに苦しんでいるのに、補給もままならず、すべて精神論で解決しようとするブラック企業みたいな組織なのです。


しかしながら、そんな状況になったのは太平洋戦争の後半、劣勢になってからのことでした。

 戦地での兵食については、公式の記録がある。
 陸軍省満州事変陸軍衛生史』第三巻(1936年)によれば、関東軍満州に展開している陸軍部隊)の兵食は、兵士一日一人あたり、主食2837カロリー、副食1337カロリー、合計4174カロリーである。
 ただし、炭水化物は主食・副食合わせて2990カロリーであり、全体の72%が炭水化物である。ビタミンについては、同書は、脚気、夜盲症、壊血病などの発生がきわめて少数か絶無であったことから考察すれば、兵食には「相当量の各種ヴィタミンを含有しありたるものと認む」としている。先述したように、国民一人一日あたりの熱量の摂取量は、1931年から35年の平均で2058カロリーだから、満州事変期の戦地での兵食は、非常に充実していたことになる。


少なくとも、満州事変期の日本軍の兵士は、運動量に応じたカロリーの食事が提供され、脚気などの病気の予防についても配慮されていました。

ところが、日中戦争がはじまり、戦線の拡大と経済的な疲弊と人的資源の枯渇で、補給がままならなくなり、日本軍兵士の食糧事情は悲惨なものになっていきます。

日本軍が「米」を主食としていたことのデメリットとして、「戦地で米を炊くのはパン食よりも時間がかかる」ことも指摘されていました。
日本軍では、飯ごうで米を炊くのに、平均して40分くらい時間がかかっていたそうです。
疲労している兵士たちには、食事の準備の時間が大きな負担になっていました。あと40分長く眠れれば、とみんな思っていたのだろうなあ。


そして、戦局の悪化にともなって、日本の食糧事情は急激に悪化していくのです。
資料によると、日本の国民一人あたりの熱量供給量は、1937年が2115カロリー、1942年が1971カロリー、1945年が1793カロリーと減っていき、敗戦後の1946年は1449カロリーにまで低下しています。

 軍隊における給養については、データが非常に乏しいが、敗戦後の1945年9月に陸軍省医務局がGHQに提出した報告書、「日本武装軍の健康に関する報告」が参考になる。
 この報告書によれば、兵士一人に対する一日の給養は、内地部隊の場合、一人一日3400カロリーを標準としていたが、戦局の悪化と共に国内の食糧事情が逼迫したため、1944年9月以降、合計2900カロリーに減じられ、それも、「実際給養熱量」は、2800カロリーを平均値として、地域によって500カロリー程度の差異を示したという(「アジア・太平洋戦争の戦場と兵士」)。
 残されている通牒から見ると、1944年5月に陸軍次官は、「食糧等の節用に関する件」を通知している。これによれば、内地、朝鮮、台湾、満州にある陸軍部隊の一人一日あたりの主食の定量は、精米に代えて玄米540グラム、精麦165グラム、合計705グラムであり、この定量の1割を雑穀または藷類(さつまいもなど)をもって「代用するを本則とす」と定められている。
 1942年の定量は、精米600グラム、精麦186グラム、合計786グラムだから、81グラムの減額である。ただし、右の「日本武装軍の健康に関する報告」が「実際給養熱量」に言及しているように、定量通りの支給が行われたかどうか疑わしい。また、雑穀や藷による代用は、米食に強い憧れを持つ兵士に大きなショックを与えたことだろう。

 さらに、米軍によって制空権、制海権を完全に掌握され、補給が途絶して戦線の後方に取り残された島々では、守備隊の飢えが深刻なものとなった。
 マーシャル諸島。ウオッゼ島の海軍守備隊では、当初の食糧の規定量は一日米720グラム(4.8合)だった。それが、1944年3月から3割減食となり、45年2月からは一日わずか70グラム(0.5合)となる。その結果、栄養失調による死者が続出した。ただし、1945年1月頃から准士官以上の幹部には、ひそかに乾パンの特配が始まっている(『ウオッゼ島籠城六百日』)。ここでも「犠牲の不平等」がある。


著者は、アメリカ軍の状況についても紹介しています。

 第二次世界大戦中のアメリカ軍兵士の一人一日当りのカロリー摂取量は、軍事基地で4300カロリー、前線で4758カロリーだった。「食糧の観点から見ると、アメリカの軍隊にはどの軍隊も太刀打ちできなかった。(中略)彼らの食糧は「贅沢なほどたっぷり」だった」(『戦争と飢餓』)。
 給養の面で重要なのは、1941年から米軍が導入した個人戦闘糧食(Cレーション)である。後方から十分な食事を提供できない場合に一人ひとりの兵士に支給されるいわば非常食である。肉と豆の煮込みなどの主食の他、チーズ、クラッカー、デザート、インスタントコーヒー、煙草などがセットになっていた。兵士にはあまり人気がなかったようだが、個人戦闘糧食としては乾パンくらいしか携行していない日本軍から見れば、あまりに贅沢な糧食だった。


著者は、戦局の悪化にともなって、体格や精神状態など、かつては「非適格」だった人たちまでも徴兵されるようになり、ほとんど訓練も受けずに戦地に送られ、「戦死」ではなく、「病死」「餓死」していった兵士の増加や、絶望的な状況のなかで抗戦したことによる民間人の犠牲も容赦なく紹介しています。

一日米0.5合の日本軍とCレーションが「不評」だったアメリカ軍。
これはもう、戦う前から勝負はついていたし、少しでも早く現実を受け入れて降伏すれば、戦争終盤の大きな犠牲は避けられた可能性が高いのです。
これはもう、現地の軍隊ではなく、国の政治の責任としか言いようがありません。当時は「軍部=政府」だったのかもしれませんし、降伏したら奴隷のようにされる、ひどい復讐をされる、と思っていたのだろうか……
当時の人々の感情を、2025年の僕が類推するのは難しい。

平和な時代を生きていると、「戦争」というものを『信長の野望』のプレイヤーのような立場で考えてしまうけれど、本当に戦争がはじまれば、ほとんどの人は、ガンダムに「じゃまだ!」と蹴っ飛ばされて爆発する弱小モビルスーツパイロットにしかなれないのです。いや、モビルスーツに乗っている時点で、かなりの上級兵なんですよね。

国にとって戦争というのは「国際紛争を解決するための一つの手段」でしかないけれど、現代の戦争で勝敗を決めるのはその国の「国力」「経済力」であって、吉田沙保里さんだって、ロケットランチャーにはかなわない。
アメリカとか中国のような「大国」とは戦争になった時点で負け、という前提で立ち回るべきなのでしょう。
そうなると「抑止力として核兵器があれば……」みたいな話も出てきて、結局のところ、異星人でも攻めてこなければ、国どうしの争いの火種は尽きそうにありません。
ウクライナ核兵器があれば、ロシアは侵攻しなかったのではないか?
そう考えてしまうのも、大国の圧力に怯える側としては、理解できるのです。

「戦争は極力すべきではないし、少なくとも一市民には良いことは何もない」
そんなことはみんなわかっているはずなのに、戦争は無くならない。
理念だけではなくて、「戦争をするというのは、どういう状況に置かれることか」を想像するために、貴重で、かつ、読みやすい新書だと思います。
悲惨な描写は、その悲惨さがドラマチックに見えてしまうことがあるけれど、数字やデータは、容赦なく「現実」を突き付けてくれるから。


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