琥珀色の戯言

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【読書感想】炎上系ユーチューバー 過激動画が生み出すカネと信者 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

注目は正義だ!

配信する者と見る者がおりなす歪んだ共犯関係とは?

SNS社会の闇に迫る渾身のルポ

過激な動画を配信し再生回数を稼ぐ炎上系ユーチューバー。

なかでも賛否両論激しいのが、市民の犯罪行為を配信して糾弾する「世直し系」「私人逮捕系」だ。

その横顔を取材すると、何も持たない「ただの人」が、信者とも言うべき熱狂的なファンを獲得し、そこに「カネ」までついてくるアテンション・エコノミーの実態が浮かび上がる。
彼らが掲げる「正義」とは何なのか? 配信者と視聴者との共犯関係とは?

炎上や、デマ・誹謗中傷への加担という闇に誰もが陥る危険性を持つ、薄氷のデジタル社会に問題提起する渾身のルポ。


「炎上系ユーチューバー」か……
「ガーシー」こと東谷義和氏や、へずまりゅう氏など、他者のスキャンダルを暴露したり、迷惑行為で視聴者の興味を引いたり、「私人逮捕」と称して、痴漢や飲酒運転をやっている人やその「逮捕」の顛末を動画で公開したり……あまり「好感度」が高い存在ではないですよね、たぶん。

しかしながら、彼らの動画のなかには、かなりの再生数を稼いでいるものも少なくないですし、そこから多額の収益が発生しているはずです。
「観るだけで不快」だという人ばかりなら、再生されることもないでしょう。
彼らの行為を賞賛する「信者」だけではなく、「なんとなく観てしまっている」「好きじゃないはずなんだけど、ついつい再生してしまう」という人もかなりいると思われます。

 デジタル化によってあらゆる物事が数字で可視化されるようになった現在、コンテンツの「再生回数」「拡散された回数」「インプレッション(表示回数)」「コメント数」などは明確な基準として金銭的価値を持つようになっている。この現象は「アテンション・エコノミー」と呼ばれる。詳しくは本文で記すが、簡単に言えば正しく有益な情報よりも、人々の注目を集める情報のほうが価値がある、という経済理論のこと。デマであっても、悪質であっても、薄っぺらであっても、たくさんの人々に見てもらえれば勝ち、というわけだ。
 この状況を利用して、知名度や利益につなげようとする人が続々と現れている。代表的なのが、「炎上系」と呼ばれるユーチューバーだ。その名の通り、炎上も厭わない過激な動画を投稿し、批判されつつも再生回数を稼ぐというスタイルで、「悪名は無名に勝る」ということわざをまさに実践している。
 その元祖と言えば、ユーチューバーのシバター氏だろう。今でこそ時事ネタに物申す動画が中心だが、2013年に同氏は意図的に大炎上を巻き起こした。動画内で、国民的ユーチューバー・ヒカキン氏の著書をこき下ろした挙句、手にした本に火をつけたのだ。当然、シバター氏は大炎上。実は著書を燃やすことを、事前にヒカキン氏に許可を取っていたと後にシバター氏は明かしているのだが、そんなことなど知らない視聴者たちは大騒ぎに、ヒカキン氏とシバター氏のファンやアンチが入り乱れて、シバター氏の狙い通りバズることになった。
 ユーチューバーのへずまりゅう氏も、炎上系として真っ先に名が挙がるひとりだ。同氏はアポなしで有名ユーチューバーに突撃し、「メントスコーラお願いします!」などと強引にコラボを迫るスタイルで、再生回数や知名度を獲得していった。その後、配信中にスーパーで会計前の魚を食べる、洋服店にぼったくりだと言いがかりをつけて突撃する、などの行為により逮捕された。

このシバターVSヒカキンの話が2013年、いまから12年前なんですね。
いま、同じような動画をシバター氏が公開したら、当時のような「狙い通りの炎上」ができるかどうか。
「どうせ再生数稼ぎの炎上狙いだろ」とか「有名ユーチューバーどうしだし、裏で話はついているはず」と舞台裏を想像し、そんなに燃えないような気がします。
視聴者側も、「行儀が良い、ためになる動画」にはなかなか興味が向かないけれど、「炎上系」も見慣れてしまっているのです。
YouTubeの「ドッキリ企画」的なものも、「どうせ台本通りなんだろうな」と考えてしまいます。
「炎上狙い」が透けてみえると、視聴者側は、しらけてしまう。

だからこそ、週刊誌の芸能人や政治家のスキャンダル、あるいは、Xなどでの不用意な一般人の投稿は、現在でも「炎上につながりやすい」のかもしれません。
人気芸能人が、注目を集めるために不倫をする、なんてことはまずありえないから、相手の「素の狼狽」を見ることができるので。

アテンションエコノミー」に関しては、最近はじまったことではないし、「炎上系ユーチューバー」に限った話でもないのです。

fujipon.hatenadiary.com


これは2017年、いまから8年前に書かれた本なのです。
当時のヤフーニュースでは、ネットメディアのトップランナーとしての社会的な役割を踏まえて、PV稼ぎだけに偏らないように、重要と思われる海外情勢などもトップページに掲載していたそうです。
ユーザーの反応は芸能ゴシップや「ネコ」に比べるといまひとつで、「ヤフーニュースでは、コソボは独立しなかった」と言われていたのだとか。

週刊文春の芸能人スキャンダルも、「炎上系」です(ものすごく手間がかかり、事実関係の検証もされているとしても)。
ネットニュースによくある「テレビでの芸能人の発言を切り取っただけの記事」の手抜き感にはがっかりしてしまいます。

それでも、あの「人気芸能人がこう言った、という記事」は、メディア側にとっては、少ないコストで多数のPV(ページビュー)を稼ぐことができる、「優良コンテンツ」なので、やめられない。そういうので稼いでいるから、「ちゃんとした取材をしている、社会的に重要だけれど、あまり見てもらえない記事」をつくることができる、という現実もあるのです。

結局は、そういう「炎上系」が人気になってしまうという、観る側の好みや受け入れる姿勢が根っこに存在しています。
逆に、観てもらえない「良質の記事」に、存在意義はあるのか?

僕自身は、炎上系ユーチューバーの動画はほとんど観ないのですが、この本では「炎上系ユーチューバー」のなかでも、「回転寿司店で醤油の容器を舐める」とか「コンビニの冷凍ケースに身体ごと入る」とか「道を歩いている関係ない人に悪戯をしかける」というような「迷惑系ユーチューバー」ではなく、「痴漢や飲酒運転などをユーチューバーが私人として取り締まる『私人逮捕』」を中心に、人気になっているユーチューバーへの直接取材も含めて書かれているのです。

「私人逮捕系」なんて、再生数稼ぎ、金稼ぎ、有名になるために「正義」を振りかざして下世話な興味を引く動画をつくっているだけの連中じゃないか、と僕は思っていたのです。
そもそも、「世直し」したければ、動画にして、収益を得る必要ないし、素人がやることで、えん罪やけが人が出るリスクが高まるだろう、と。

でも、取材を受けている、3組の「私人逮捕系ユーチューバー」(フナイム氏、KENZO氏、取材時は3人で活動していたスーパードミネーター(現在は1名で活動)の話をきいて、僕は正直、彼らや彼らを支持する人たちにも「それなりの理がある」とも感じたのです。


フナイム氏への取材より。

 ユーチューバーとしては痴漢取り締まりのほか、かつては転売ヤーや、売春スポットとして有名な新宿・大久保公園の付近で客待ちをしている女性に話しかけたり、一緒にホテルに入ろうとしている男性に突撃したりしていた。
 ある地方の夜間中学校で、知的障がいがある20代の女性生徒が、60代の男性生徒からセクハラを受けていることを知ると、現地に赴いて教頭をこんこんと詰め、その様子を動画にしたこともあった。セクハラ被害を学校に訴えても黙認されている、という女性生徒のSNSへの投稿を見つけ、たまたまその地方に行く用事もあったので、決行したのだという。困っている人がいれば助けるのが僕の信念です、とフナイム氏は言う。
新宿駅の構内を歩いていたとき、ホスト風の男が女の子に馬乗りになって、ボコボコにしていたんです。周りには何十人もいるのに、見ているだけ、スマホで撮影しているだけなので、『止めろ』って間に入って。関わりたくないのか、飛び火するのが嫌なのかわからないけど、何もしない人の精神がわからない。助けるのが普通じゃないの、と僕は思っちゃうんです」

 1988年に「地下鉄御堂筋事件」と呼ばれる事件が起きた。大阪市営地下鉄御堂筋線の電車内で、痴漢をしていた2人組の男性に、女性が注意をした。すると逆上した男たちに電車から下ろされ、脅されて連れ回された末に、マンションの建設現場で強姦されたのだ。女性が連れて行かれるとき、周囲の乗客たちは見ているだけだったという。
 2022年には、JR宇都宮線の電車内で電子タバコを吸っていた男が、注意した男子高校生に暴行を加え、土下座させた事件があった。被害者の友人や女性客が止めに入ったが、大多数の乗客は傍観していたそうだ。

僕がその場にいたら、関わり合いになるのが怖くて、見て見ぬふりをして、足早に去っていたのではないか、と思います。
自分がそんな人間であることを突き付けられるのは、とても情けない。
善意の人が理不尽な暴力にさらされていて、その場にいる「みんな」が声をあげれば、こんなことにはならなかった可能性が高いのに……

動画にするのも、再発予防や社会的な啓発のためで、収益も「活動を継続していくためには、お金が必要」だと言われれば、納得できる面もあるのです。
取材を受けたユーチューバーたちは、えん罪予防のためにかなり配慮をしていて、リスクを避けるためのトレーニングも積んでいるそうです。
痴漢逮捕の舞台となった駅の周辺では、痴漢被害が減った、という警察関係者の「表には出せないコメント」もあったのだとか。

その一方で、「私人逮捕」が事故につながったり、私人逮捕という名目で痴漢や飲酒運転の容疑者を確保し、「お金を払えば動画にしないでおいてやる」と脅迫の材料にしていたり、という事例も紹介されています。

他者を「逮捕」する権利や資格というのは、かなり強い力なわけで、悪用されるリスクもあります。

とはいえ、警察は、いつも「その場」にいてくれるわけではないし、「軽微な交通違反を取り締まっているばかりで、肝心のときには『民事不介入』とか『管轄外』とかで助けてくれない」。
そもそも今は、警察官も「人手不足」なのです。
理不尽な暴力をふるう連中にボコボコにされたり、致命的に傷つけられたりしたあとで、「逮捕」「捜査」されても、元には戻らないことも多々あります。
「警察に任せておけ」と言う人たちは、本当に、そこまで警察を信頼しているのだろうか。

こういう「私人逮捕系ユーチューバー」に限らず、みんながスマートフォンを持っていて、目の前の悪事に対して、撮影して、SNSなどで拡散できる、という状況は、「警察の目がすぐには届かない空間での暴力や不法行為」を抑止する効果と「相互監視社会」という息苦しさを併せ持っている、とも言えそうです。

著者は「炎上系ユーチューバー」について、「いまの世の中で、学歴も特別な能力も、金持ちな実家もない人間が有名になり、みんなに知ってもらうための、数少ない可能性ではないか」とも述べています。

「炎上」こそ、最後の希望。現状を破壊してくれるのなら、なんでもいい。
絶望しきっている人たちに「正論」は、届くのだろうか?


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