琥珀色の戯言

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【映画感想】チェンソーマン レゼ篇 ☆☆☆☆

チェンソーの悪魔」との契約により「チェンソーマン」に変身し、公安対魔特異4課所属のデビルハンターとして悪魔たちと戦う少年デンジ。公安の上司である憧れの女性マキマとのデートに浮かれるなか、急な雨に見舞われ雨宿りをしていると、レゼという少女に出会う。近所のカフェで働いているというレゼはデンジに優しくほほ笑みかけ、2人は急接近する。この出会いをきっかけに、デンジの日常は大きく変わりはじめる。

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2025年映画館での鑑賞15作目。月曜日の夕方からの回で、観客は50人くらいでした。
時間帯と「ハッピーマンデー」で割引料金だったこともあるのか、学生さんの割合が高かった。

チェンソーマン』のテレビアニメが放映されたのって、2022年の10月からで、もう3年前になるんですね。
僕は原作は全く読んだことがなくて、アニメも第1話だけをみて、けっこうグロテスクなシーンが多いな、面白いけど、と思いつつも、結局、2話から先は観ていませんでした。「積みアニメ」にしているつもりが、いつのまにか3年も経ってしまった。
新作アニメ、本当にたくさんあるので、1クール12話でも、全部観ることができない作品ばかりです。

今回、映画化される、ということで、あらためてアニメを1話から12話まで観てみました。
あれ、このアニメ、ものすごく面白いんだけど。作画もストーリーもキャラクターも素晴らしい。なんでリアルタイムで「1話切り」していたのだろうか……

オープニングテーマの米津玄師さんの『KICK BACK』の

♪「止まない雨はない」より先に その傘をくれよ

という歌詞を「米津玄師やっぱりすごいなあ、でも、それを歌っている米津さんもいまや印税で大金持ちなんだよなあ、本人にはその気はないだろうけど『貧困ビジネス的』ではある」などと思いながら口ずさんでいました。

チェンソーマン』を観ていると、『リコリス・リコイル』を思い出してしまうのです。
富めるものが、汚れ仕事をナチュラルに若者や貧困層におしつけて、「怖いねえ」なんて言いながらクリーンに生きている社会。

チェンソーマン』で、コベニちゃんが「優秀な兄を大学に行かせるために風俗かデビルハンターで稼げ」と親に言われた、と嘆くシーンもありました。
あくまでもアニメの「設定」なんだけれど、自発的な、良心からの「正義の味方」の時代はもう終わっていて、「経済的奴隷としてのリコリスやデビルハンター」が描かれているのが、この作品が「刺さる」理由なのかもしれません。


アニメがすごく面白かったのでいろんな感想を検索してみたのですが、原作重視派には「アニメの作画は綺麗だが、原作の荒々しさが失われていて『違う』感じがする」とか「キャラクターの奔放さが失われている」などの不満や「円盤(ブルーレイディスク)が全然売れなくて爆死」みたいな商業的な失敗を指摘する声がたくさん出てきました。


こんなに面白いのに!
でも、何度も観たい、というより、その「一度」が刺さって、生半可な気持ちで観返したくない、と僕も感じました。
原作との比較については、原作未読だったのでなんとも言えません(原作も読んでみようとは思っています)。

平日の夕方、割引料金になる日を待って映画館に来ていた学生たちの熱量や観終えたあと「あいつ泣いてた」みたいな会話が聞こえてくると、続編がつくられてよかったね、と。
しかし、僕は最近アニメの全話を観たばかりなので(むしろ、「レゼ篇」を観るためにアニメをはじめて観た)、アニメの「続き」としてスムースに入れたのですが、リアルタイムでアニメを観ていた人たちにとっては「3年越しの続編」なんだよなあ。


なんだか前置きが長くなってしまいましたが、この『レゼ篇』、原作は読んでいないので予備知識なしで観たのですが、最初のデンジとマキマさんの「映画デート」の場面から、僕の発達障害的なマインドがうずきまくっていたのです。

僕は若い頃、自分の「感情」というのが、いまひとつしっくりきていなくて、「面白いから笑う」「悲しいから泣く」というより、「笑うべき状況だから笑ってみせる」「泣くのが自然な場面だから悲しい顔をする」ようにしている、と自分では感じていました。
年齢を重ねるごとに、ベタなお涙頂戴シーンで泣いてしまうようになって、困っていてるのですが。

「情操教育」という言葉がありますが、感情というのは自然に身に付くものではなく、環境や教育の影響が大きいのです。
デンジもマキマさんも「感情というものが、よくわからない」存在として描かれているのですが、『チェンソーマン』がこれだけ支持されているのは、同じような感覚を抱いている人は、案外多いということなのかもしれませんね。

映画に関するマキマさんの言葉も、いちいち刺さって、「あなたは僕ですか」感がすごかった。


で、レゼなんですが、予備知識なしの僕でも、あまりにグイグイ来るので、「うわ!これ地雷!さすがにこれに引っかかるのは無防備すぎるぞデンジ!」と心の中でつぶやいていました。
距離が近すぎる、すぐに詰めてくる女は、アムウェイか頂き女子だ!

しかしながら、人間というのは、自分のこととなると、「見えているはずの地雷」でも、踏まずにはいられない。
もしかしたらこれは地雷じゃないのでは……あるいは、地雷であっても、踏まないと一生後悔する!と身体が動いてしまう。

あんまりあれこれ書くとネタバレになってしまうのですが、個人的にはバトルシーンのスピード感や動きは素晴らしかったものの、爆弾を使った攻撃はけっこう単調で、途中からちょっと飽きてきました。
周りの人があっけなく死にまくっていくだけで、戦いの当事者たちは、どちらも致命的なダメージを与えられそうではなく、じゃれ合っているようにすらみえます。

バトルでここまで時間を使うのであれば、デンジとレゼの関係が近くなっていくところにもっと時間を使っても良かったのではないか、でも、そういう「衝動性」みたいなものが『チェンソーマン』の魅力だともいえる。

「ネズミ」の話も、わかったような気分になっていたら、最後になんだかあの人の言葉で不安にさせられます。

僕はデンジとレゼのボーイミーツガール的な話よりも、ラスト近くの天使の悪魔とマキマさんのやりとりが、なんだかとても印象に残りました(天使の悪魔の声が内田真礼さんだったのにもちょっと驚きました。ご結婚おめでとうございます)。
そこで、冒頭の映画デートでのデンジとマキマさんのことを、思い出したのです。
僕の「心が動くポイント」も、やっぱり多数派とはズレているのだろうか。

もしかして、僕も、藤本タツキ先生やこの映画の監督の手のひらで踊らされている?

僕はこの『レゼ篇』の「余韻」みたいなものがものすごく好きで、衒学的なのかもしれないけれど、背景に深い知見と絶望、そして束の間の安心を感じました。

テレビ放映版のブルーレイディスクが売れなくても、映画がヒットすれば、アニメの『チェンソーマン』は続いていくはず。

この続きも、ぜひ、アニメで観たい。


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