Kindle版もあります。
14億人超が暮らし、人口世界一となったインド。
マイクロソフトやグーグルなど、世界の名だたる企業のトップに名を連ね、
20年代後半にはGDPで、米中に次ぐ世界3位になると予測される。
上昇志向と加熱する受験、米政財界への浸透、「モテ期」の到来と中国・パキスタンとの衝突……
教育・外交・経済・文化的側面から、注目を集める国の『今』に迫る。
著者のひとり、石原孝さんは、この本の「はじめに」で、20年前にはじめてインドを訪れた際、ガンジス川に手足だけ「ちょっとつかってみた」あと、赤痢にかかり、世界遺産のタージマハルにも行けずに日本に帰国したことを書いておられます。
石原さんは1981年生まれで、僕よりも10年くらい若いのですが、僕もこれまでさまざまな「インド旅行記」を読んできました。妹尾河童さんの『河童が覗いたインド』、椎名誠さんの『インドでわしも考えた』、沢木耕太郎さんの『深夜特急』……
僕自身は実際にインドに行ったことはないのですが、さまざまな旅行記を読んで、インドというのは「一筋縄ではいかない、日本の常識がまったく通用しない国」であり、ちょっと油断していたら、ぼったくり価格でものを売りつけられ、道路ではすぐに物乞いが寄ってくる、というイメージがあったのです。
タージマハルは見てみたいけど、気苦労が多そうだな、というのが、僕がインドに行く機会がなかった理由のひとつでもあります。
対戦型格闘ゲーム、『ストリートファイター2』の手足が伸びる『ダルシム』みたいな人がそこらじゅうを歩いている、それがインド。実際はそんなわけないのですが、インドの人たちは、ダルシムをどんなふうにみていたのだろう。
石原さんは、赤痢事件から20年経って、2022年に新聞社の特派員としてニューデリーに赴任したときのインドを、こんなふうに書いています。
(首都の空港の)到着口には、車の甲高いクラクションが至る所で響いていた。「戻ってきたな」と実感する。久しぶりのインドは、真新しい高層ビルが立ち並び、おしゃれな飲食店での食事や国内旅行を楽しむ中間層や富裕層も増えていた。
赴任中に人口が14億人を超え、中国を抜いて世界一になり(国連の推計)、街中のマーケットでもスマホを使ったキャッシュレス払いが浸透していた。高速道路や大型の橋、空港、ショッピングモールが次々に建設され、高い経済成長の勢いを何度も実感した。
2023年8月には、世界で4番目となる無人探査機の月面着陸を成功させ、近いうちに経済規模で日本を抜かすことも確実視されている。
インドを飛び出し、米国やシンガポール、英国、アフリカ諸国、そして日本にも、多くのインド系人材が暮らす。いまや、グーグルやマイクロソフトといったIT企業のトップも、インド出身者が名を連ねる。
外交面では、米国や日本、欧州といった国や地域と関係を深める一方、ロシアからも武器や石油を大量に輸入する関係を続け、国際会議の舞台で存在感を発揮するようになっている。軍事費も世界で5本の指に入り、1974年と98年に核実験を実施し、核保有国でもある。米国、中国にインドを加えた「G3」の時代が将来的に到来すると見る専門家もいる。
かつての「日本の常識でははかれない、謎めいた国」は、世界最先端のIT企業で活躍する人材を多数輩出しています。
これには、新しい産業であるITでは、カースト制度による障壁がないため、優秀な若者が集まりやすい、というインドならではの事情もあります。
インドでは今も毎年2000万人の子どもが生まれている。日本の出生数が2024年に70万人を下回ったのと比べると、状況は大きく違う。
インドの年齢中央値は2023年時点で28.1歳。日本が49歳であることを考えるとその若さが際立つ。インドはまさにいま、子どもと高齢者以外の生産年齢人口の割合が分厚く、経済を押し上げる「人口ボーナス」期を迎えているのだ。
ちなみに、人口ではインドと「双璧」である中国は、人口増抑制のための長年の「一人っ子政策」と、それが緩和されてからも高学歴志向、晩婚、少子化で2020年頃をピークに、今後は急速な人口減が予測されています。この本に載っていた2100年の国連の人口予測では、インドが15億人に対して、中国は6億人台となっています。
日本の太平洋戦争後の高度成長期のような、生産年齢人口の割合が高い「人口ボーナス期」は経済が発展しやすく、いまの「アメリカ以外の先進国の人口がどんどん減っていく世界」では、インドはさらに影響力を増していきそうです。
とはいえ、世界一の人口を擁するインドは、経済発展を遂げながらも、たくさんの課題を抱えています。
インドの国内総生産(GDP)は、かつて植民地としてインドを支配した英国を抜いて世界5位になり、2023年には3兆5499ドルになった。だが、1人当たりのGDPで見れば2600ドル(約37万6000円)程度で、世界で100番目にも入っていない。中国の1万2614ドル、日本の3万3849ドルとの差は大きい。
世界銀行によると、1日2.15ドルを下回る生活をするインド国民の割合(極度の貧困)は、2011年度の16.2%から2022年度には2.3%まで改善した。ただ、下位中所得貧困層である1日3.65ドルだと28.1%に上っている。正確なデータを示すうえでの調査が不十分だとの指摘もある。
国際NGOオックスファム・インターナショナルによれば、インドの上位1%の人々が2021年に国内の総資産の40.5%以上を所有する一方、人口の下位50%(7億人)は3%程度の所有にとどまるなど、格差も広がっている。
10分ほど離れたスラム街に住む主婦のヌルー・アンサリさん(38)も、トタン屋根で覆われた手狭の家屋に家族6人で住んでいた。洋服の仕立てをしている夫(45)の収入は約1万5000ルピー(約2万6000円)ほど。彼女も13歳で結婚して読み書きはほとんどできないが、工場の労働者用に食事を作り、家計を支えている。
14~20歳の子どもたちに話を聞くと、ファッションデザイナーや客室乗務員になるのが夢と教えてくれた。アンサリさんは、子どもたちに教育を受けさせることができれば、安定した仕事を得て、より良い生活が送れると信じている。
首都には高層ビルが立ち並び、世界的なIT企業を率いる優秀な人材を多数輩出している一方で、格差はどんどん広がっているのもインドの現実なのです。
トイレが家の中になく、排泄時に屋外に出て犯罪の被害にあってしまう女性が、現代でも少なからずいることが問題になっています。
IT系技術者として高級で国外の有名企業にスカウトされる人がいる一方で、少しでも生活をラクにしようと、アラブ首長国連邦やカタール、イスラエルなどで建設作業員や運転手などの仕事で「出稼ぎ」をしている人も多いのです。
同じ「インド」という国でも、住んでいる地域や信仰している宗教、カースト、学歴や経済状態によって格差が大きく、ひと言では言い表せないのが、インドの現状です。
もちろん、日本でも首都圏で地下鉄を交通手段としている人と、車社会の地方都市とでは、「違い」はあるのですが。
経済的にも、今後も発展が見込める大きな市場として日本からも注目されているインドなのですが、自動車のスズキやエアコンのダイキンなど、大きな成功をおさめている会社がある一方で、日本の経済界では「インドは鬼門」だと言われることが多いそうです。
ビジネスの面で、インド側と日本側の付き合いが「不幸な関係」に終わった例の根底には、日本側の歩み寄りが足りなかった部分もあったのかもしれない。私の中でこの考えが膨らみ始めたのは、2024年に東京からインドへと出張した初日に、ある光景を目にしてからだ。ニューデリーの空港に到着し、私が現地通信会社のSIMカードを買い求めた時のこと。隣のカウンターで、別の日本人客が「急いで!」と強い口調で、手続きを速く進めるよう従業員に求めていた。確かに、若いスタッフたちはスマホの動画を見たり、おしゃべりに興じたりしていたが、全く仕事をしないわけでもない。仕事に対する価値観が、多くの日本人とは違うのだ。「お互いにとって不幸な状況だな」と感じつつ、原因は日本基準のサービスを一方的に求める客側にもあるのかも、と思わずにいられなかった。
「インド人は私たちと違う」と心の扉を閉ざし、歩み寄らないままでは、互いの距離は縮まらない。消費者に「刺さる」商品やサービスを提供できなかった過去の日本勢の失敗例は、現地の文化やニーズの把握を重視しなかったことが一因だと指摘されてきた。
たしかに、この通信会社、自分が急いでいれば、「ちゃんと仕事しろよ!」って言いたくなる状況ではありますよね。
でも、現地の人たちは、「いつもこんな感じで仕事をしているのに、なんでこの人はキレているんだ?」と思っていそうです。
トランプ大統領が「なぜ日本人はアメリカ車を買わないんだ?」と言ってきたら、「燃費や車体の大きさ、トラブルの少なさなど、日本で乗るには日本車のほうがメリットが大きいから。日本で車をもっと車を売りたかったら、日本の事情に合わせた車を作ってくれ」と、みんな反論するはず。
アメリカの「押しつけ」には反発するのに、日本企業もインドでは「これは良い製品なんだから」と、相手の事情に合わせない商売をしながら「インドは『常識』が通じない」と嘆いているのかもしれません。
他者の常識とニーズを理解し、それに合わせるというのは、簡単なことではないけれど。
「世界最大の民主主義国」といわれながら、アメリカ、中国、そしてロシアとも「つかずはなれず」という外交姿勢にも、「ロシアに対しては、インドが孤立していた時代にもサポートしてもらった長年の縁がある」ことが紹介されています。
米中が対立していくなかで、インドは「どっちつかず」だからこそ、キャスティングボードを握る存在として注目されてもいるのです。
こういう「戦略」もあるのだなあ。
とにかくクラクションを鳴らしまくる地域が多いインドではインドでは、他国よりも車のクラクションの耐久性が上げられているとか、世界一の「毛髪輸出大国」だとか、インドはベジタリアンが多い(人口の4割くらいという統計があるそう)ため、日本に観光で来ても食べるものに困るとか、僕が知らなかったインドの「ちょっと面白いエピソード」もたくさん紹介されていました。
ガンジス川やタージマハル、カレーといった「なんとなく引きずってきたインドのイメージ」をアップデートしてくれる新書だと思います。










