Kindle版もあります。
超人気エコノミストによる初めての深堀り対論。
「ドル基軸通貨体制」は永遠ではない。
今こそ知るべき、国際金融のリアル
新NISAの導入をきっかけに海外の金融資産を保有する日本人が増加するなど、日本経済はかつてないほど世界経済への依存度を高めつつある。
そうした中、トランプ大統領による相互関税措置を受け、国際金融市場は大きく揺れ動いている。
しかし、そもそも世界経済には、日本人が見落としがちな「死角」がいくつも存在する。それらを押さえずして先の見通しを立てることはできない。
そこで本書では超人気エコノミストの2人が世界経済と金融の“盲点”について、あらゆる角度から徹底的に対論する。
先の見えない時代を生き抜くための最強の経済・金融論。
1964年生まれで、専門は日本経済論、経済政策論の河野龍太郎さんと、みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミストでヨーロッパの経済に詳しい唐鎌大輔さん。
ふたりの経済学者の対談形式で、これまでの日本とアメリカ・ヨーロッパの経済と今後の見通しが語られている新書です。
新書としてはかなりボリュームがある本で、話題も過去の経済学の歴史の知見や現在の日本の経済状況から、アメリカやヨーロッパの経済政策の変化など、さまざまな内容が詰め込まれています。
書かれている内容が多彩すぎて、「何かひとつのテーマについての本」ではありません。
「今ここにあるものは、盤石のように見えても、けっして永遠に続くとはかぎらない。歴史上もそうだったのだな」というのが、読み終えていちばん強く感じたことでした。
あるいは、経済・経済学に絶対の正解はない。人間の歴史に正解がないように。
唐鎌大輔さんは、この対談の最初のほうで、こう仰っています。
唐鎌大輔:「生活が苦しくなった」という声は、本当によく耳にするようになりました。しかし、日本人は何も怠けていたわけではないと思います。それなのに、なぜ一生懸命働いても暮らしが豊かになっていかないのか。
具体的には、日本企業は生産性の向上に力を入れてきたはずなのに、なぜ働く人々の賃金はずっと伸び悩んでいるのか。そして、激しく揺れ動く世界情勢や、生成AIの急速な進展といったグローバルな変化が、日本経済にどのような影響を及ぼしているのか。今、世界経済の構造の中で見落とされがちな”死角”を直視することが求められている気がします。
僕も50年以上生きてきて、日本は、日本人は、けっして「他国に比べて、頑張っていない」わけではないと感じています。
他国の人の働きぶりを、長期的・包括的にみてきたわけではないけれど。
少なくとも、僕の周囲の日本人は、けっこうがんばってきた。
むしろ、最近、ここ10年くらいになってようやく、20年、30年前よりも、休みが取りやすく、自分の時間を持つことが許されるようになったくらいなのに、なぜ、豊かになれなかったのか。
でも、これだけ多くの人が、安いスマホではなくてiPhoneを使っている国は、本当に経済的に「ダメ」なのか?
おふたりは、さまざまな角度から、「なぜそうなったのか?」を検証しています。
わかりやすい「答え」は示されていないけれど、むしろ、「その答えはこれだ!」と断言して支持を集めようとしている人たちの「わかりやすさという罠」への注意を呼びかけてもいるのです。
「日本の給料(賃金)は、なぜ上がらないのか?」という疑問に対して、お二人は「生産性」についてのこんな対話をされています。
河野龍太郎:生産性とは「産出量」を「労働投入量」で割ったものです。産出量を「働いた人の人数」で割ったものが「一人当たりの生産性」です。産出量を「投入した総労働時間で割ったもの」が「時間当たりの生産性」です。
おおざっぱに言えば「いかに効率よく産出しているか」ということです。
賃上げについて議論すると、企業の経営者は、よく「生産性を向上させなければ、賃金を上げられない」と言います。
唐鎌:生産性が上がれば、企業の儲けが増えるので、賃金の伸び悩みを解消しやすくなることは一応、間違いではありませんよね。しかし、そもそも日本の生産性は、イメージされるほど低いのでしょうか。大前提となるこの点を確認させてください。
河野:日本の生産性は低迷が続いているのかというと、実はそれほど悪くはありません。日本における時間当たりの生産性の推移を見ると、1998年から足元までで30%ほど改善しています。ヨーロッパの経済大国であるドイツやフランスと比べると、生産性の改善は、実は日本のほうが上なのです。
唐鎌:OECD統計を通じた国際比較を基に、私も常にその違和感を抱いていました。
日本の生産性はすでに世界でも上位層にあるのに「生産性を上げれば日本の問題を解決できる」と言われても、響きません。「ここから生産性を上げることは悪いことではないものの、本当に問題なのはそこではないのでは?」と言いたくなります。
河野:もし「日本は生産性が低迷しているから実質賃金が低迷している」という主張が正しいなら、日本よりも生産性の改善が劣るヨーロッパの実質賃金は、さらに低迷しているはずです。ところが、実際にはそうなっていません。
日本より生産性の改善が劣るフランスやドイツの実質賃金は、そこそこ改善していて、まったく改善していない日本からすると、うらやましい限りです。
そこで、よく比較対象として持ち出されるアメリカを見てみましょう。アメリカでは同じ期間(1998~2023年)に時間当たり生産性が5割上がり、それに伴い時間当たり実質賃金も30%近く増えました。だから「日本もアメリカ並みに生産性を上げれば、実質賃金も上がるはずだ」と言うエコノミストが多いのです。
唐鎌:結局、生産性をそこまで引き上げられるパワーがあるのは、世界中を見渡してもアメリカくらいだと。これは納得感があります。
よく「なぜグーグルやアップルが日本に生まれないのか」という論調を目にすることがありますが、「いや、ドイツにもフランスにもないよ」と(笑)。
河野:アメリカがずば抜けている、ということですよね。
唐鎌:日本の企業部門の歴史を振り返ると、「利益は積み上げてきたものの、これと整合的な賃金上昇には消極的だった」という点に尽きるのではないかと思います。河野さんが指摘されたように、日本はドイツやフランスに生産性の伸び率で勝ってきたという事実も踏まえると、そもそも生産性が上がって儲かった部分はどこに行ったのか、というのが争点になりそうです。これは後ほど「分配」のお話としてお聞かせ願えればと思います。
いずれにせよ、こうした事実を正しく踏まえると、「生産性の向上を考えること自体が非生産的ではないか」という指摘もあったりして、言い得て妙だと思います。そもそもコストを減らせば生産性は上がるわけで、生産性という概念を絶対視するのも危険だと感じます。
そういえば、ネットでもしばらく前までは、「ちきりん」さんなどが、しきりに「生産性」の話をされていたなあ、と思いながらこれを読んでいました。
「日本は効率が悪い仕事のやりかたで無駄な労働時間が長く、コストカットが進まず、『生産性』が低い国」だというイメージを僕もずっと持っていたのです。
しかしながら、実際は日本もかなり生産性は上がってきていて、ヨーロッパの経済大国よりも伸び率は高いのです。
にもかかわらず、日本の給料は、ヨーロッパのようには上がっていない。
「生産性が突出して高い国」であるアメリカも、物価高や格差の拡大が社会問題になっており、GDPが上がり、株価が上昇しても、多くの「普通の人たち」の生活がラクになっているとは言い難いのです。
ここで触れられている「分配」の話なのですが、河野さんは、日本の企業の経営について、こう述べています。
河野:企業が蓄えている「利益剰余金(いわゆる内部留保)は、1998年には約130兆円でしたが、アベノミクスが始まった2013年には300兆円に達して、我々エコノミストは当時大騒ぎしていました。そして2023年には、ついに600兆円まで積みあがっています。
人件費はほとんど横ばいのままなのに、利益剰余金は四半世紀で、なんと5倍弱です。
1990年代末から2022年頃までの間、ベア(ベースアップ:労働者の基本給の水準を「一律で」上げること)がほとんど行われなかったことを考えると、企業が基本給を抑えることで利益を蓄え、自己資本の強化に回していたということです。
これにより日本企業は経営の安定性を高め、メインバンクが不在でも、長期雇用制度の維持を可能にしていたのです。ただ、それにしてもため込みすぎだとは思いますが。
日本企業は「給料を上げない」ことによって、内部留保を増やし、そのおかげで、景気の波があっても、長期・安定的な雇用を維持してきた、ということなのです。
「それにしてもため込みすぎ」なのは事実で、近年は「会社は株主のもの」として「株主還元」を訴える「モノ言う株主」の圧力などで、内部留保を吐き出させようとする動きも増えていますが、それだと、利益は「株主」に分配され、労働者の給料は上がらない。
給料が上がらないから、購買力も上がらず、高いものは売れないから、価格も上げられない。
これは「悪循環」なのか、「そうやって、良いものでもそれなりに安い社会でつつましく暮らすほうが幸せ」なのか?
経済学者たちは、モノやサービスの価格が上がれば、企業の利益も上がり、そこで働いている人たちの給料も上がる、そしてそれは、大企業からはじまって、中小企業にも浸透していく、と言うのですが、正直、本当にそうなっていくのか僕は疑問に感じています。
AI関係などの優秀な人材や新卒の若者が好待遇で迎えられているニュースは多いけれど、株や投資信託を買える「持てる者」がさらに豊かになり、そうでない人たちは放置され、物価は上がっていく、という格差の拡大、中間層の消失は日本でもかなり進んできているのです。
利益は、なかなか「みんな」には分配されない。
「生産性」が劇的に向上して、働きたくない人は、ベーシック・インカム(年齢・性別・所得水準などにかかわらず、すべての国民が一律の金額を恒久的に受けられる社会保障制度)で好きなことをやって生きていける世界になれば良いのかもしれないけれど、やはり、人間は自分と他者を比べてしまうし、最新のiPhoneやSwitch2が欲しくなる。
この新書では多彩な内容が語られていて、けっして簡単ではないけれど、「こういう考え方もあるのか」と思うところがたくさんありました。
それも、著者二人の突飛な思いつき、とかではなくて、経済学の長年の歴史や知見、データを踏まえての議論がなされていて、それでも、経済の行方には不透明なことばかりで、「これが正解!みたいなことを断言する人たちを信じてしまうことの危うさ」もあらためて痛感させられます。
そして、今後の世界の趨勢として、これまでのような「アメリカ依存」が、もう成り立たなくなってきている、とヨーロッパ経済の専門家である唐鎌さんは仰っています。
なお、河野さんとの対談中でも少し言及させていただきましたが、トランプ大統領やバンス副大統領の物言いにはびっくりさせられるものがたしかに多いのですが、アメリカ自身、他国を防衛するほどの余裕がなくなってきているという事情も理解する必要があります。
アメリカ一国の力で欧州においてはロシアと対峙し、アジアにおいてはロシアをはるかに凌駕する能力と資源を有する中国と対峙するという構図は、決して持続可能ではないのです。
「アメリカであれば、何でも解決してくれる」という期待は、もはや、ある程度捨てる必要があります。ここは我々が認識を改める余地がありそうです。
アメリカの本音を端的に表現すれば、「ロシアと中国を相手に、同時に対応する軍事力はもうアメリカにはないので、EUはもう少し当事者意識を持ってくれ」といったものではないかと察します。
これはアジアにおける日本や韓国、そして他の東南アジア諸国にも当てはまる話です。現に日本の防衛費も拡張路線に入っており、政府は2027年度に名目GDP比2%までの増額を約束しています。これは当面、不可逆的な流れでしょう。
対談中にも紹介していますが、第一次トランプ政権による数々の言動を踏まえ、ドイツのメルケル元首相は2017年5月28日、ミュンヘンで行われた演説で「他国に完全に頼ることができる時代は、ある程度終わった。(中略)われわれ欧州人は自らの運命を自分たちの手に握らねばならない。欧州人として、自らの運命のために闘う必要があると知るべきだ」と主張し、今後はアメリカの存在を前提とした意思表示ではなく、「欧州人」としての自主的な意思決定が求められると論じました。この予言めいた発言は、ほぼ完璧に的中したと言えそうです。
2025年の春から世界経済に大きな影響を与えている、いわゆる「トランプ関税」についても、トランプ大統領の思いつき、気まぐれな政策、と考えてしまうのですが、「もう余裕がなくて、世界の秩序を守る(少なくとも彼らにとっては)覇権国家であることの負担から降りようとしているアメリカ」という国の現状を示している、とも言えそうです。
ウクライナ戦争で、停戦の仲介をする際に、ウクライナの資源の権益をトランプ大統領が求めたのをみて、僕は「あのアメリカが、そんな火事場泥棒みたいなことをするのか……」と驚きました。
石破首相の関税に対する「なめられてたまるか」発言も、個人的には「そのくらい言ってしかるべき」だし、相手のご機嫌伺いばかりしていると、譲歩を迫られるばかりだろう、属国じゃなくて、同盟国なんだから、と思っています。
もちろん、トランプ大統領に面と向かって言うのはやめておいたほうが良いだろうけど。
新書としてはボリュームがあり、話も多岐にわたるので、ものすごく読みやすい、というわけではないのだけれど、いまの世界を経済という切り口で考えるきっかけになる良書だと思います。










